ぷかぷかさんたちのおかげで、生きるってどういうことか、大切なことに少しずつ気付くことができました。
昨日の夜中の1時前に長い長いメールが来ました。今年になってからぷかぷかに来るようになったお客さんです。 「今日、上映会には最後のトークセッションだけ参加させて頂いて、本当は思わずその場で手を挙げてでも伝えようかと思ったのですが、話すと涙が出そうで、話せずに終わってしまいました。」という書き出しではじまる、ぷかぷかに出会う前と出会ってからの長い物語が書いてありました。 一人の人間が自分の人生を生き始めた物語といっていいと思います。その生き始めるきっかけをぷかぷかさん達が作ったところがおもしろいというか、もう赤字で特筆すべきことだと思いました。「障害者に生きている価値はない」どころか、こんなすてきな物語を作るお手伝いを、飄々とやってのけたのです。あのセノーさんも含めて…。これこそ「彼らが生きている価値」であり「意味」だと思います。 ぷかぷかさん達は、また一人救ったのかな、と思いました。 ●●● 「障害者に生きている価値はない」 相模原の事件が起こった頃、テレビ番組ワイドショーのコメンテーターたちは 「容疑者の言葉が理解できない」 「こんな人が日本にいるなんて怖い」 容疑者である彼を「自分とは違うもの」「理解の範疇を超えた狂人」として、必死に「自分たち」の外側に追いやっていました。 それはイスラム国で日本人ジャーナリストが理不尽に殺されたときと同じでした。 その時も、目以外の全身を黒い布で覆った彼らを、「世界最大の悪だ」「私たちの敵だ」として、必死に「自分たちと彼らは違う!」ということをアピールしていました。 なぜ、そう簡単に「理解できない」「おかしい奴らだ」と言うのでしょう。 なぜ、彼らは自分たちとは違うんだということを、それほどまでに強調するのでしょう。 そうまでして、自分たちを正当化したいのでしょうか? 「自分たちが正しい!相手が間違っている!」という態度自体は、コメンテーターも、イスラム国の黒い男も、なんら変わりません。 もう「正しさ」を押し付け合うことでは、世界は良くならないのでしょう。 それに「自分たち」「私たち」って、誰なんでしょう。 その人たちは、法を犯すことはせず、常に社会にとっての善人であり、他人に迷惑をかけず、正義であり続け、真面目で、勤勉で、決して間違うことはないのでしょうか。 実は敵だと思っている彼らだって、「私たち」の一部なんです。 私は、相模原の犯人の「障害者に生きている意味はない」という言葉を聞いたとき、「そう考えるのも分かるなぁ」と思いました。 なぜなら、私自身、自分が生きている意味を見出せずにいたからです。 相模原の犯人は、私の一部でした。 ******** 私は、小さいころから優等生で、教えられたことは何でもできて、勉強だって音楽だって体育だって良い成績でした。 私が良い成績をとって、優等生でいれば、みんな喜んでくれる。 そう思って頑張って、日本一と言われる東京大学にまで入りました。 でも、大学に入っても「やりたいこと」なんて一つもありませんでした。 気づけば親の喜ぶこと以外、成績として評価されること以外、もうずーっとやろうとしたこともありませんでした。 学校では先生の言う通りにして、親の期待に沿うように良い大学に入れば、私はずーっと人生うまくいくんだと思っていました。 でも、大学生になって、就職活動をするような時期になって、 「あなたは何がしたいんですか」 と聞かれるようになりました。 私がしたいこと? それはあなたが求めることです。 自分から手を挙げてやりたいことなんて特にありません。 そんなのやったところで何の意味があるんですか? 評価されること以外、求められること以外、やって意味があるんですか? 私個人に、意味なんて無いでしょう? 会社は、会社にとって役に立つ人間が欲しいんでしょう。 人付き合いがうまくできて、やれと言われたことをそれなりにやって、人柄は良く、人間味はあるけど当たり障りのない人間を望んでいるんでしょう。 大丈夫です、きっと役に立ちますから。 大丈夫です、きっと、歯車になれますから。 そう思って、結局は私を「東大卒だから」という理由で採用してくれる会社に入ることに成功しました。 ******** もともと、別に就職なんてしたくありませんでした。 社会を良くしたいなんて思ったことありません。 社会貢献なんて、よく分かりません。 でも、「社会貢献したいとは思ってません」なんてことは言えないから、社会的に評価される、キラキラした人間になろうと頑張りました。 なにかを、偽っていたんでしょうね。 2013年8月、会社員3年目に、パニック障害になりました。 小さいころから、勉強だって体育だって何だって周りの人よりも出来た私が、電車にすら乗れなくなりました。 誰にでも出来るようなことが、出来なくなりました。 パニック障害になって、会社を長期間休むことになって、実は嬉しかったんです。 あ~、これでやっと、レールから外れられる! 堂々と、「私は出来ない」って言える! やったー!! ……ただ、「出来ない」自分を受け容れることは、そう簡単ではありませんでした。 電車に乗れない、だけではありませんでした。 友人と約束しても、時間通りに出かけられない。 気分が向かなくて、ドタキャンしてしまう。 一番つらかったのは、スーパーでの買い物でした。 毎日、毎日、仕事にも行けず、家事もろくにせず、寝てばっかりのダメ人間なのに 食べ物は買わないといけない。 稼いでないのに、毎日毎日、食べなきゃいけない。 スーパーに行くと、頭痛がしてきて、頭が真っ白になりそうで、気が遠くなり、帰り道はいつも憂鬱でした。 「今日も、生産的なことは何もしなかったのに、お金を使ってしまった。」 稼いでないのに、食費ばかりかかる。 収入がないのに、支出ばかりかさむ。 私は、ただ生きているだけでは、マイナスな人間なんだ。 稼がないと、仕事しないと、社会の役に立たないと、お金ばかりかかるマイナスな人間なんだ。 夫にも、会社にも、国にも迷惑をかけるマイナスな人間なんだ。 食費をもらって、手当をもらって、医療費をもらって、私はもらってばかりで。 私が生きていて、果たして誰か幸せなんだろうか? ただ生きていることに、果たして意味はあるんだろうか? 生きているだけで良いなんて、綺麗ごとでしかない。 ただ生きているだけの私なんて、マイナスなんじゃないだろうか? ************ 2014年、2015年 パニック障害は1年半ほどで一応完治し、その後すぐに妊娠、出産しました。 ************ 2016年10月。 生後3ヶ月になった娘を連れて、長津田パオパオという子育て支援施設に遊びに行きました。 そこで配られたカレンダー、「リトミック教室」や「似顔絵」「手がた足がた」「お誕生日会」といった予定の中にひとつ、 「ぷかぷかパン販売」というものがありました。 ぷかぷかパン??? ん?浮かんでいるのかな?? それとも浮かびそうなぐらい、ふわふわなパンなのかな?? 妊娠中に、よくパンを食べたくなって、界隈のパン屋は結構知っていると思っていた私が、まだ知らないパンがあった! 行ってみたい!! ネットで、調べてみた。 ぷかぷかパンというのは、ぷかぷかなパン、ではなく、パン屋の名前が「ぷかぷか」だった! 「障がいのある人が働いています」 あ~~、こういう感じかぁ。よくあるやつだ。 障害者の人が作っているパンって、なんか汚い感じがするんだよなぁ。 ちゃんと手とか洗ってるのかなぁ。 それに、「障害者が作っているから、美味しくなくても、そこは目をつぶってください」みたいな言い訳を感じる。 お客さんのために作ってるのか、障害者に仕事を与えたくて作ってるのか、わからないんだよなぁ。 Facebookページを覗く。 えっ! なにこの「セノーさん」って!面白い! 今の時代、SNSに顔写真だって簡単に載せられないのに、顔ばかりか名前まで載ってる!! すごい!!! しかも障害のある人なのに!!親御さんたちも、自分たちの子(しかも障害者!)の顔と名前がSNSに載るのをOKしてるんだ!!! えー!!!ふつうは隠したくなるものかと思ってた!!! なんだなんだこの場所は!!!!!! しかも、のんびりした写真の合間に、たまにブログが挟まっている。 へー、ブログもやってるんだ。 こういう施設って閉鎖的でひっそりとやってるイメージなのに、意外だなぁ。熱心だなぁ。 おおお、相模原事件のことが書いてある。 私の周りでは誰も話題にしないけど、ずーっと気になってるんだよなぁ。 そうだよなぁ、そうだよなぁ、障害のある人が集まってる場所だから、確かに他人事じゃないよなぁ。 「障害者に生きている意味はない」なんていう言葉を言わせないぐらいの何かが、ぷかぷかにはあるらしい。 へー、行ってみたい!!! ******** それから何度か、ぷかぷかがあるあたりの道を、車に赤ちゃんを乗せて走ってみたものの、なかなか見つからなかった。 本当にあるのかなぁ~? わかりにくいなぁ。 見つからないなぁ、と思っていたら、いつの間にか年も越して2017年の1月も終わりに差し掛かっていた。 年を越したころ、家族に「実家のある関西に帰ろう」という話が持ち上がっていた。 私も子育てを毎日一人ぼっちでやるのが辛く感じられて、自分の不自由を子どものせいにしてしまっていた。 このままだと何のために子どもを産んだのか分からなくなる。 家族が増えたら、賑やかでもっと毎日が楽しくなるはずだったのに。 実際は、言葉も通じない相手とひたすら毎日ず~っと一緒にいて、 こっちの気持ちなんて、全く分かってくれない。 おかしいなぁ、独身だった時よりも、パニック障害で一人で寝込んでいた時よりも、 今までで一番、孤独を感じる。 一人ぼっちで感じていた孤独よりも、二人なのに感じてしまう孤独の方が、絶望的で、行き場がなかった。 全然幸せじゃない。可愛いはずの子どもを、うとましく感じる。 このままの生活を続けたら、しんどい気持ちを、子どものせいにして、夫のせいにして、社会のせいにして、 自分の人生を生きないまま、終わってしまう。 そんな気持ちを、夫に話した。 夫は、何をしてもすぐにしんどくなってしまう私を、いつも受け止めてくれる。 ちょうど夫も、昔から会社を辞めて独立し、個人で仕事したいと言っていたから、 それだったらもう今辞めてくれ、会社を辞めて、実家に戻り、実家に頼りながらお互いに自分のやりたい形で子育ても仕事もすればいいと話した。 そういう話があったから、長津田での生活ももう長くない。 行きたいところには、早く行かないと。 そこでもう一度思い出したのが、ぷかぷかだった。 ぷかぷかにだけは、行かずには終われない。そんな気がした。 だからスマホで詳細に場所を調べたら、どうやら車が走る道路からは見えないらしい。 そうなんだ! 道路からは団地っぽく見えるところの、棟と棟の間みたいなところにあるらしい。 ********* そこは、未来なのか過去なのか、分からない場所だった。 団地の棟をひとつくぐると、懐かしいような、でも未だかつて見たことがないような、不思議な光景が広がっていた。 本当に、これは「今」なのだろうか。 現代社会とは切り離されているような感じもして、おとぎの国のようだ。 ここにはおそらく、評価とか、こうでなきゃいけないとか、そういうものが無いんだ。 ここにいる人たちはみんな、「自分」を生きている! 私の憧れた人たちだ。 これが「今」なんだとしたら、とんでもない出会いだ。 忘れていた自分を、思い出した気がした。 心がホッと、温かくなった。 ここには確かに、懐かしい未来がある。 ************ ずーっとFacebookで見ていた、おとぎの国の登場人物たちが、そこにはいた。 ツジさんだ!わー、揺れてる!しゃべってる!! この人は見たことがないな、でもとってもおしゃべりで、接客が得意そうだな。 セノーさんはいないのかな。 私はまるで、芸能人に会った気分だった。 何気ない日常が、いつも演劇のようで、ミュージカルのようで、なんて楽しいんだろう! 最初は「この人はどういう障害なんだろう?どう接したらいいんだろう?」と、ぷかぷかさんたちを「障害者」として見ていたけれども だんだん「この人はこういう人なんだ」と思うだけで、「障害者」として見なくなっていったことに気付いた。 おしゃべりで接客が得意な人は、ユミさんという方だった。 赤ちゃんを連れて行くと、「泣かないかなぁ、泣かないかなぁ??」と言いながら、いつも抱っこしてくれる。 たまに私が一人で行くと「まなちゃんは?今日まなちゃんはいないのー?」と残念そうにするので、なるべく赤ちゃんを連れていくことにしている。(笑) そんな赤ちゃんをカフェに家族で連れて行ったとき、迷いながらも、赤ちゃんの前にコップの入った水を置いてくれたぷかぷかさんもいた。 チカちゃんは、確かに、愛花(娘)のことを思いながら、コップを置いてくれた気がした。 3人来たから3つ水を出す、というのではない。私たち家族一人ひとりの顔を見ながら、この人にこの水、この人にこの水、と出してくれたように感じられた。 一対一、人間と人間。そんな体当たり感すら感じられた。 「この子はまだ飲めないんだけど、ありがとう!」 そう伝えると、チカちゃんは、ちょっと戸惑ってしまっていたような様子でもあったけど、私たちが楽しそうにお茶をしているところを見て、安心してくれたようだった。 ******** 赤ちゃんよりも私に近づいてきてくれたのは、郁美ちゃんだった。 郁美ちゃんはいつも、重低音ボイスでマシンガンのようにトークを繰り広げる。 早口だし何を言っているのか分からないことも多い。 よく「エハラさん」という人が出てきて、旅行の話も好きで、どうやらJALがイチ押しのようだった。 郁美ちゃんは、クチをすぼませながら重低音ボイスで「Facebookやってますか」と聞いてきて、私がスマホを出すなり友達になるよう誘ってくれた。 その様子を見ていたスタッフの方が「距離の取り方が分からなくて、いっぱいメッセージを送ってしまったりすることもあるみたいですが、大変だったらブロックして頂いて構いませんから」と声を掛けてくれた。 えー!!!ブロックなんてとんでもない! メッセージがいっぱいで困るときは、私は「いつもはお返事できないよ」と伝えるつもりだったし、現に毎回はお返事できていないけれども、実は私は郁美ちゃんからのメッセージにとても救われた。 郁美ちゃんからのメッセージはいつも、その日あったことを箇条書きにする感じだ。 「今日はトイレ掃除をしました。カフェの準備をしました。スープの野菜を切りました。スイーツの生地を混ぜました。 ……(中略)…… 青葉台にパンケーキを食べに行きました。今日は何をしましたか?」 あっ、これ、カフェの終わりの会でも言ってたなぁ。 こういうコミュニケーションが好きなのかな? カフェで15時頃、ぷかぷかさんたちのお仕事終わりにやっていたミーティングがその日ちょうど聞こえていたので、すぐにそう思いました。 そこで私も、郁美ちゃんのフォーマットにならって、こんな風に返事をしてみました。 「今日は洗濯をしました。赤ちゃんの爪を切ってあげました。ぷかぷかに行きました。パンとお惣菜を買って、カフェにも行きました。 赤ちゃんを寝かせて、テレビを見ました。今日も良い一日でした」 「良い一日でした」というのは、ぷかぷかでは帰りの会で「今日も良い一日でしたか?」と毎日問いかけているみたいで、なんか良いなぁと思ったので、書いてみました。 そうしたら、一人ぼっちの育児で悩んでいた、毎日が単調な日々で、何も生産的なことをしていなかったはずの生活を、なんだか自分で「今日も色々あったなぁ」と認められたような気がしました。 こんな生活も、ひょっとしたら「それでいいんだよ」って言ってあげていいのかもしれない。 自分で自分に、「あなたは あなたで、いいんだよ」って言ってあげてもいいのかもしれない。 そんな風に思えました。 私が自分が生きている意味を見出せなかったのは、日々の何でもない、小さなことを、自分が認めていなかったからでした。 ぷかぷかさんたちは、日々、目の前のことに、自分の出来る精一杯で向き合い、今日という日を過ごしている。 私は、なんだか自分は大きなことを成し遂げなければいけないような気がして、 生産的なことをやらないといけないような気がして、自分に求めるハードルが高くて、 いつの間にか自分に厳しくするようになって、苦しくなっていたんだなぁ。 ******** ぷかぷかさんたちは、マニュアルじゃない、数字でもない、「名前のある接客」をしてくれる。 そんなぷかぷかに救われて、私たち家族は長津田に住み続ける選択をしました。 (夫もぷかぷかに連れていったら、チカちゃんの接客に涙を流していました。表現の市場にも一緒に行き、「ぷかぷかの近くで生きよう」と言ってくれました) こうやってぷかぷかさんたちを身近に感じて、救われた私ですが、今もまだ、「障害者に生きている意味がある」とまでは言えません。 なぜなら「自分に生きている意味がある」と、まだ言えないからです。 でも確かに、ぷかぷかさんたちのこと、私は好きだし、ぷかぷかさんたちのおかげで、生きるってどういうことか、大切なことに少しずつ気付くことができました。 意味なんてあっても無くても、私だってただ生きていていいのかもしれないなって思えるようになりました。 相模原事件の犯人の言葉は理解できるけれども、彼の未熟だったところは、生きるということや生命ということを、一面的にしか見ることが出来ていなかったというところなのではないかと思います。 極端な思想にいってしまった原因のひとつに、意味というのは社会が与えるものだと思ってしまったことがあると思います。 人ひとりの人生を、俯瞰的、客観的、マクロ的な捉え方でしか見られていない。一面的にしか見られていないということです。 マクロ的というのは、一つは数字で見るということでしょうか。 例えば、確かに国家予算的に見れば、障害者には手当や年金、医療費等をたくさん支給することになるでしょうから、「生きているだけでマイナス」という捉え方になるということです。 これは私も自分に対してやっていたので、そうなのではないかなと思ったのですが。 ただ、マクロ的な見方だけでは、非常に苦しいです。そこには温度がありません。 ミクロ的、一人ひとりの人生を虫メガネでじーっと見てみると、障害者にだって誰にだって日々の生活があり、家族がいたり、周りに支えてくれる人がいて、温度があります。 その温度を分かろうとせずして、ましてや自分ではない他人の命に意味があるだの無いだのと言うことは浅はかなことだということは一つ言えると思います。 でも、その浅はかな行為を、私は自分自身に対してやっていました。 だから、自分が生きている意味を見いだせなかった。 子どもを産んで、夫といつも話し合って、そしてぷかぷかに出会って、日々の生活の「温度」を感じられるようになってきました。 いまや早起きができない(しない)、時間が守れない(守る気がない)、やった方がいいと分かっていることほど出来ない(やりたくない)。 そんな自分でも 「それは出来ませんので、よろしくお願いします」と言いながら、 書いても書かなくてもいいこんな文章を真剣に書いて、 なんかそんなことをしながらでも、ただ今 目の前にある生活を、できるだけ楽しく、できるだけぷかぷかと生きていこうかなって思っています。 最後に、いつも朝から準備をしてお店を毎日開けてくれているスタッフさん、メンバーさん、ありがとうございます。 素晴らしい場所だと思います。