そういう格闘こそが、この時代を語る言葉、未来を創り出す言葉を生み出すのだと思います。
今朝の朝日新聞の「政治断簡」、久々いい記事でした。 digital.asahi.com 「言葉は安易に振り回さない方が良い。わからないものはわからない、難しいことは難しいと言いながら、深く潜って、言葉をつかまえた方がいい。」 「自分自身の惨めさの中に潜って潜って、言葉をつかみ取りたい。それは、「明日のもしかしたら」を自分自身のものにするための糸口となるはずだ。」 相模原の事件は、言葉が追いつかないほどの凄まじい事件だったと思います。だからみんな黙り込み、「専門家」「有識者」の言葉を待っていたのだと思います。 でも、その「専門家」「有識者」が何を提言したのか。今朝の朝日新聞の社説に紹介されています。 digital.asahi.com 要するに提言は容疑者の措置入院の関わる話題に終始し、それを社説は「再発防止の歩み着実に」などと紹介しています。事件のことを本気で思い悩んでいないのではないかと思いました。「私」との接点を見つけきれてないのだと思います。 「専門家」「有識者」の提言、あるいはそれを紹介した社説よりも、先日も紹介した神奈川新聞の若い記者の書いた「時代の正体」の方がはるかに問題の本質に迫っていました。 今日の「政治断簡」にあった「自分自身の惨めさの中に潜って潜って、言葉をつかみ取りたい」という思いがビリビリと伝わってきたからです。そういう格闘こそが、この時代を語る言葉、未来を創り出す言葉を生み出すのだと思います。 記事の最後にある記者自身の思いをしっかり受け止めたいと思うのです。 「自らの内面に存在するおぞましい部分を自覚するのは難しい。私もまだ怖い。向き合いきれていない。しかし、事件の本質を探っていくためには、「私の中の彼」を認める勇気を持つことから始めなければならないと感じている。」 www.kanaloco.jp そして、いつも言っていることですが、この先を私たちは創り出していきたいと思うのです。相模原事件を越える社会です。「ぷかぷか」はその手がかりを日々創りだそうとしています。それぞれが自分のやり方でその手がかりを見つける。言葉を見つける。それこそ「格闘」するくらいに気持ちで、この時代に向き合わないと、多分見つかりません。