ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • レクイエムー未来への希望をもたらす演奏
     表現の市場の「レクイエム」の演奏シーンをYouTubeにアップしました。これを聞きながら相模原障害者殺傷事件で犠牲になった方々のことを思い浮かべてください。そしてどうしてあのような事件が起こったのか、どうしてなんの罪もない障がいのある人たちが殺されてしまったのか、考えてみてください。単なる容疑者の特異性の問題なのか、容疑者を生み出した社会には問題はなかったのか、あるいは私たちの障がいのある人たちの受け止め方はどうだったのか、等々、考えてみてください。  考えて、考えて、考え抜くことでしか、相模原障害者殺傷事件は超えられません。 www.youtube.com  この演奏がぷかぷかで働いているダイちゃんとのコラボで成り立ったことの意味は大きいと思います。相模原障害者殺傷事件を超える未来への希望をもたらす演奏だった気がします。 ★撮影は信田眞宏さんです。
  • 殺風景だった通路が、心あたたまる通路に変身
      藤が丘駅前の大きな自然食品店「マザーズ」の壁をぷかぷかさんたちの絵で飾ろうと思っています。駅前の通路に面した壁です。   藤が丘の駅前から見て正面の太い柱の左側の面に「え?なに?あの絵、面白いじゃん」て思えるような思いっきり楽しい絵を飾ります。駅前からお客さんを引っぱってくるのです。左側奥に延びる通路の壁に絵を飾ります。  今日は、自然食を象徴する野菜の絵を描きました。  長ネギくん  ブロッコリーさん  ジャガイモくん カボちゃん ゆずくん 長いもさん    こんな楽しい絵が飾られます。    先日、ぷかコレ秋のファッションショーのモデルのお姉さんたちを飾ってみました。通りかかったお客さんが「や〜、楽しい!何が始まるんですか?」なんて言ってました。    カフェの壁を飾っていた春の絵も飾ってみました。今日はこの絵に季節が更に進んで、すっかり春らしくなりました。 上の絵が春に!    殺風景だった通路が、ぷかぷかさんたちの絵を飾ることで、思わずニッと笑ってしまったり、心あたたまる通路に変身します。ぷかぷかさんたちの絵は、窮屈な社会の中で、ガチガチにこわばった心と身体を、ふっとゆるめてくれます。  一ヶ月か二ヶ月ごとに絵を変えていきます。通路を通る人たちが絵の変わるのを楽しみにし始めます。頃合いを見て、ライブペインティングをやります。通りがかりの人も参加できるようにします。ぷかぷかさんと一緒に絵を描くのです。ぷかぷかさんといっしょに生きる、そんな街がここから始まります。   こんな絵が街にあると楽しいね、っていう声が出てきます。そんな声が、こんな絵を描く人が街にいるといいよね、っていう思いにつながっていくといいなと思っています。  こういったことを積み重ねることで、相模原障害者殺傷事件を起こしてしまった社会を超えることができるように思うのです。  
  • 支援はしていたけれど、人として出会ってなかった
     ぷかぷかの本を出す出版社の方と打ち合わせをした時、相模原障害者殺傷事件が話題となり、「どうして福祉事業所の職員だった人が、あんなことをやったんですか」と聞かれました。そのときはうまく説明できなかったのですが、その問いだけはずっと気になっていました。  障がいのある人たちに一番接している人がどうしてあんなひどいことをしたのか。やっぱり障がいのある人たちと「人として出会ってなかった」のではないかと思います。支援はしていたけれど、人として出会ってなかった、ということです。人として出会っていれば、多分あそこまでひどいことにならなかっただろうと思います。そこに「人であることの意味」があるように思います。    私は養護学校で働き始めた頃、障がいのある人たちに自分が人であることを気づかせてもらったと思っています。彼らのそばにいると、ただそれだけであたたかい気持ちになりました。やさしい気持ちになれました。  会社勤めをやっている頃はそんな気持ちになったことはありませんでした。仕事でおつきあいする人のそばにいて、あたたかい気持ちになったり、やさしい気持ちになったことはありませんでした。人としての感覚を忘れていた気がします。  障がいのある人たちとおつきあいが深まる中で、月並みですが、人間ていいなってしみじみ思いました。彼らのそばにいて、あたたかな気持ちになれる感じが、なんともいえずよかったのです。障がいのある人たちが、人としての感覚を呼び覚ましてくれたと思っています。  立場上、私は教員でしたが、教員である前に人として彼らの前に立っていた気がします。彼らとの楽しい日々の中で、つい教員であることを忘れ、人として彼らの前に立ってしまっていた、という感じです。    以前も書いたことですが、こんなことがありました。クラスのみんなで大きな犬を紙粘土で作ったときのことです。小学部の6年生です。何日もかかって作り上げ、ようやく完成という頃、けんちゃんにちょっと質問してみました。 「ところでけんちゃん、今、みんなでつくっているこれは、なんだっけ」 「あのね、あのね、あの……あのね…、え〜と、あのね…」 と、一生懸命考えていました。なかなか答えが出てきません。 「うん、さぁよく見て、これはなんだっけ」 と、大きな犬をけんちゃんの前に差し出しました。けんちゃんはそれを見て更に一生懸命考え、 「そうだ、わかった!」 と、もう飛び上がらんばかりの顔つきで、 「おさかな!」 と、思いっきり大きな声で答えたのでした。  一瞬カクッときましたが、なんともいえないおかしさがワァ〜ンと体中を駆け巡り、思わず 「カンカンカン、あたりぃ! 座布団5枚!」 って、大きな声で叫んだのでした。  それを聞いて 「やった!」 と言わんばかりのけんちゃんの嬉しそうな顔。こっちまで幸せになってしまうような笑顔。こういう人とはいっしょに生きていった方が絶対トク!、と理屈抜きに思いました。  もちろんその時、 「けんちゃん。これはおさかなではありません。犬です。いいですか、犬ですよ。よく覚えておいてくださいね。い、ぬ、です。わかりましたか?」 と、正しい答をけんちゃんに教える方法もあったでしょう。むしろこっちの方が一般的であり、正しいと思います。まじめな、指導に熱心な教員なら多分こうしたと思います。  でも、けんちゃんのあのときの答は、そういう正しい世界を、もう超えてしまっているように思いました。あの時、あの場をガサッとゆすった「おさかな!」という言葉は、正しい答よりもはるかに光っています。  あの時、あんな素敵な言葉に出会えたこと、そしてけんちゃんに出会えたこと、それを幸福に思っています。幸福に思うことこそ、人と人の関係では正しいのだと思います。だからけんちゃんと私の間では「おさかな!」が正しかったのです。    容疑者が、障がいのある人たちとこんな出会いをしていれば、あんな惨劇は絶対におきなかったと思います。  優生思想を超える、といった小むつかしい話ではありません。彼らと楽しい出会いをすること、ただそれだけで、相模原障害者殺傷事件を生むような社会を変えることができると思うのです。           
  • 逸失利益の問うもの
     昨日に引き続き、障がいのある人が亡くなったときの逸失利益の問題です。 NHKニュースでは二つの事例が紹介されていました。    大分県で特別支援学校の男子児童が死亡した事故では平成16年、大分地方裁判所が「医療技術の進歩を考慮しても児童が将来、働けるようになる可能性を認めるのは難しい」として、県が逸失利益を支払う必要はないとする判断を示しました。 これに対し、16歳の少年が施設で死亡した事故で、青森地方裁判所は平成21年、「健常者と同じ程度ではなくても、徐々に働く能力を高めることができた可能性があった」として、県の最低賃金をもとに600万円余りの逸失利益を認めました。    前者の判決は、働けなければ、生み出すものは何もないといっています。裁判官には働けない人が生み出すものの価値が見えなかったのではないかと思います。  後者は前者よりはましだと思いますが、働く能力に限っての判断なので、やっぱり引っかかります。    わかりやすく、セノーさんを例に出します。   働く能力、といったところで見ると、セノーさんはかなり厳しいと思います。気がつくと仕事中でも寝ていることが多いし、トイレに入ると仕事があってもなかなか出てきません。ぷかぷかに来る前の作業所で自分の居場所を失ったのもわかる気がします。ではぷかぷかでどうしてセノーさんの居場所があるかというと、セノーさんの作り出すなんともいえないあたたかな、楽しい雰囲気を、みんなが評価しているからです。その雰囲気が大事だとみんなが思っているからです。  毎日郵便局に入金にいきます。「ああああ…」といってなかなか言葉が出てこないのですが、それでいてなんとも楽しい雰囲気を作り出し、郵便局のお姉さんたちには大人気です。お姉さんたちの中にあった「障害者」のマイナスイメージを多分ひっくり返しています。セノーさんを見るお姉さんたちのあたたかな目がそれを物語っています。  仕事がよくできる方が郵便局に行っても、多分こういう関係はできません。今社会に必要なのは、先日も書きましたが《「ぷかぷかさん」といえば「ああ、ぷかぷかさん」とやさしくこたえてくれるような関係 》です。こういった関係は社会を豊かにします。それをセノーさんは作ってくれたのです。社会にとって、すばらしい仕事をやってくれたと思います。    セノーさんはぷかぷかに居場所があります。セノーさんが安心していられる場所は、誰にとっても居心地のいい場所です。ぷかぷかさんたちにとってはもちろん、お客さんにとっても居心地のいい場所です。「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファン」という方が多いのも、その居心地のよさを感じる方が多いのだと思います。  セノーさんが生み出すものをきちんと評価すると、こういう居心地のいい場所ができるのです。逆にそういったものを評価する目を持っていないと、どんどん窮屈な世の中になっていきます。  障がいのある人たちの逸失利益の問題は、私たちの生き方が問われているように思います。         
  • 彼らが生み出す価値をどう評価するのか
     障がいのある人の逸失利益が裁判で争われます。 www3.nhk.or.jp  この逸失利益は働いて得るお金だけでしょうか?その人が生きて生み出す価値の総体こそ問題にしないと、障がいのある人たちの生きている意味が見えなくなります。  ぷかぷかはたくさんのお金を生み出すところではありません。でもお金に換算できない「豊かさ」はしっかり生み出しています。つい先日の「表現の市場」はどうだったでしょう。  「表現の市場」の素晴らしさは、障がいのある人たちの持っている力に寄るところが大きいです。彼らがいなければ、「表現の市場」の豊かさは生み出せませんでした。そんなふうに社会を豊かにするものをきちんと評価する目を持たないところで、たとえば相模原障害者殺傷事件の容疑者のいう「障害者はいない方がいい」とか「生きている意味がない」といった言葉が生まれるのではないでしょうか。  お金では計れない価値を彼らは生み出しています。そのことをきちんと評価する目を私たちが持っていれば、社会はもっともっと豊かになる気がします。  彼らが生み出す価値をどう評価するのか、裁判はそのことが問われているように思います。     
  • こんな心があたたかくなることがあるから、ぷかぷかの人たちと舞台に出たいって思う
     表現の市場前日にhanaちゃんと一緒にワークショップに参加、なんの違和感もなく舞台に立った花岡さんの感想。 ameblo.jp  花岡さんは第一期のワークショップの記録映画『ぷかぷか』を見て感動し、以来何かとぷかぷかと関わり、第二期ワークショップではhanaちゃんと参加し、舞台にも一緒に立ちました。今期はなかなか都合がつかなくて参加できなかったのですが、前日にようやく参加。大丈夫かなと心配していたのですが、花岡さんもhanaちゃんもなんの違和感もなく入ってきて、当たり前のように本番の舞台に立ちました。  花岡さんもhanaちゃんも、ワークショップの場に慣れていたことと、ぷかぷかが当たり前のように二人を受け入れたことが大きかったと思います。  二人はトラグループに入ったのですが、何も教えないのにhanaちゃんは「アルゴリズム体操」のグールグルをすぐにやっていました。hanaちゃんは参加者の中ではいちばん重い障がいを持った子どもですが、グールグルをすぐに始めたhanaちゃんを見ていると、障がいが重いってなんなんだろうという気がします。この子にはわからないんじゃないかっていう雰囲気のhanaちゃんですが、その場で何をやっているかはちゃんと察知して、気がつくとこんなことやっていました。隅に置けない人だと思いました。    舞台の袖で出番を待っているhanaちゃん。緊張しています。    リハーサルの舞台。お母さんと一緒にちゃんと舞台に立っています。    重度の障がいを持った子どもと一緒に、こんなふうに楽しく立てる舞台がぷかぷかの舞台だと思います。 
  • 「ぷかぷかさん」というとき「ああ、ぷかぷかさん」とやさしいこたえがかえってくるような社会
     栗原貞子さんの詩に    「ヒロシマ」というとき「ああヒロシマ」とやさしくこたえてくれるだろうか…   という言葉で始まる詩があります。「ああヒロシマ」とやさしいこたえがかえってくるためには、わたしたちは何をしなければならないかを語った詩です。    先日オーヤさんの感想の最後にあった 《 本番の次の日、乗っていたバスの窓から、野菜をせっせと運ぶスタッフとぷかぷかさんを見つけ、「今日もこの街を耕してくれてるんだ」と、この日常の風景にもまた私は自然と笑顔になっていました。 》 の部分を読みながら、ふいにこの詩の始まりの言葉を思い出していました。    「ぷかぷかさん」というとき「ああ、ぷかぷかさん」とやさしくこたえてくれるだろうか    オーヤさんは、それをやってくれているんだと思ったのです。乗っていたバスの窓から、野菜をせっせと運ぶスタッフとぷかぷかさんを見つけ、「今日もこの街を耕してくれてるんだ」と笑顔になった、というのですから。  「障害者」と聞いただけで、なんとなくいやだなとか、おつきあいしたくないな、と思う人の多い社会です。「うちの近所には住んで欲しくない」と「障害者のグループホーム、絶対反対」と大書した看板を街道沿いに立てた住民もいました。そのことでグループホームの計画がつぶされました。そして相模原障害者殺傷事件。  そんな社会にあってオーヤさんのこの感覚は、時代のはるか先を行っている感じがするのです。しかもその感覚が、ぷかぷかとのおつきあいの中で生まれた、ということがとてもうれしいです。    相模原障害者殺傷事件を超える社会とはどういう社会なのか。それは、たとえば  「ぷかぷかさん」というとき「ああ、ぷかぷかさん」とやさしいこたえがかえってくるような社会  ではないかと思うのです。そんな社会を作っていくヒントをぷかぷかは作り出しているのではないか、とオーヤさんの感想読みながら思いました。   オーヤさんの感想はこちら pukapuka-pan.hatenablog.com    そういえば以前、団地の中でぷかぷかしんぶんをポスティングしているうちに、どっちを見ても同じような建物が並んでいて、迷子になってしまったメンバーさんがいました。そのとき「今、うちの近くでぷかぷかさんが迷子になっていますよ。迎えにきてあげてください」と電話がかかってきたことがありました。そのときの「ぷかぷかさん」ていう言い方が、とてもやさしい響きを持っていました。  そんなおつきあいを日々の活動の中で作り出すこと、そのことがとても大事な気がしています。     栗原貞子さんの詩はこちら  takasakiaki.hatenablog.com  
  • キフ男くんが登場
     オペラ『ロはロボットのロ』の公演に向けて、寄付を呼びかける「キフ男くん」が登場しました。  ヨッシー画伯の作品です。昨年は「キフ子さん」が登場し、たくさんの素敵なお話を提供してくれました。今回のキフ男くんのまわりには、どんなお話が展開するのでしょう。最終的には3月25日(土)の『ロはロボットのロ』の公演会場でキフ子さんと出会うといいなと思っているのですが、思惑通りに話が展開するのかどうか。  キフ男くんにはしっかり寄付を集める仕事をして欲しいのですが、初日から「?」が描いてあったりして、大丈夫かなと不安になります。     オペラ『ロはロボットのロ』の公演には、公演費用、会場費、印刷代、ピアノ調律代、歌のワークショップ費用など、約120万円ほどかかります。大人(4000円)が150人、子ども(500円)が150人入ったとして、チケットの売り上げは675,000円。残り522,000円を寄付でまかないます。(子どもを二人以上連れてくる大人がたくさんいると、チケットの売り上げが減ることになり、寄付がもっと必要になります)  そんなにたくさんの寄付を集めるなんて無理だよ、といってしまえば、この話はここでおしまいです。でも、子ども達の心を豊かにするひとときの夢の世界をプレゼントしたいって考えている人たちはきっといる、って思えば、ここから希望が生まれます。「子ども達にオペラを・ゆめ基金」のスタートです。  未来は今よりもっと素敵になる、そう信じて日々「ぷかぷか」を運営していますが、「子ども達にオペラを・ゆめ基金」も、そう信じるところから生まれた企画です。  パン屋、カフェ、おひさまの台所に寄付箱が置いてあります。そこにあなたの夢、あなたの思いを入れてください。  寄付金付きコーヒー1,000円で、パン屋、カフェで販売します。子ども達の笑顔を思い浮かべながら飲んでください。  寄付は郵便振替口座も利用できます。  振替口座は 口座記号 00260-4  口座番号 97844        加入者名 NPO法人ぷかぷか  公演のチラシはこちら http://pukapuka-pan.xsrv.jp/index.php?ロはロボットのロ%E3%80%80%E3%80%80チラシ   pukapuka-pan.hatenablog.com  
  • なんて自由なんだろう
     コンビニでバイトしている方が、表現の市場のチラシをお店においてくれました。福祉に全く関係のないこういうところでチラシを置いてくれることがうれしいですね。こういう広がりこそが、今、必要なんだと思います。そのチラシを置いてくれた方が感想を送ってくれました。 ●●● 『なんて自由なんだろう』『なんだなんだ、この衝撃的なものは…』これは率直な感想です。『障害のある人たちと一緒に過ごしていったほうがいい』高崎さんの言葉。私も幼少期から障害のある子と共に育ってきたこともあり、心ではわかっていたはずだったけれど、改めて高崎さんから言葉で聞いたとき、目が覚めた感覚でした。その答えは、表現の市場で見せるからね、と高崎さんにお誘いを受けて、娘たちを連れ表現の市場を鑑賞にいきました。温かさ・優しさ・強さ心から楽しんでるぷかぷかさんたちのありのままの姿、輝いている目、自然と支え合う心、とにかくそこにいる仲間が力を合わせるときに発揮する強さに感動‼あらじんの太鼓演奏の力強さにいきなり引き込まれ、葉っぱオールスターズのラップに涙し、デフ・パペットシアター・ひとみの人形劇に感動し、レクイエムを聴きながら、忘れてはいけない相模原事件、これから先同じような事件が繰り返し起こらないようにと心から願い、そして犠牲者の方への思いを改めて胸に。ぷかぷかさんたち主演のセロ弾きのゴーシュには、笑いもあり、感動もあり、私たち健常者では出せない何とも言えない間や表現。ここまで味が出せるのは彼等しかいない。私も娘もその魅力にすっかり引き込まれていました。終演した時の娘の言葉『障害のある人が本当に演奏をしたり、演劇をしていたの?誰がどんな障害を持っているかもわからなかったよ。本当に楽しかった、凄かった、カッコよかった!!』娘たちもぷかぷかさん達の魅力に自然と気付かされていました。障害のある人は何もできないという勝手な人間社会の思い込み、そういう大人が増えれば当然、子どもたちは、当たり前にそう思い込んでしまう。『共に生きる』事の大切さを改めて再認識しました。彼らにしかない魅力、彼等から学ぶことが沢山ある。また彼等も健常者から学ぶ事もきっとあるでしょう。『自分らしく生きていこう』と言ってもらえてる気がして、帰り道、心が軽くなる感じでした。こんな素敵な場所が私の住んでいる地域にあること、私が今、感じたことはこれからも発信し続けていきたいと思います。そして私は、学校という社会でもこんな環境がどんどん増えてくれたらいいなと強く強く思いました。学校という環境がぷかぷかのようになった時、日本の未来はとても明るいなと心から思いました。 ●●●  「帰り道、心が軽くなる感じでした。」というところがいいですね。彼らとおつきあいする、一緒に生きていく、というのは、要するにそういうことだと思います。
  • 私が真剣になり夢中になり…
     オーヤさんは子どもと一緒に毎日のようにクリームパンを買いに来たことがきっかけでぷかぷかとお友達になり、その後パン教室に来たり、わんどのワークショップに参加。そして今回演劇ワークショップに参加し、なんとみどりアートパークの舞台にぷかぷかさんたちと一緒に立ちました。本番直前には緊張のあまり、目が真っ赤になって涙がこぼれるほどでした。 ●●●   本番前、緊張と自分が勝手に作ったプレッシャーから セツさんと高崎さんの前で目から溢れるものが。 みんなで楽しむはずが、ガチガチになっていました。  本番。少し気持ちが吹っ切れ、とにかく楽しくやろう。 そうしないと、見ている家族に伝わらない。そしてこれまでの 楽しかったワークショップを思い出し、舞台にのぞみました。  本番終了。楽しかった!というよりは、来月からワークショップがないんだ。 という寂しさが。そんな風に感じた自分に少し驚きを感じました。 というのも、 私は積極的にワークショップ参加を希望したわけではありませんでした。 「今年は出るんでしょ?」「絶対楽しいって!」と高崎さんに言われても 全く参加したいとは思いませんでした。 ひと前で演技する、舞台の上に立つのが絶対嫌だったから。 そんなある日「騙されたと思って出てみたら?」の言葉で、 「娘にとっていい体験になれば」と思い、娘二人と一緒に参加する事にしました。 いざワークショップがスタート。 出されたお題を表現するにも、自分がどんな風に見えるのかを考えると 恥ずかしくて、恥ずかしくて。 でも、回数を重ねていくうちに、何をするにも一生懸命で、でも笑う時はケラケラとにかく笑う。そんなスイッチの切替がうまい高崎さんやぷかぷかさんを見て 何だか気持ちが楽になり、少し自分の殻が破れたように感じました。 9時〜16時の長丁場。毎回確かに疲れます。 でも、大声で発声したり歌ったり、夢中になって体を動かし、意見を出し合ったり、 一つの事が出来上がっていく凄さだったり、お菓子やお弁当を食べながら 皆んなで過ごす休憩時間だったり。本当に充実した時間でした。 何時間も一緒に過ごすと、今まで知らなかったぷかぷかさんを知る事もできました。 子供が大好きなぷかぷかさん 暴走するぷかぷかさんに対して、それを止めようとするぷかぷかさん 娘が泣いていたら(原因は親の私)、「俺じゃないよ」「俺は泣かしてないよ」と心配するぷかぷかさん 「午後も頑張ろう」とそっと私に宣言してくれたぷかぷかさん 静かに出来ない娘に対して注意するぷかぷかさん などなど。 「娘にとっていい体験になれば」と思い参加したのに、 私が真剣になり夢中になり、また、知らなかったぷかぷかさんの側面を愛おしく感じたり。 私をワークショップに送りこんでくれた高崎さんに感謝の一言です。 本番の次の日、乗っていたバスの窓から、野菜をせっとと運ぶスタッフとぷかぷかさんを見つけ、「今日もこの街を耕してくれてるんだ」と、この日常の風景にもまた 私は自然と笑顔になっていました。 (四角い木枠のすぐ左がオーヤさん。「よかぜとどろき」の歌を堂々と歌っています) ●●●  街を耕している、という言葉はこのプロモーションビデオの中でオーヤさんが語っています。 www.youtube.com  子どもと一緒にクリームパンを買いに来ていただけのお客さんが、ぷかぷかさんたちといっしょに舞台に立ってしまったなんて、すごいことだと思います。  《「娘にとっていい体験になれば」と思い参加したのに、私が真剣になり夢中になり》というところがすごくいいですね。よくある「福祉事業所をお手伝いした」とか「障がい者とふれあった」といったレベルではなく、オーヤさん自身が夢中になるものを見つけた、ということです。  涙が出るくらいの緊張感で舞台に立ったオーヤさん、障がい者を差別するとかいった世界のはるか先に行ってしまった気がします。今後がすごく楽しみです。
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