ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • ジャムおじさん
     福祉事業所でパンを作っているおじさんがパンの研修にきました。57才のとても気さくなおじさんです。話しぶりからして、利用者さんと一緒にパンを作ることが楽しくて楽しくてしょうがない、といった雰囲気でした。利用者さんを指導するとか支援する、といったことが大嫌いで、そうなったら、仕事に行くことがつまらなくなるじゃないですか、とおっしゃっていました。理屈ではなく、感覚的にそういうものはいや、という感じです。利用者さんと楽しく働く関係を壊したくない、という気持ちが強いのだと思います。「支援員」と書いた名札が嫌でねぇ、なんてお話しもされていました。  利用者さんと毎日楽しくやっていると、若い常勤職員から、「そんなに甘やかさないで下さい」とか「きちんと指導して下さい」といわれたこともあり、ゲンナリしたそうです。でも、ま、そういうことをきちんとやっていれば、福祉事業所の中で出世?して、私くらいの年であれば施設長くらいはやっているのですが、利用者さんに対して指導とか支援といった関わりはなんかつまらない気がして、結局は職場を転々とすることになった、とおっしゃっていました。ずっとパートの立場で贅沢はできませんが、毎日利用者さんと楽しく仕事をする、というのがいちばん幸せなことです、とおじさんは目を細めて語っていました。  こういうおじさんのおかげで、福祉事業所の現場が楽しくなっているのだろうと思います。おじさんをぷかぷかにつれてきた保護者の話だと、利用者さんの間では「ジャムおじさん」と慕われ、超人気者だそうです。職場の風景が目に浮かぶようです。  おじさんも利用者さんと一緒に働くのが大好きで、利用者さんも「ジャムおじさん」と働くのが楽しみで、これこそが「障がいのある人たちと一緒に生きること」なのだと思います。  お互い一緒に働くことが楽しいと思える職場こそがいちばんです。指導だの、支援が大事、とスタッフが考えている限り、職場はお互いつまらないものになります。  指導とか支援しか考えられないのは、利用者さんたちと「人として出会っていない」のだと思います。人として出会っていれば、ジャムおじさんのように、彼らと一緒に働くこと自体が楽しくなります。それがないから「指導」とか「支援」という関係に、自分がそこにいる理由を求めるのだと思います。そのことが「一緒に働く職場」をつまらないものにしていることにいい加減気づくべきだと思います。  ぷかぷかでは毎日帰りの会で「いい一日でしたか?」という質問をします。毎日はかけがえのない一日です。それをいい一日とするか、つまらない一日とするのか、とても大事なことだと思います。指導とか支援は、利用者さんのかけがえのない一日をだめにしてしまっているんじゃないか、そんなふうに思います。  以前にも書きましたが、養護学校の教員をやっているとき、毎日のようにフリチンで芝生の上で大の字に寝っ転がって、ニカニカしながらおひさまを仰いでいる子どもがいました。私はそばで「パンツはきなさい」と陰気な顔をして言い続けていました。でも、こういうことを毎日続けていると、ひょっとして彼の方がいい時間を過ごしているんじゃないか、とだんだん思い始めました。ニカニカしながらおひさまを仰いで気持ちよさそうにしている子どもと、陰気な顔をしてグチグチ言っている私とどっちがいい時間を過ごしているか、ということです。そのことに気がついてから、もうグチグチつまらないことをいうのはやめて、その子と一緒に大の字になって寝っ転がってひなたぼっこをすることにしました。  いい時間を過ごすこと、いい一日を過ごすこと、そしてそれを何よりも大事にすることは、そのフリチン少年に教わった気がします。人生のとても大事なことを教わったと今でも思っています。それが帰りの会の「いい一日でしたか?」につながっています。はじめの頃は手を上げる人はほとんどいませんでしたが、だんだん質問の意味をわかってもらえて、今では何人もの人が手を上げて、私のいい一日を発表してくれます。  ジャムおじさんは毎日そんないい一日を利用者さんと作っているんだろうなと思います。  
  • お互い助け合って生きていけばいい
      ゆうたくんという重度の知的障がいの子どもがいます。そのお母さんのFacebookでゆうたくんがタブレットを使ってゲームを楽しんでいる動画が紹介されていました。私はタブレットが使えないので、なんてすごい子どもなんだと、ただただ感心しました。重度の知的障がいといわれている子どもが、どうしてこんなことができるのか、全く理解できません。  nahaちゃんも同じく重度の知的障がいの子どもです。hanaちゃんは一人でご飯が食べられません。いつもお母さんが口に運んでいます。口にいくらでも入れてしまうからです。なのにスマホでゲームを楽しんでいます。私はスマホも苦手で、電話が鳴っても、いまだにスムーズに出られません。文字を打つのにものすごく時間がかかるので、メールはしません。いつも使うのは目覚まし時計とマンションの10階まで階段を上るときのストップウオッチです。要するにほとんど使っていないというか、使えない、と言った方がいいくらいです。そのスマホでhanaちゃんがゲームをやるのです。指の動きを見ると、実になめらかで、どうしてこんなに使いこなせるのか、私には全く理解できないのです。  一人でご飯を食べられない人が、どうしてスマホを使いこなせることができるのでしょう。スマホが使えるなら、ご飯くらいは一人で食べられそうなものなのに、それができないところが人間のおもしろいところかも知れません。  ゆうたくんのお母さんは「ゆくゆくは会話のアプリ使ってコミュニケーション深められたらいいなと思ってます」とFacebookに書いていました。なんかもう、ついて行けない感じがしました。    機会があればゆうたくんにはタブレットの使い方を、hanaちゃんにはスマホの使い方を教わろうと思っています。いつも「何かやってあげる」ではなく、そうやってお互い助け合って生きていけばいいじゃないかと思うのです。相模原事件を超える社会は、むつかしい話ではなく、案外こういったところに手がかりがあるんじゃないか、と思ったりするのです。    愛しのhanaちゃん。どこでも寝られる特技があります。    
  • 「ともに生きる社会かながわ憲章」はどこへ行ってしまったのでしょう。
     やまゆり園の立て替えをめぐっての公聴会で、たくさんの批判が出ました。批判が出たにもかかわらず、県の方針は変えるつもりはないようです。公聴会も一回で終わりで、やる気のなさが露骨です。  www.kanaloco.jp  県知事も意義に耳を傾ける気はないようです。 www.kanaloco.jp    事件のあと、県が掲げた「ともに生きる社会かながわ憲章」はどこへ行ってしまったのでしょう。   ともに生きる社会かながわ憲章~この悲しみを力に、ともに生きる社会を実現します~  平成28年7月26日、障害者支援施設である県立「津久井やまゆり園」において19人が死亡し、27人が負傷するという、大変痛ましい事件が発生しました。 この事件は、障がい者に対する偏見や差別的思考から引き起こされたと伝えられ、障がい者やそのご家族のみならず、多くの方々に、言いようもない衝撃と不安を与えました。 私たちは、これまでも「ともに生きる社会かながわ」の実現をめざしてきました。 そうした中でこのような事件が発生したことは、大きな悲しみであり、強い怒りを感じています。 このような事件が二度と繰り返されないよう、私たちはこの悲しみを力に、断固とした決意をもって、ともに生きる社会の実現をめざし、ここに「ともに生きる社会かながわ憲章」を定めます。  一 私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします  一 私たちは、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します  一 私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します  一 私たちは、この憲章の実現に向けて、県民総ぐるみで取り組みます     平成28年10月14日                                                                  神 奈 川 県    
  • お金ではかれない価値
      ホームページの改善提案をしてくれたママボノの打ち上げがカフェでありました。ママボノの活動は、先日NHKのニュース番組でも紹介されていましたが、育休中のママたちの職場復帰トレーニングとして位置づけられています。参加するママさんたちの表情に仕事への緊張感がみなぎっていて、すごいなと思いました。ぷかぷかのホームページ改善提案をしてくれたママさんたちも、職場復帰トレーニングといったものを超えた仕事ぶりでした。  その成果の象徴がこのトップページのデザインです。   もう少し鮮明な画像は下のサイトの中のダウンロードボタンをクリックすると出てきます。 pukapuka-pan.xsrv.jp    ぷかぷかのホームページには、中小企業以上の情報量が蓄積されているとママボノの方はおっしゃっていましたが、それに全部目を通して改善提案を出してくれました。その努力に頭が下がりました。もちろんこれはすべてボランティアです。ボランティアだからこそ、こんなにすばらしい仕事ができたのだと思います。昨年pvプロボノにつくっていただいたプロモーションビデオも、ボランティアでした。  会社に頼んでも、それなりの改善提案は出てきたと思うのですが、ママボノの改善提案には取り組んでくれたママさんたちの気持ちがこもっていました。日本財団の会議室で成果物の説明を受けながら、そんなママさんたちの気持ちをびりびり感じ、ちょっとうるっときてしまいました。  人はお金をもらわないときこそ、本物のいい仕事ができるのかも知れませんね。  pvプロボノはプロの映像クリエイターたちがやっているスキルボランティアなのですが、自分のスキルを生かして、とにかくいい仕事をしたい、という気持ちが、打ち合わせをやっていてもよく伝わってきます。撮影も自分の有給休暇を使ってきてくれます。  生産性という視点で量ることのできない新しい価値を作り出そうとしているだと思います。お金ではかれない価値です。お金にかかわらないからこそ生み出せる価値。それは今ぷかぷかが作り出そうとしている価値と重なるところがあります。  障がいのある人たちは、生産性という視点で見ると、かなり厳しい面があります。でも、それでいながら「ぷかぷかさん」たちはしっかり稼いでいます。接客マニュアルは、生産性の視点から作られています。その接客マニュアルで接客する「ぷかぷかさん」の姿が気色悪かったので、それはもうやめて、「ぷかぷかさん」たちのそのままで勝負しました。結果的にはそれがお客さんに受け、収益を生むようになりました。  お客さんが受け止めたのは、お金でははかれない価値だったのではないかと思うのです。ママボノの成果物の説明の時に私がちょっとうるっとしながら感じた成果物にこめられたママさんたちの思いのようなものを、お客さんたちは感じたのではないかと思うのです。お金を出して手に入れるサービスを超える価値です。  そしてそういう価値こそが、お金によって失われつつある、人が生きていく上で大切なものを、回り道しながらも取り戻すのではないかと思うのです。   ママボノも、pvプロボノも、そしてぷかぷかも、今の社会を救うような新しい価値を生み出しているのではないかと思います。    打ち上げが終わって画伯に似顔絵を描いてもらいました。
  • ただそこにいるだけでいい
     「ただそこにいるだけでいい」 なんて素敵な言葉なんだろうと思います。 ameblo.jp  「ただそこにいるだけでいい」、みんながそう思えば、社会に合わせることも、できないことをできるようにすることもない。みんながゆったりした世界に生きることができます。  欲がない、という俗っぽい感覚でもなく、ただそこにいるだけで、その人の存在価値を認める、という人間観。  重い障がいのある息子さんのことを「ビリケンさんみたいになれればいい」とおっしゃったお父さんは、 「彼ら彼女らには、僕らを集めるお祭りの中心みたいな可能性を感じてます ♪みんなで一緒にそれを証明出来たらいいな♪」 ともおっしゃっていて、支援だなんだと偉そうなこと言っている人たちよりもはるかに人間ができている気がします。  そういえば、殴られ蹴られの30年を過ごした養護学校教員時代、一度も彼らを「支援する」なんて考えたことがなかったことを今思い出しました。ただただ彼らのこと、「そこにいるだけで好きだった」だけです。  多分このお父さんも息子さんのこと、好きで好きでしょうがないんだろうなと思いました。
  • オペラ『ロはロボットのロ』、またやります。
      子どものアトリエをやっている友人が、子ども達にクリスマスプレゼントは何もらいましたか?って聞くと、ほとんどの子どもが「ゲーム!」と応えたそうです。なんだか寂しいですね。子ども達の心がどんどん貧しくなっていく気がします。  大人の心が貧しいのだと思います。大人自身がもっともっと豊かなものを自分のまわりに見つける、あるいは自分で創り出していく、ということをやっていかないと、社会全体が貧しくなっていく気がします。  そんな中にあって、私はオペラを子ども達にプレゼントしようと思っています。オペラシアターこんにゃく座のオペラ『ロはロボットのロ』です。本物のオペラです。 オペラ『ロはロボットのロ』|オペラシアターこんにゃく座 旅公演レパートリー  1ステージ80万円もかかります。決して安くはない価格です。でも、何人かで、子ども達に心豊かなものをプレゼントしよう、と思えば、全く不可能な額ではありません。子ども達のために1万円出そうという人が80人集まれば実現できるのです。ゲームじゃなくて、オペラをプレゼントする。なんだかそれ自体に夢があって、わくわくしませんか?  子ども達にオペラをプレゼントするのは、子ども達に心豊かに育って欲しいからです。子ども達の未来を豊かにしたいからです。ゲームで育った子どもの未来は、あまりいい未来を想像できません。でも、オペラを聴きながら育った子どもの未来には、何か夢があります。オペラという夢の世界が作り出す未来。     未来は行政が作るのではなく、自分たちで作り出すものだと思います。何もしなくても未来はやってきますが、希望の持てる未来、わくわくするような未来は自分の手でしか作り出せません。  オペラを子ども達にプレゼントする試みは、未来を自分たちの手で作り出す小さな試みといっていいと思います。私たちの手でどんな未来が作り出せるのか、「子ども達にオペラを・ゆめ基金」のプロジェクトは、子ども達にオペラをプレゼントする活動を通して、そのことを一緒に考えていこうと思っています。   オペラの公演は3月25日(土)です。場所はみどりアートパークのホールです。チケットは大人4000円、子ども500円、中高生2000円です。席の数が300ですので、4,000円のチケットが300枚売れて、ようやく収支がとんとんになります(公演費用、会場費、印刷代、歌のワークショップ費用、ピアノの調律代などを入れると、総費用は約120万円)。ですから子どもチケット、中高生のチケットはプレゼント価格です。  そのプレゼント分約60万円を寄付でまかないたいと考えています。  子ども達に素敵なオペラを見せたい、ひとときの夢の世界をプレゼントしたい、そんな思いに共感される方、ぜひ寄付をお願いします。パン屋、カフェ、おひさまの台所、わんどに寄付箱があります。遠くの方は郵便局の振替口座をご利用ください。パン屋、カフェでは寄付金付きコーヒー1,000円もあります。また大人チケットは寄付金付きチケット5,000円もあります。大人の方はなるべくこちらの購入をお願いします。  振替口座は 口座記号 00260-4  口座番号 97844        加入者名 NPO法人ぷかぷか    地域の子ども達のために一肌脱ぐ大人のネットワークを作りたいと思っています。地域の未来のために本気で汗をかく大人です。    オペラの歌役者と一緒にオペラを歌う「歌のワークショップ」を3月4日(土)午後1時からみどりアートパークリハーサル室でやります。プロの歌役者さんと一緒に歌う機会なんて、そうそうありません。定員40名です。チケット販売所(ぷかぷかのアート屋わんど、みどりアートパーク)でお求めください。   ★チラシを配る、チケット売る、寄付を集めるなど、お手伝いしたい方、連絡ください。 pukapuka@ked.biglobe.ne.jp     045-453-8511 ぷかぷか事務所 高崎                    「子ども達にオペラを・ゆめ基金」代表 高崎明     pukapuka-pan.hatenablog.com pukapuka-pan.hatenablog.com  
  • 「一緒に生きた方がいい」という言葉は衝撃でした
     NHKラジオ深夜便を聞いて愛知県から訪ねてきた人がいました。その方からのお便りです。    《 「障がいのある人たちとは一緒に生きた方がいい」という言葉をラジオで聞いたときは、その真意がよくわかりませんでした。相模原事件の容疑者のような「障害者は必要ない」という感覚を事件の報道で聞いたとき、否定しきれない自分がいました。自分の中にも彼らを別な世界の人として意識の外に追いやろうとしている感覚が確かにあります。また同時に自分は「障害」というものについてあまりに無知であることも突きつけられました。  事件後、地元の新聞にダウン症を持つ親のインタビュー記事が掲載されていました。その中で「この子がいなければいいのに」と言ったことが一回だけあったという告白がありました。障害のある子を持つということは、想像を絶する深い葛藤があるのだと思わずにはいられませんでした。  それ故、余計に高崎さんの「一緒に生きた方がいい」という言葉は衝撃でした。決して表面的な人道主義の観点ではなく、ご自身の経験から実感として導き出された言葉のように思えたからです。 》    そんなことがあってぷかぷかに見学に来られました。私の話だけではなく、実際に彼らに会うのがいいと思い、ごちゃごちゃといつ始まっていつ終わったのかわからないようなカオス状態の帰りの会に参加してもらいました。その感想です。    《 障がいを持つ彼らと接して感じたことは、何よりもまず表情が明るいということです。彼らの笑顔が脳裏に焼き付いています。幼い子どものような、ひょっとしたらそれ以上の笑顔に感じました。高崎さんのおっしゃっていた「癒やされる」という意味を垣間見たように思います。今まで感じたことのない感覚でした。 》    すごく新鮮なものを感じました。ふだん、障がいのある人と接したことのない人にとって、ラジオから聞こえてきた「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」という言葉は、信じがたい言葉だったのだと、お手紙を見て気がつきました。それでも、そのまま聞き逃せない感じがして愛知県からわざわざ来てくれたようでした。  言葉には人を動かす力があるのですね。      
  • 気づきを共有したかっただけなのに
     障がい児者を支援するネットワークのFacebookに時々ブログを投稿していましたが、事務局から投稿を断られました。理由は    ・個人的な意見、参加団体の特定な考え方、宣伝などを発信する場所でもありません。 ・facebookへの投稿は1週間に一度程度   ということだそうです。    日本財団のセミナーに参加すると、セミナーの終わりに、座ったテーブルごとにその日のセミナーでの気づきの共有をします。どんなことに気づいたかをお互い発表し合い、意見を言い合い、気づきを共有します。同じセミナーを受けながら、人によって受け止め方がちがうので、新しい発見もあります。最後にテーブルごとに共有したものを全体に向けて発表します。それぞれの気づきは紙に書き、ネット上でも公開されるので、それを読んでいく中で更に新しい気づきが生まれることもあります。  気づきは、新しいものを生み出していくきっかけになります。新しいものが生まれるから、私たちは未来にわくわくするような希望を持つことができます。それが私たちの今を支えてくれます。新しいものの生まれない未来は、なんの魅力もありません。    ブログは日々の出来事の中で見つけた新しい気づきです。いろんな気づきの中で、みんなで共有したいものをネット上にアップしています。  つい先日アップした「リスク100%」は「障がいのある人たちは社会に合わせないとやっていけない、彼らのありのままで接客なんかできるわけがない」という障がいのある人たちへの視線をひっくり返すような気づきでした。こういう気づきをたくさんの人と共有できれば、障がいのある人たちばかりではなく、まわりの人たちも楽になります。  ぷかぷかに見学に来られたダウン症の子ども達のお母さんたちに、ツジさんのお母さんの「見当違いの努力」の話をしたとき、一人のお母さんが涙をこぼされました。子ども達を社会に合わせるために、日々大変な努力をされていたのだろうと思います。その努力が実は見当違いだったのではないか、というツジさんのお母さんの気づきに、救われたのだと思います。 pukapuka-pan.hatenablog.com    気づきの共有は、こんなふうに人を救い、生きることを楽にすることもあるのです。気づきを共有することは、人生の幅を広げ、豊かにします。  私がFacebookに投稿するのは、そんな思いからです。  それを「個人的な意見、参加団体の特定な考え方、宣伝など」にあたるとして、拒否されました。ま、いろいろ考え方があるにせよ、障害児者を支援するネットワークがこんな視野の狭いことやってるようでは、新しいものは何も生まれないばかりか、結局のところ困るのは当事者のような気がします。    いずれにしても、もうあきれてしまって、このサイトには投稿しないことにしました。        
  • リスク100%
     先日の朝日新聞「折々のことば」   《 人生は挑まなければ、応えてくれない。         うつろに叩(たた)けば、うつろにしか応えない。》    全くその通りだと思いました。  ぷかぷかを始めるとき、尊敬する先輩から、60才での起業は体力、気力ともリスクが多いからやめた方がいい、とさんざん言われました。それでも障がいのある人たちと一緒に生きていく場をどうしても作りたくて、リスクを覚悟で始めたぷかぷかでした。1年目はほんとうにきつい日々でしたが、それでもなんとか順調に回り始め、6年たった今は毎日がとにかく楽しくて、60過ぎてこんなに楽しい人生がくるとは思ってもみませんでした。  人生のみならず、事業においてもやっぱり「挑む」というところがあったからこそ、ぷかぷかは様々なわくわくするような物語を生み出したのだろうと思います。   1月3日の神奈川新聞の記事について、ぷかぷかの雰囲気は、接客の講習会でマニュアル通りにやる「ぷかぷかさん」たちのふるまいが「気色悪い」と思ったことから始まった、と書きました。この時はマニュアル通りやる方がずっと楽だったはずです。その通りにやれば、失敗はしないのですから。マニュアルを使わず、彼らの魅力で勝負する、なんてことはリスク100%といっていいくらいでした。障がいのある人たちは社会に合わせないとやっていけない、彼らのありのままで接客なんかできるわけがない、と世の中の多くの人は考えています。   かわいい女の子に惚れたというなら、その魅力は誰にでも伝わります。でも、障がいのある人たちに惚れたとなると、その魅力がすぐにわかる人はほとんどいません。彼らの魅力で勝負する、というのはそういうことです。ほとんど勝ち目のない戦いに挑んだ、という気分でした。  ところが、彼らのありのままの接客に、「心が癒やされました」「あたたかな気持ちになりました」「ぷかぷかが好きになりました」という思ってもみない反応が現れたのです。  これは障がいのある人たちを見る社会の目をひっくり返すほどの大変な出来事でした。  ぷかぷかのおもしろい物語はここから始まりました。もしあの時、どこの福祉事業所でもやっているように接客マニュアルを取り入れてやっていたら、それはごくふつうのことで、おもしろいことなんか一つも起こらなかったと思います。    一昨年の「絵地図物語」も、地産地消ブースをデザインする、という今まで経験のない仕事に「挑む」ことで生まれました。 pukapuka-pan.xsrv.jp  この絵地図製作がきっかけで、緑区役所の人権研修会の講師に呼ばれ、私一人ではつまらないと、メンバーさん三人も一緒に講師をするという前代未聞の人権研修会もやりました。 pukapuka-pan.hatenablog.com  思いつきで挑んだブースのデザインが、こんなことにまで広がったのです。ぷかぷかのおもしろさはこういうところにあります。     近々のチャレンジは藤が丘駅前のマザーズの壁面作りです。藤が丘駅から降りてくるお客さんに目に真っ先に飛び込むマザーズの正面の壁を「ぷかぷかさん」たちの楽しい絵で飾りたいと思っています。社長の説得がまずあります。どのように口説き落とすか。先日のNHKラジオ深夜便を聞いていろいろ思うことがあった、とおっしゃっていたので、「ぷかぷかさん」の絵で飾ることについての説得は、かなり可能性はあります。ただ、お店の正面の壁になるのか、横の通路の壁になるのか、ここはかなり微妙なところです。私としてはいちばん目立つ正面の壁で勝負しようと思っていますが、かなりハードルの高い挑戦になります。でもハードルの高い方が、チャレンジするにはおもしろいですね。  壁面製作はライブです。アート屋わんどで製作したものを運んでくるのではなく、その場で「ぷかぷかさん」たちが描きます。江原さん(日本フィルハーモニーのチェロ奏者)の都合があいていれば、チェロの演奏も入れようかなと思っています。藤が丘の駅前にチェロの音色が響き、その中で「ぷかぷかさん」たちが楽しい絵を描きます。なんだか考えただけで楽しいです。  街の人たちも障がいのある人も、みんなで楽しめるライブペイント。彼らといると楽しいよね、ってみんなで思えるライブイベント。藤が丘の駅から降りると目に飛び込んでくる楽しい絵。みんなの心を、ぽっとあたたかくする絵。みんなの心を癒やす絵。彼らは街にいた方がいいよね、ってみんなで思える絵。  相模原事件を超える社会は、こういったことを積み重ねて生まれるのだと思います。    1月末には「第3回表現の市場「があります。第三期目のワークショップの発表会です。ワークショップは、いつも挑戦です。本番まで、どうなっちゃうのか全くわからない部分がずっとつきまといます。ワークショップの進行は演劇デザインギルドにお願いしていますが、芝居は、ほうっておいてできるものではありません。ああだこうだ議論し、実際にものを作り、それをぶつけ合う中でできてきます。「ぷかぷかさん」たちはいつも想定外のことをやってくれて、それがまたおもしろいのですが、こちらが考えたシナリオ通りにはいかないところが、ハラハラしながらの本番です。何回経験しても、安心して見ていられないところがワークショップの発表会の楽しさです。    
  • 気色悪さのヒミツ
     神奈川新聞1月3日版のトップページをツジさんの話が飾りました。 www.kanaloco.jp  相模原事件を受け、多様性を尊重しあえる地域社会にするには何が大切か、障害者らの笑顔のストーリーを重ね、ともに生きる証しを求めたい。というシリーズの第1回目で取り上げられました。  この記事で取り上げられているぷかぷかの雰囲気は、はじめからこうしようということで始まったわけではありません。今まで何度か書いていますが、きっかけは接客の講習会でした。私は養護学校の教員をやっていたので、お店を始めるとき、接客の仕方が全くわかりませんでした。それで講師を呼んで、接客の講習会をやりました。接客マニュアルというのがあって、「いらっしゃいませ」「お待たせしました」といった言葉も全部決まっていて、それ以外は言うな、ということでした。両手を前に合わせて決まり文句を言います。で、実際ツジさんたちがやると、もっともらしくというか、一見立派な社会人になったような雰囲気にはなるのですが、私はただただ気色悪い気がしました。  私が惚れ込んだツジさんがそこにはいないのです。ただただ接客マニュアルに無理して合わせた気色の悪いツジさんが立っているだけでした。私は養護学校の教員時代、障がいのある人たちに惚れ込んで、定年退職を機に「ぷかぷか」を立ち上げました。惚れ込んだ彼らが、彼ららしくいられないなら、「ぷかぷか」を立ち上げた意味はありません。  ツジさん以外の何人かのメンバーさんにもやってもらいましたが、誰がやっても気色悪さは変わりません。もう講習会はやめました。「多様性を大事にしたい」とかいった理屈っぽい話ではなく、「気色悪い」という感覚的な判断です。その時の判断が今のぷかぷかの雰囲気を作り出しています。  接客マニュアルに合わせる、というのは、いわば社会に合わせることと同じです。社会に合わせようとした彼らの姿が「気色悪い」という印象をもたらしたことの意味は大きいと思います。無理して社会に合わせることは自分を押し殺すことです。自分を押し殺した彼らの姿は、私には痛々しく、見るに耐えなかったのです。  自分を殺さないと彼らは社会に中で生きられないのか、ということです。生きるってどういうことなのかを、あの時の彼らは私に問いかけていたように思うのです。自分を殺して生きることが、ほんとうに「生きる」ということなのか。  私は彼らと一緒に生きていこうと思って「ぷかぷか」を立ち上げました。一緒に生きていこうとしている仲間が自分を押し殺している。もう耐えられない気持ちでした。あの時の彼らの姿はただただ痛々しく、気色悪かったのです。もうやめて欲しい、と。  社会の多くは、障がいのある人たちは社会に合わせるべく努力すべきだと思っています。ツジさんのお母さんもそういう努力をしてきました。でも「ぷかぷか」でツジさんがありのままのツジさんで働き、しかもそのことで収益を上げている姿を見て、今までやってきた努力はなんだったのか、「見当違い」だったのではないか、と思うようになりました。これはものすごく大きな気づきだったと思います。それまでの生き方をひっくり返すような、それくらい大きな気づきだったと思います。「生きることが楽になった」ともおっしゃっていました。  「ぷかぷか」に来るお客さんの多くが「ホッとする」といいます。そのことの意味を考えるとき、「ぷかぷかさん」たちの働く姿は、私たちにとても大切なものをもたらしている気がするのです。  気色悪さのヒミツを考えるとき、病んでいる社会が見えてきます。    ★相模原事件に関連してこういう記事をトップに持ってくるなんて、神奈川新聞も気合いが入っているなと思いました。    
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