ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 「お互いさま」と迷惑をかけあえる世の中をめざしたいと思います
     映画を見た人のすばらしい感想が届きました。 ●●●  実際の活動の現場をお訪ねしたことがなかったので、今回の映画を観られて、ほんの一部分でしょうが、ぷかぷかの雰囲気を感じることができてよかったです。    障害のある彼らがいることで、この空気感が生まれると高崎さんはおっしゃいますが、実際には、彼らが居ればそういう空気感が自然に生まれるわけではありません。    それは、お店を始めるときに、講師を招いて接客の研修をやったところ、マニュアル通りでは、せっかくの彼らの良さが失われてしまうと、いわゆる常識的な接客に 縛られないことを、高崎さんが、ぷかぷかが選んだからこそ生まれているものです。    今の世の中、これぐらいできて当たり前、これぐらいやって当たり前という常識が あって、これに逆らうのは、意外に大変です。それぐらいカラダに染み付いています。    でも、そうだからこそ、ぷかぷかの自由な空気に、人は癒され、ぷかぷかウイルスに感染していくのでしょう。    私たちも、ぷかぷかを見習って、もっともっと自由に生きられたらと思います。    ある人が自立とは依存しないことではなく、依存先を増やすことだと言っています。    他人に迷惑をかけないように、他人に後ろ指をさされないように、失敗しないように、神経をすり減らして生きるよりも、他人に迷惑をかけるのが人間だ!と開きなおって「お互いさま」と迷惑をかけあえる世の中をめざしたいと思います。 ●●●    接客マニュアルによる接客が、メンバーさん達のせっかくのいい雰囲気をぶちこわしているというか、とにかく無理しているメンバーさんの姿が気色悪かったので、ああ、これはもうやめよう、と思ったのですが、それが今のぷかぷかの空気感を生み出すきっかけでした。いろいろ考えての判断ではなく、どこまでも「気色悪い」という直感です。その感覚が、社会の「規範」(接客するときはマニュアルにあわせねばならない、といった規範)よりも優先していたのだと思います。  この「規範から自由」という感覚は、養護学校の子ども達に教わった感覚でした。  今まで何度か書いた「フリチン少年」の話を書きます。    養護学校の子ども達と出会って、いちばんよかったのは私自身が自由になれたことです。人間はこういうときはこうしなきゃいかんとか、こういうときはこんなことしちゃいけないとか、いろんな規範があって、それに縛られています。でも、彼らとおつきあいしているうちに、そういった規範が少しずつ取れてきました。  お漏らしをしょっちゅうする子がいて、10分おきくらいにパンツをぱぁっと脱いでいました。私は 「みっともないからパンツくらいはけ」 ってパンツをはかすのですが、10分ほどしたらまたぱぁっと脱ぐのです。  パンツをはかす、彼は脱ぐ、またはかす、彼は脱ぐ、といったことを一日何回も繰り返すわけです。で、天気のいい日は中庭に出てパンツ脱いだまま大の字になって気持ちよさそうにおひさまを仰いでいるのです。そのそばで私は陰気な顔して 「パンツはけよ」 と言い続けている。おひさまのさんさんと照る中、彼は気持ちよさそうにいい顔をしている、そのそばで私は陰気な顔をしてぶつぶつ文句ばかり言っている。  そういうことを毎日繰り返していると、私は一体何をやってるんだ、ひょっとして彼の方がいい人生を送っているんじゃないかって思い始めたのです。彼の方が明らかにいい時間を過ごしているわけですから。私はなんてつまらない時間を過ごしてるんだと。そして結果的には、パンツをはかない子がいてもいいかって気持ちになってきたのです。  そうすると彼との関係が楽になってきたのです。彼が大の字になって寝てる、それをおだやかな目で見られる。 「ま、いいか」 って。 「この時間、彼のいい時間だし、大事にしよう、オレも横になるからね」 って思えるようになった。そんなふうに自分の中にあったつまらない規範が少しずつ取れていった。そうすると私自身、生きることがすごく楽になってきたのです。  養護学校に勤めて、そこで障がいのある子ども達に出会って、何がいちばんよかったかというと、この、自分自身が自由になった、そしてそのおかげで生きることが楽になった、ということです。    この「フリチン少年」に教わった自由な感覚が、ぷかぷかをスタートするにあたって、とても大事な判断をしたのです。ああもうこの気色悪い接客マニュアルはやめようって。      感想の最後にあった言葉、    他人に迷惑をかけないように、他人に後ろ指をさされないように、失敗しないように、神経をすり減らして生きるよりも、他人に迷惑をかけるのが人間だ!と開きなおって「お互いさま」と迷惑をかけあえる世の中をめざしたいと思います。    とてもいい言葉だと思います。「お互いさま」と迷惑をかけあえる世の中を、みんなで目指したいですね。  
  • ぷかぷかさんたちのおかげで、生きるってどういうことか、大切なことに少しずつ気付くことができました。
     昨日の夜中の1時前に長い長いメールが来ました。今年になってからぷかぷかに来るようになったお客さんです。 「今日、上映会には最後のトークセッションだけ参加させて頂いて、本当は思わずその場で手を挙げてでも伝えようかと思ったのですが、話すと涙が出そうで、話せずに終わってしまいました。」という書き出しではじまる、ぷかぷかに出会う前と出会ってからの長い物語が書いてありました。  一人の人間が自分の人生を生き始めた物語といっていいと思います。その生き始めるきっかけをぷかぷかさん達が作ったところがおもしろいというか、もう赤字で特筆すべきことだと思いました。「障害者に生きている価値はない」どころか、こんなすてきな物語を作るお手伝いを、飄々とやってのけたのです。あのセノーさんも含めて…。これこそ「彼らが生きている価値」であり「意味」だと思います。  ぷかぷかさん達は、また一人救ったのかな、と思いました。     ●●● 「障害者に生きている価値はない」   相模原の事件が起こった頃、テレビ番組ワイドショーのコメンテーターたちは   「容疑者の言葉が理解できない」 「こんな人が日本にいるなんて怖い」   容疑者である彼を「自分とは違うもの」「理解の範疇を超えた狂人」として、必死に「自分たち」の外側に追いやっていました。   それはイスラム国で日本人ジャーナリストが理不尽に殺されたときと同じでした。 その時も、目以外の全身を黒い布で覆った彼らを、「世界最大の悪だ」「私たちの敵だ」として、必死に「自分たちと彼らは違う!」ということをアピールしていました。   なぜ、そう簡単に「理解できない」「おかしい奴らだ」と言うのでしょう。 なぜ、彼らは自分たちとは違うんだということを、それほどまでに強調するのでしょう。 そうまでして、自分たちを正当化したいのでしょうか?   「自分たちが正しい!相手が間違っている!」という態度自体は、コメンテーターも、イスラム国の黒い男も、なんら変わりません。   もう「正しさ」を押し付け合うことでは、世界は良くならないのでしょう。   それに「自分たち」「私たち」って、誰なんでしょう。 その人たちは、法を犯すことはせず、常に社会にとっての善人であり、他人に迷惑をかけず、正義であり続け、真面目で、勤勉で、決して間違うことはないのでしょうか。   実は敵だと思っている彼らだって、「私たち」の一部なんです。   私は、相模原の犯人の「障害者に生きている意味はない」という言葉を聞いたとき、「そう考えるのも分かるなぁ」と思いました。   なぜなら、私自身、自分が生きている意味を見出せずにいたからです。   相模原の犯人は、私の一部でした。   ********   私は、小さいころから優等生で、教えられたことは何でもできて、勉強だって音楽だって体育だって良い成績でした。   私が良い成績をとって、優等生でいれば、みんな喜んでくれる。 そう思って頑張って、日本一と言われる東京大学にまで入りました。   でも、大学に入っても「やりたいこと」なんて一つもありませんでした。 気づけば親の喜ぶこと以外、成績として評価されること以外、もうずーっとやろうとしたこともありませんでした。   学校では先生の言う通りにして、親の期待に沿うように良い大学に入れば、私はずーっと人生うまくいくんだと思っていました。   でも、大学生になって、就職活動をするような時期になって、 「あなたは何がしたいんですか」 と聞かれるようになりました。   私がしたいこと?   それはあなたが求めることです。   自分から手を挙げてやりたいことなんて特にありません。 そんなのやったところで何の意味があるんですか? 評価されること以外、求められること以外、やって意味があるんですか?   私個人に、意味なんて無いでしょう?   会社は、会社にとって役に立つ人間が欲しいんでしょう。 人付き合いがうまくできて、やれと言われたことをそれなりにやって、人柄は良く、人間味はあるけど当たり障りのない人間を望んでいるんでしょう。   大丈夫です、きっと役に立ちますから。 大丈夫です、きっと、歯車になれますから。   そう思って、結局は私を「東大卒だから」という理由で採用してくれる会社に入ることに成功しました。   ********   もともと、別に就職なんてしたくありませんでした。 社会を良くしたいなんて思ったことありません。 社会貢献なんて、よく分かりません。   でも、「社会貢献したいとは思ってません」なんてことは言えないから、社会的に評価される、キラキラした人間になろうと頑張りました。   なにかを、偽っていたんでしょうね。   2013年8月、会社員3年目に、パニック障害になりました。   小さいころから、勉強だって体育だって何だって周りの人よりも出来た私が、電車にすら乗れなくなりました。 誰にでも出来るようなことが、出来なくなりました。   パニック障害になって、会社を長期間休むことになって、実は嬉しかったんです。   あ~、これでやっと、レールから外れられる! 堂々と、「私は出来ない」って言える! やったー!!   ……ただ、「出来ない」自分を受け容れることは、そう簡単ではありませんでした。   電車に乗れない、だけではありませんでした。   友人と約束しても、時間通りに出かけられない。 気分が向かなくて、ドタキャンしてしまう。   一番つらかったのは、スーパーでの買い物でした。   毎日、毎日、仕事にも行けず、家事もろくにせず、寝てばっかりのダメ人間なのに 食べ物は買わないといけない。   稼いでないのに、毎日毎日、食べなきゃいけない。   スーパーに行くと、頭痛がしてきて、頭が真っ白になりそうで、気が遠くなり、帰り道はいつも憂鬱でした。   「今日も、生産的なことは何もしなかったのに、お金を使ってしまった。」   稼いでないのに、食費ばかりかかる。   収入がないのに、支出ばかりかさむ。   私は、ただ生きているだけでは、マイナスな人間なんだ。   稼がないと、仕事しないと、社会の役に立たないと、お金ばかりかかるマイナスな人間なんだ。   夫にも、会社にも、国にも迷惑をかけるマイナスな人間なんだ。   食費をもらって、手当をもらって、医療費をもらって、私はもらってばかりで。   私が生きていて、果たして誰か幸せなんだろうか? ただ生きていることに、果たして意味はあるんだろうか? 生きているだけで良いなんて、綺麗ごとでしかない。 ただ生きているだけの私なんて、マイナスなんじゃないだろうか?   ************ 2014年、2015年 パニック障害は1年半ほどで一応完治し、その後すぐに妊娠、出産しました。 ************   2016年10月。 生後3ヶ月になった娘を連れて、長津田パオパオという子育て支援施設に遊びに行きました。   そこで配られたカレンダー、「リトミック教室」や「似顔絵」「手がた足がた」「お誕生日会」といった予定の中にひとつ、 「ぷかぷかパン販売」というものがありました。   ぷかぷかパン???   ん?浮かんでいるのかな?? それとも浮かびそうなぐらい、ふわふわなパンなのかな??   妊娠中に、よくパンを食べたくなって、界隈のパン屋は結構知っていると思っていた私が、まだ知らないパンがあった! 行ってみたい!!   ネットで、調べてみた。 ぷかぷかパンというのは、ぷかぷかなパン、ではなく、パン屋の名前が「ぷかぷか」だった!   「障がいのある人が働いています」   あ~~、こういう感じかぁ。よくあるやつだ。 障害者の人が作っているパンって、なんか汚い感じがするんだよなぁ。 ちゃんと手とか洗ってるのかなぁ。 それに、「障害者が作っているから、美味しくなくても、そこは目をつぶってください」みたいな言い訳を感じる。 お客さんのために作ってるのか、障害者に仕事を与えたくて作ってるのか、わからないんだよなぁ。   Facebookページを覗く。   えっ! なにこの「セノーさん」って!面白い!   今の時代、SNSに顔写真だって簡単に載せられないのに、顔ばかりか名前まで載ってる!! すごい!!! しかも障害のある人なのに!!親御さんたちも、自分たちの子(しかも障害者!)の顔と名前がSNSに載るのをOKしてるんだ!!! えー!!!ふつうは隠したくなるものかと思ってた!!!   なんだなんだこの場所は!!!!!!   しかも、のんびりした写真の合間に、たまにブログが挟まっている。   へー、ブログもやってるんだ。 こういう施設って閉鎖的でひっそりとやってるイメージなのに、意外だなぁ。熱心だなぁ。   おおお、相模原事件のことが書いてある。 私の周りでは誰も話題にしないけど、ずーっと気になってるんだよなぁ。 そうだよなぁ、そうだよなぁ、障害のある人が集まってる場所だから、確かに他人事じゃないよなぁ。   「障害者に生きている意味はない」なんていう言葉を言わせないぐらいの何かが、ぷかぷかにはあるらしい。   へー、行ってみたい!!!   ********   それから何度か、ぷかぷかがあるあたりの道を、車に赤ちゃんを乗せて走ってみたものの、なかなか見つからなかった。   本当にあるのかなぁ~? わかりにくいなぁ。   見つからないなぁ、と思っていたら、いつの間にか年も越して2017年の1月も終わりに差し掛かっていた。   年を越したころ、家族に「実家のある関西に帰ろう」という話が持ち上がっていた。   私も子育てを毎日一人ぼっちでやるのが辛く感じられて、自分の不自由を子どものせいにしてしまっていた。   このままだと何のために子どもを産んだのか分からなくなる。 家族が増えたら、賑やかでもっと毎日が楽しくなるはずだったのに。   実際は、言葉も通じない相手とひたすら毎日ず~っと一緒にいて、 こっちの気持ちなんて、全く分かってくれない。   おかしいなぁ、独身だった時よりも、パニック障害で一人で寝込んでいた時よりも、 今までで一番、孤独を感じる。   一人ぼっちで感じていた孤独よりも、二人なのに感じてしまう孤独の方が、絶望的で、行き場がなかった。   全然幸せじゃない。可愛いはずの子どもを、うとましく感じる。   このままの生活を続けたら、しんどい気持ちを、子どものせいにして、夫のせいにして、社会のせいにして、 自分の人生を生きないまま、終わってしまう。   そんな気持ちを、夫に話した。 夫は、何をしてもすぐにしんどくなってしまう私を、いつも受け止めてくれる。   ちょうど夫も、昔から会社を辞めて独立し、個人で仕事したいと言っていたから、 それだったらもう今辞めてくれ、会社を辞めて、実家に戻り、実家に頼りながらお互いに自分のやりたい形で子育ても仕事もすればいいと話した。   そういう話があったから、長津田での生活ももう長くない。 行きたいところには、早く行かないと。   そこでもう一度思い出したのが、ぷかぷかだった。   ぷかぷかにだけは、行かずには終われない。そんな気がした。   だからスマホで詳細に場所を調べたら、どうやら車が走る道路からは見えないらしい。 そうなんだ! 道路からは団地っぽく見えるところの、棟と棟の間みたいなところにあるらしい。   *********   そこは、未来なのか過去なのか、分からない場所だった。   団地の棟をひとつくぐると、懐かしいような、でも未だかつて見たことがないような、不思議な光景が広がっていた。   本当に、これは「今」なのだろうか。 現代社会とは切り離されているような感じもして、おとぎの国のようだ。   ここにはおそらく、評価とか、こうでなきゃいけないとか、そういうものが無いんだ。 ここにいる人たちはみんな、「自分」を生きている! 私の憧れた人たちだ。   これが「今」なんだとしたら、とんでもない出会いだ。   忘れていた自分を、思い出した気がした。   心がホッと、温かくなった。   ここには確かに、懐かしい未来がある。   ************   ずーっとFacebookで見ていた、おとぎの国の登場人物たちが、そこにはいた。   ツジさんだ!わー、揺れてる!しゃべってる!! この人は見たことがないな、でもとってもおしゃべりで、接客が得意そうだな。 セノーさんはいないのかな。   私はまるで、芸能人に会った気分だった。   何気ない日常が、いつも演劇のようで、ミュージカルのようで、なんて楽しいんだろう!   最初は「この人はどういう障害なんだろう?どう接したらいいんだろう?」と、ぷかぷかさんたちを「障害者」として見ていたけれども だんだん「この人はこういう人なんだ」と思うだけで、「障害者」として見なくなっていったことに気付いた。   おしゃべりで接客が得意な人は、ユミさんという方だった。   赤ちゃんを連れて行くと、「泣かないかなぁ、泣かないかなぁ??」と言いながら、いつも抱っこしてくれる。   たまに私が一人で行くと「まなちゃんは?今日まなちゃんはいないのー?」と残念そうにするので、なるべく赤ちゃんを連れていくことにしている。(笑)   そんな赤ちゃんをカフェに家族で連れて行ったとき、迷いながらも、赤ちゃんの前にコップの入った水を置いてくれたぷかぷかさんもいた。   チカちゃんは、確かに、愛花(娘)のことを思いながら、コップを置いてくれた気がした。   3人来たから3つ水を出す、というのではない。私たち家族一人ひとりの顔を見ながら、この人にこの水、この人にこの水、と出してくれたように感じられた。 一対一、人間と人間。そんな体当たり感すら感じられた。   「この子はまだ飲めないんだけど、ありがとう!」   そう伝えると、チカちゃんは、ちょっと戸惑ってしまっていたような様子でもあったけど、私たちが楽しそうにお茶をしているところを見て、安心してくれたようだった。   ********   赤ちゃんよりも私に近づいてきてくれたのは、郁美ちゃんだった。   郁美ちゃんはいつも、重低音ボイスでマシンガンのようにトークを繰り広げる。   早口だし何を言っているのか分からないことも多い。 よく「エハラさん」という人が出てきて、旅行の話も好きで、どうやらJALがイチ押しのようだった。   郁美ちゃんは、クチをすぼませながら重低音ボイスで「Facebookやってますか」と聞いてきて、私がスマホを出すなり友達になるよう誘ってくれた。 その様子を見ていたスタッフの方が「距離の取り方が分からなくて、いっぱいメッセージを送ってしまったりすることもあるみたいですが、大変だったらブロックして頂いて構いませんから」と声を掛けてくれた。   えー!!!ブロックなんてとんでもない!   メッセージがいっぱいで困るときは、私は「いつもはお返事できないよ」と伝えるつもりだったし、現に毎回はお返事できていないけれども、実は私は郁美ちゃんからのメッセージにとても救われた。   郁美ちゃんからのメッセージはいつも、その日あったことを箇条書きにする感じだ。   「今日はトイレ掃除をしました。カフェの準備をしました。スープの野菜を切りました。スイーツの生地を混ぜました。 ……(中略)…… 青葉台にパンケーキを食べに行きました。今日は何をしましたか?」   あっ、これ、カフェの終わりの会でも言ってたなぁ。 こういうコミュニケーションが好きなのかな? カフェで15時頃、ぷかぷかさんたちのお仕事終わりにやっていたミーティングがその日ちょうど聞こえていたので、すぐにそう思いました。   そこで私も、郁美ちゃんのフォーマットにならって、こんな風に返事をしてみました。   「今日は洗濯をしました。赤ちゃんの爪を切ってあげました。ぷかぷかに行きました。パンとお惣菜を買って、カフェにも行きました。 赤ちゃんを寝かせて、テレビを見ました。今日も良い一日でした」   「良い一日でした」というのは、ぷかぷかでは帰りの会で「今日も良い一日でしたか?」と毎日問いかけているみたいで、なんか良いなぁと思ったので、書いてみました。   そうしたら、一人ぼっちの育児で悩んでいた、毎日が単調な日々で、何も生産的なことをしていなかったはずの生活を、なんだか自分で「今日も色々あったなぁ」と認められたような気がしました。 こんな生活も、ひょっとしたら「それでいいんだよ」って言ってあげていいのかもしれない。 自分で自分に、「あなたは あなたで、いいんだよ」って言ってあげてもいいのかもしれない。 そんな風に思えました。   私が自分が生きている意味を見出せなかったのは、日々の何でもない、小さなことを、自分が認めていなかったからでした。   ぷかぷかさんたちは、日々、目の前のことに、自分の出来る精一杯で向き合い、今日という日を過ごしている。   私は、なんだか自分は大きなことを成し遂げなければいけないような気がして、 生産的なことをやらないといけないような気がして、自分に求めるハードルが高くて、 いつの間にか自分に厳しくするようになって、苦しくなっていたんだなぁ。   ******** ぷかぷかさんたちは、マニュアルじゃない、数字でもない、「名前のある接客」をしてくれる。   そんなぷかぷかに救われて、私たち家族は長津田に住み続ける選択をしました。 (夫もぷかぷかに連れていったら、チカちゃんの接客に涙を流していました。表現の市場にも一緒に行き、「ぷかぷかの近くで生きよう」と言ってくれました)   こうやってぷかぷかさんたちを身近に感じて、救われた私ですが、今もまだ、「障害者に生きている意味がある」とまでは言えません。 なぜなら「自分に生きている意味がある」と、まだ言えないからです。   でも確かに、ぷかぷかさんたちのこと、私は好きだし、ぷかぷかさんたちのおかげで、生きるってどういうことか、大切なことに少しずつ気付くことができました。   意味なんてあっても無くても、私だってただ生きていていいのかもしれないなって思えるようになりました。   相模原事件の犯人の言葉は理解できるけれども、彼の未熟だったところは、生きるということや生命ということを、一面的にしか見ることが出来ていなかったというところなのではないかと思います。   極端な思想にいってしまった原因のひとつに、意味というのは社会が与えるものだと思ってしまったことがあると思います。 人ひとりの人生を、俯瞰的、客観的、マクロ的な捉え方でしか見られていない。一面的にしか見られていないということです。   マクロ的というのは、一つは数字で見るということでしょうか。 例えば、確かに国家予算的に見れば、障害者には手当や年金、医療費等をたくさん支給することになるでしょうから、「生きているだけでマイナス」という捉え方になるということです。 これは私も自分に対してやっていたので、そうなのではないかなと思ったのですが。   ただ、マクロ的な見方だけでは、非常に苦しいです。そこには温度がありません。   ミクロ的、一人ひとりの人生を虫メガネでじーっと見てみると、障害者にだって誰にだって日々の生活があり、家族がいたり、周りに支えてくれる人がいて、温度があります。   その温度を分かろうとせずして、ましてや自分ではない他人の命に意味があるだの無いだのと言うことは浅はかなことだということは一つ言えると思います。   でも、その浅はかな行為を、私は自分自身に対してやっていました。   だから、自分が生きている意味を見いだせなかった。   子どもを産んで、夫といつも話し合って、そしてぷかぷかに出会って、日々の生活の「温度」を感じられるようになってきました。   いまや早起きができない(しない)、時間が守れない(守る気がない)、やった方がいいと分かっていることほど出来ない(やりたくない)。   そんな自分でも   「それは出来ませんので、よろしくお願いします」と言いながら、   書いても書かなくてもいいこんな文章を真剣に書いて、   なんかそんなことをしながらでも、ただ今 目の前にある生活を、できるだけ楽しく、できるだけぷかぷかと生きていこうかなって思っています。   最後に、いつも朝から準備をしてお店を毎日開けてくれているスタッフさん、メンバーさん、ありがとうございます。 素晴らしい場所だと思います。
  • 「いっしょにうたお」
     上映会で第一期演劇ワークショップの記録映画、久しぶりに見ました。  ワークショップの場の豊かさがとてもよく伝わってきます。最後の発表会の舞台がどんな風にできあがってきたのかを、とても丁寧に追いかけていて、あらためていい映画だと思いました。  「障がいのある人たちとフェアにつきあう」つまり「一緒に生きる」ということがどういうことか、それが何を生み出すかがよく伝わってきます。映画は「一緒に生きる」ことの意味をとてもわかりやすく伝えています。  芝居の最後のシーン、冬のさなかに春に咲くマツユキソウが欲しい、などととんでもないことを考えた勝手きわまる人間達をどうしようか、と神さまたちが考えるところがあります。ここはワークショップの中でどういう結末にするか一番もめたところです。いろんな意見が出て、すごく大変でした。  結局「一緒に歌おう」というセリフで、人間達と一緒に「森は生きている」を歌うことになりました。ぷかぷかのメッセージでもあります。  映画の中、子どもが人間達に  「いっしょにうたお」 って、呼びかけたとき、なぜか涙が出てしまいました。何度も見ている映画なのですが、  「いっしょにうたお」 っていう短い呼びかけが、心にジ〜ンと響いたのです。    「いっしょにうたお」は、一緒に生きていこうよ、という呼びかけです。わがままきわまる人間達に、言いたいことはいっぱいあるし、腹の立つこともいっぱいあるけれど、それでも「いっしょにうたお」と呼びかける子どもの優しい声についほろっとしてしまったのです。  人間達は社会です。その社会に対して  「いっしょにうたお」 って、呼びかけているのです。一緒に歌うと、こんなに楽しいよ、こんなにステキなものが生まれるよ、って舞台で言っているのです。    第一期演劇ワークショップの記録映画は2時間11分もの長編記録映画です。長いですが、見る価値はあります。ぷかぷかが創り出そうとしているものがとてもよくわかります。費用などはご相談下さい。045-453-8511  pukapuka@ked.biglobe.ne.jp 高崎まで。  第一期演劇ワークショップの記録映画のダイジェスト版はこちら www.youtube.com
  • プロモーションビデオ第2弾です
    プロモーションビデオ第2弾です。  映像の内容についてはこちら pukapuka-pan.hatenablog.com   プロモーションビデオは一人で見るよりも、たくさんの人たちと見て、いろいろ気がついたことを話し合うのがいいと思います。いろんな新しい発見があります。お互いが深まります。できればプロモーションビデオ第1弾、第3期演劇ワークショップの記録映画とあわせて見ると、ぷかぷかの空気感がよく伝わります。高崎を呼んでいただくと、ぷかぷかについていろんなお話ができると思います。  ぷかぷかの空気感があちこち広がっていくと、社会がもう少しゆったりします。みんなが生きやすい社会になります。   自主上映についてはこちら  http://pukapuka-pan.xsrv.jp/index.php?自主上映のすすめと申込書   www.youtube.com
  • 自主上映のすすめ
     ぷかぷかの映画の自主上映をおすすめします。  第3期演劇ワークショップの記録映画(38分)、とプロモーションビデオ2本(5分と15分の作品)あわせての上映会です。  自主上映というのは、映画館に行ったり、どこかの上映会に行くのではなく、自分で企画し、上映します。  お金がかかります。ぷかぷかの映画の場合は上記3本で3万円です。それに会場費、宣伝費などを入れると4万円くらいかかるかも知れません。そんなにお金のかかることをどうしてやるのか。    ひとことで言うと、自主上映は自分を磨き、自分を豊かにします。なぜか。  ぷかぷかの映画を人に見せたい、ということは、ぷかぷかのことをたくさんの人に知って欲しい、ということです。どうして知って欲しいのか、それを一生懸命考えます。  そのためには、ぷかぷかって自分にとってなんなのか。その意味を考えます。  どうしてぷかぷかが好きになってしまったのか、何がきっかけだったのか、それを一生懸命思い出して下さい。  楽しいよね、心癒やされるよね。それはどうしてなのか。  ぷかぷかは障がいのある人たちが働いています。社会の中ではどちらかというとなんとなく嫌われている人たちです。ところが「ぷかぷか」だと嫌われるどころか、彼らのファンが増えたりします。どうしてなのか。  相模原障害者殺傷事件の容疑者は「障害者はいない方がいい」「生きている意味がない」などと言い、社会の多くは「障害者はいろんなことができない」「役に立たない」「社会の負担」などと考えています。  でも、「ぷかぷか」で働く障がいのある人たちを見ていて、そんなふうに思えないのはどうしてなんだろう、何がちがうんだろう。    そういったことを考える作業が自分を磨き、豊かにするのです。 しかもその作業をなんとなくやるのではなく、上映料、経費をペイするという「負荷」の中でやるので、緊張感のある作業になります。それが更に自分を磨きます。    自主上映は、準備をしていく中でいろんな人を新しい出会いがあります。上映会のあと、いろんな人と話し合いをする中で、自分の中が更に深まります。そして場合によっては新しい動きなどが出てくるかも知れません。    どんなわくわくが待っているか、さぁ、新しい物語の始まりです。   ★自主上映の申込書はこちら  http://pukapuka-pan.xsrv.jp/index.php?自主上映のすすめと申込書  
  • 明日の上映会は相模原障害者殺傷事件に向けたぷかぷかのやわらかな提案
     障がいのある人たちと一緒にいて楽しいと思える関係は、豊かな空気感を生みます。空気感は社会を、ちょっとずつですか、やわらかく変えていきます。    社会の中では「障害者はいろんなことができない」「役に立たない」「社会の負担」といったマイナスイメージが一般的です。相手との関係が楽しくなくて、そこからは多分わくわくするようなものは何も生まれません。  ぷかぷかは障がいのある人たちと一緒に生きていきたいという思いからスタートしました。いろいろできないことはたくさんあっても、それを超える魅力を感じたからです。一緒にいて毎日が楽しかったからです。  障がいのある人たちとのそういった関係が何を生み出すか、といったことまでは設立当初は考えていませんでした。ただ一緒に生きていきたい、そのことだけでスタートしたのです。そのことだけでスタートしたにもかかわらず、振り返ってみると、彼らとの関係の中からたくさんの価値あるものを生み出していました。  「なんとなくいや」と思われている障がいのある人たちの働くお店が好き!という人が現れました。「ぷかぷかのファン」という人がどんどん増えてきました。別に大宣伝したわけではありません。お店に来て、心のなごむ、ホッと一息つけるような「空気感」のようなものにふれたのだと思います。  その「空気感」は、障がいのある人たちとの関係性が生み出しています。「彼らと一緒に生きていきたい」「一緒にいると楽しい」と思う関係性です。「障害者はいろんなことができない」「役に立たない」「社会の負担」と思うような関係性からは、こんな「空気感」は絶対に生まれません。せっかく一緒にいるのに、すごくもったいないと思います。  ぷかぷかが作りだしている「空気感」はみんなをちょっとだけ幸せにします。そして息苦しい社会を、ちょっとだけ変えます。  6月17日の午後上映する2本のプロモーションビデオは、その「空気感」うまく伝えています。    演劇ワークショップの記録映画は、障がいのある人たちと一緒に何が作り出せるか、を芝居作りを通して見せてくれます。彼らと一緒だからこそ創り出せる豊かな世界がよく見えます。彼らと一緒に生きる理由が見えます。  明日の上映会では相模原障害者殺傷事件に対して私たちに何ができるのか、といったことも話題にしたいと思っています。あれはけしからん、といった批判で終わるのではなく、じゃあ、私たちは何をするのか、何をすればいいのか、何ができるのか、といった前向きの話し合い、提案ができれば、と思っています。  演劇ワークショップの記録映画も、プロモーションビデオも、相模原障害者殺傷事件に向けたぷかぷかのやわらかな提案です。    
  • 言葉をしっかり受け止めてくれた人がいた
     北九州でぷかぷかの上映会を考えている西山さんのFacebook。      何をどう書けばいいのか考えても上手く書けるはずがないので思いきって書きます。 ぷかぷかの高崎さんとの出会いは4年前、私が育児でぼろぼろだった頃、ぷかぷか日記で「障がいのある人とは一緒に生きていったほうがいい」と。今までそんなストレートな言葉を聞いたことがなくて、ボロボロの私=障がいのある人、とは一緒に生きて行った方がいい、と自分を認められた気がして、いつか横浜に行こう!ぷかぷかに会いに行こう!と思ったのです。その時すでにぷかぷかウィルスにやられてたんですね。2015年、ついに家族で横浜へ。ぷかぷかでパンを買い、お惣菜を買い、カフェで美味しいランチを頂きました。ツジさんやいつものメンバーさん達。あれから随分経ちますが、ぷかぷかな日々はより進化し、新たな文化がうまれているそうなのです。 ぷかぷかさんから、「ぷかぷか」上映会のご案内を頂いたのは先週のこと。直ぐに、北九州でも上映会やりたいなぁ〜と思いました。 ぷかぷかさんは、地域の中にとけこむパン屋さん。障がいのある人たちが働いていますが、一人ひとりの魅力がいっぱい詰まっていて、障がいがあるから…と言う言葉だけでは片づけられない不思議なハテナな気持ちで溢れる場所です。一度触れたらぷかぷかウィルスにやられて幸せになります。上映会には高崎さんも来てくれます。幸せな希望の種をいっぱいばら撒いてくれるはずです。そんな心から幸せになれる上映会を一緒に開きませんか?       「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」は、理念とか理屈から出てきたものではなく、自分の気持ちを素直に表現しただけの言葉です。だからこそその言葉をしっかり受け止めてくれた人がいたのだと思います。  そこから新しいおつきあいがはじまりました。そのおつきあいの中で、今回自主上映の話が始まり、そこから更に新しいグループとの関係が生まれ、新しい物語がはじまりかけています。今日はまた別のグループとの関係が生まれたと連絡がありました。ここからどんな物語が展開していくのか、とても楽しみです。  北九州で映画を見た人が、今度は自分のところで、とぷかぷかの思いがあちこち広がっていき、そこでもまた新しい関係ができたり、新しい物語が生まれたりするとおもしろいなと思います。    障がいのある人たちと一緒に生きていくことで生まれる物語。それは社会を豊かにしていきます。ぷかぷかの映画は、それを目に見える形で見せてくれます。    6月17日(土)みどりアートパークでの上映会、ぜひお越し下さい。        
  • きっとキラキラした何かを持たれているに違いない!
     北九州市でぷかぷかの映画の上映会を考えている方がプロモーションビデオを見て感想を書きました。      昨日の「べてるの家」を見たあとなのでなおさら感じたのですが、福祉サービスの1つではあるけど、それを感じさせない職員の理念や取り組み、そこにはおそらく 支援者・利用者という関係性ではなく、同じ町に住む仲間として地域との繋がりを作っているんだろーなーと感じました。 1人1人が役割を持つのは勿論、仕事を楽しそうにされている姿や 地域の人の言葉の中に 『今までは上からみてた。』ってあったと思うんですけど、実際にはそのように感じている人もいると思います。でも、そこで同情で店を訪れるのではなくて、地域に存在する必要な資源として認められているからこそ、あのようなプロモーションもできたんだろうと感じたので、あそこまでのコミュニティーに作り上げてきた経緯やその中での支援者の姿勢、または地域に結びつけるときの周りへの働きかけや あとは利用者自身がどう変化してきて、これからどう展開していくのか…を純粋に聞いてみたいですね。 あとは、今回西山さんを通じて北九州でも上映会をってところからだと思うんですけど、逆になぜ映画にまでしてそれを広めたいと思ったのか、今の日本の福祉の在り方に対して何かを伝えたいのか…と色々と考えてて、直接会えるならそのあたりも聞いてみたいなと。。   北九州にも山口にも地域の中で機能しているコミュニティーもあるとは思います。思うというかありました。でも、やはり支援者主体な部分もあったり、利用者さん自身も福祉サービスとして捉えているような気はします。 ぷかぷかそのような事業所とは何が違うのか、そして僕自身の知見を深めていくためにも、そして常に新しい発想をするには色んな人との出会いは求めていきたいですね(^_^)   あとは、西山さんがそんなに惹かれた方なので、 きっとキラキラした何かを持たれているに違いない!と感じました。   ぷかぷか日記を見ました‼   死にたいって人にぷかぷかの映画を見せて『生きる』ってことを伝えてたり、 プロモーションとかもなぜそんなに作成しよーと動かれてるのか、、 ぷかぷかに感染って西山さんも言われてましたけど、 何がそこまで動かすのか、ら、   特別なことを言葉にしてるわけではなく、パン屋はパン屋。 劇をしたり、地域とのコミュニケーションとしてのパン教室、どこの県でもやってそうなことなのに、ここまで惹き付けるものは何があるのか、、 ぷかぷかの魅力ってなんなのか? 高崎さんの想いはどこからきてどこへ向かうのか、、   こうして考えて考えて知りたいと思うことが ぷかぷかに感染する始まりなんですかね(^_^)        文中にある西山さんはぷかぷかのホームページを見てわざわざ九州から一家4人でぷかぷかを訪ねて来るほどのぷかぷかの大ファンの方です。その西山さんが仲間に呼びかけてぷかぷかの映画の上映会をやろうとしています。    この感想に書かれているほど、ぷかぷかはむつかしいことを考えてやっているわけではなく、ただみんなと一緒に楽しいことやりたくてパン教室をやったり演劇ワークショップをやっているだけです。その結果、いろんな新しいつながりができ、そこからいろんな新しいものが生まれたのです。    大きなポイントとしては、 「障がいのある人たちと一緒に生きていきたい」 とだけ思っていて、 「支援」しようとか「なにかをやってあげる」とか「彼らを社会にあわせる」 という風に考えていないことです。  上から目線の関係ではなく、どこまでも彼らとフェアな関係です。そのフェアな関係からすばらしく豊かなものが生まれました。それを映像は伝えてくれます。    あちこちで上映会をしたいと思っているのは、相模原障害者殺傷事件を生み出すような病んだ社会を変えたいからです。みんなが気持ちよく暮らせる社会にしたいからです。    第3期演劇ワークショップの記録映画(約38分)とプロモーションビデオ2本(5分と15分の2本)をあわせて、上映料は3万円です。3万円は上映料としてはかなり安く設定したつもりです。売り上げはぷかぷかの非収益事業に回ります。演劇ワークショップは6ヶ月やって舞台で発表会をすると講師料、会場費などで約200万円のお金がかかります。助成金とカンパだけで運営しているので、とても厳しいです。  無料の映画より、有料の映画で自分に負荷をかけた方が自分を鍛えます。一人でもたくさん来てもらうために、なぜこの映画を見て欲しいのかを一生懸命相手にしゃべります。しゃべることで、いろんなことが見えてきて、自分が成長します。自分が豊かになります。  映画を見て「ああ、おもしろかった」で終わるのではなく、映画を手がかりに上映会に集まったみんなでいろんな話をしていただくのがいいと思います。話をすることでいろんな新しい発見があり、新しい出会いがあり、先へ進む手がかりがつかめます。何よりも新しい動きがはじまるかも知れません。  高崎を呼んでいただければ、ぷかぷかのいろんな話ができます。お金にゆとりがなければ、ボランティアで話をさせていただきます。ゆとりがあれば多少の講師料払っていただけるとうれしいです。高崎は貧乏なので(給料は10万円しかない上に、退職金はぷかぷかを立ち上げるときに全部使ってしまったので、老後の蓄えもなく、かつかつのその日暮らしです)遠いところは交通費をお願いします。  第3期演劇ワークショップの記録映画を作った映像作家も希望があれば呼ぶこともできます。何に惹かれてぷかぷかの映画を撮ったのかなど、いろいろ聞いてみるとおもしろいと思います。この方もお金がなければボランティア、あれば講師料払ってあげてください。  6月17日の上映会で、 「あっ、おもしろい!」 って、思われた方は、ぜひ自主上映を考えてみて下さい。自主上映をすることで、きっとあなた自身が大きく変わります。たくさんの人たちと新しい出会いがあります。自主上映はですからすごく楽しいです。そしてあなたのまわりの社会が、ほんの少し変わります。    自主上映の問合せは高崎まで    045-453-8511   pukapuka@ked.biglobe.ne.jp      
  • 空気感をたっぷり味わってください
     セノーさんのこの写真、アップしただけで600近いアクセスがありました。ぷかぷかのFacebookページではダントツのアクセス数です。    仕事中なので、本当はこんなふうに寝てたりしたらまずいのですが、でも、大人気なのです。  養護学校で担任しているとき、実習に行って、1日で実習を断られたことがありました。こんな調子で働かないからです。  卒業後行った作業所でも働かないからと結局居場所を失い、ぷかぷかにやってきました。多分こんな感じで度々寝てたのだろうと思います。  同じように寝ていても、どうしてこんなに評価がちがってくるのでしょう。一方では居場所を失い、一方ではその寝姿に600近いアクセスがある、というこの落差はどうして生まれるのでしょう。  要はセノーさんとどういうつきあい方をするか、です。セノーさんは一生懸命働く人ではありませんが、だらだらしながらも、職場にとてもいい雰囲気を作ってくれます。みんなを癒やしてくれます。そのことをみんな大事にしているので、それが外の世界にも伝わって、この寝てる写真に600近いアクセスがあるのだろうと思います。  6月17日の上映会で公開する新しいプロモーションビデオのプロデューサー信田さんは「ぷかぷかの作り出す豊かな空気感」という言葉で表現していましたが、セノーさんはその空気感を作り出す代表みたいな存在です。ですから寝てる写真にも、その空気感がにじみ出て、たくさんの人がアクセスしてくるのだろうと思います。  そしてこの空気感こそが、硬直して息苦しい社会から私たちを救ってくれるのだろうと思います。    相模原障害者殺傷事件に対して、 「あれはけしからん!」 といったメッセージではなく、ぷかぷかの作り出す豊かな空気感こそ差し出したいと信田さんは言ってました。  6月17日、ぜひ見に来てください。そしてその空気感をたっぷり味わってください。       
  • 「渋谷のラジオ」でのいちばんの発見
     「渋谷のラジオ」に行ってきました。「渋谷のラジオ」は小さいながら、「様々な多様を認め合うメディアとして、社会的なテーマも積極的に取り上げていきます」ということで、毎週火曜日、サービスグラントが様々なプロボノ活動を紹介しています。月一回pvプロボノの時間があって、今日はpvプロボノが2年続けて映像を作った「ぷかぷか」がテーマになったというわけです。    今日の司会をやったpvプロボノのプロデューサー中島さん。昨年のプロモーションビデオは中島さんが中心になって作りました。手前はコピーライターのいなおさん。    私の話はいつも通り適当にしゃべっていたので、何を話したか、横浜まで帰ってきたらもうほとんど忘れてしまいました。でも、先ほどの放送がもうアップされていましたので、興味のある方は今日の日付の「渋谷のプロボノ部」にありますので、聞いてみて下さい。 note.mu この写真が貼り付けてあるコーナーです。    昨年のプロモーションビデオを見てぷかぷかで働こうと思ったサエグサさんの話は新鮮でした。  以前はカフェのお客さんだったそうですが、プロモーションビデオを見て、 「ぷかぷかで働きたい!」「彼らと一緒に生きていきたい!」 と思ったそうです。 www.youtube.com  わずか5分の映像です。その映像が人を動かした、ということです。pvプロボノのホームページに「映像のチカラ」という言葉がありますが、サエグサさんの話を聞きながら、映像には本当にそのチカラがあるんだと思いました。映像を作る前、pvプロボノの方には「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージを込めて欲しいとお願いしました。それをどう表現するか、すごくむつかしいテーマだったと、今日も司会の中島さんがお話しされていました。  メンバーさんの楽しそうな顔、生き生きと働く姿、笑顔、笑顔、笑顔。「いっしょにいると心ぷかぷか」というすばらしいコピーが最後のさくらの花びらが散るシーンと重なります。あのシーンに感動しました、とサエグサさんはおっしゃっていましたが、映像を見た次の日にぷかぷかに電話し、面談を受けたそうです。  「一緒に生きていった方がいいよ」というメッセージがストレートに伝わったのだと思います。  今日の放送のはじめに、どうしてメッセージを映像にしたかったのか聞かれました。第一期演劇ワークショップの記録映画を見たとき、映像が伝えるものの多さにびっくりしたことがあります。それまでワークショップのことを何度もブログに書いていましたが、それをはるかに超えるものが映像からは伝わってきました。言葉を超える圧倒的なチカラを感じたのです。それがpvプロボノに映像制作を依頼するきっかけでした。  そうやってできた映像が、本当に人を動かしたこと。そのことが今日の「渋谷のラジオ」でのいちばんの発見でした。    6月17日(土)の上映会では、今年できあがった新しいプロモーションビデオも上映します。このpvは制作途中で相模原障害者殺傷事件が起こり、それへのメッセージを込めたいと思いました。プロデューサーの信田さんは映像制作を終えて次のように書いています。    今回の映像の打ち合わせが始まったのは2016年秋、当初高崎さんは7月に相模原でおきた障がい者殺傷事件に強い憤りを感じていて、事件に対する具体的なメッセージとしての映像を望んでいた。しかし具体的なメッセージを描こうとすればするほど、僕は意見の異なる人たちと同じ土俵に上がることへの違和感を感じるようになっていた。同じ土俵に上がることは同じモノサシで意見を述べることであり、「いなくなればいい」とか「いた方がいい」という直線的な論議では、ぷかぷかが生み出している豊かな空気感(仮にぷかぷか現象と呼ぶこととする)を伝えきれないと思ったのだ。もっと立体的な座標軸の中でぷかぷか現象を捉え映像にすることで、結果としてメッセージになるようにしたいと思った。    去年の映像もそうでしたが、「ぷかぷかさん」達の作り出す豊かな空気感 こそが人を動かすのだと思います。    たまたまですが、今日、渋谷からの帰り、電車の中で藤沢周平の『暁のひかり』を読みました。何度も読んだ作品ですが、朝、出がけにふっと読みたいと思い、カバンに入れて出発したのでした。  賭場で壺ふりをやっているやくざな男が主人公です。明け方、窖(あなぐら)のような賭場から出てきた主人公が、朝の光りの中で、杖をついて必死に歩こうとしている足の不自由な少女に出会います。この出会うまでの風景の描写が、何度読んでもすばらしいです。少女に出会う中で、主人公はもともとあった優しい心、まっとうな心を、つかの間、取り戻します。 「あの子が一生懸命なのが気持ちいいっていったんだ。俺にもあんな気持ちの頃があったからな。親方に叱られながら、鏡を磨いていた頃だ。腕のいい職人になることだけを考えていた」とバクチ打ちはつぶやきます。  バクチ打ちの世界から人を引っ張り上げるほどのチカラを実にうまく表現した作品だと思います。ただ作品そのものは救いのない結末を迎えるのですが…    「ぷかぷかさん」達の映像は、多分、そんなふうにして、人を変える可能性を持っている気がするのです。          
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