ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 「不幸な子どもの生まれない運動」を無批判に取り上げ
    知り合いから賛同人になってください、というメールがありました。 兵庫県立子ども病院の移転を記念した『兵庫県立こども病院移転記念誌』に、「不幸な子どもの生まれない運動」を無批判に取り上げ、称賛した文章が掲載されていることがわかった、というのです。  こんな運動を兵庫県がやっていたことを初めて知り、本当にびっくりしました。1970年のことですが、それをあらためて「ユニークな運動」などと無批判に紹介する県立病院の感覚を疑ってしまいます。  抗議文に賛同する旨、メールで送ってあげてください。10月31日中にお願いします。 「わたしたちの内なる優生思想を考える会」連絡先:〒557-0041 大阪市西成区岸里3丁目7-1-904古井方TEL:06-6652-6398E-Mail:fwka2024@nifty.com   ●●● From:     Toshimitsu Keiko <fwka2024@nifty.com>Reply-To: tanpopo_net@freeml.comTo:       tanpopo_net@freeml.comSubject:  [tanpopo_net:4042] 賛同のお願い:「不幸な子どもの生まれない運         動」を称賛する兵庫県立こども病院への抗議文たんぽぽネットのみなさま利光惠子(大阪)です。お願いがあり、メールしております。1960年代半ばから、兵庫県を筆頭に、障害児の「出生防止」を目的として「不幸な子どもの生まれない運動」が行われたのは御存知かと思います。昨年、兵庫県立こども病院がポートアイランドへ移転したのを記念して、『兵庫県立こども病院移転記念誌』が出版されたのですが、その中に、あろうことか、その「不幸な子どもの生まれない運動」を無批判に取り上げ、称賛した文章が掲載されていることがわかりました。問題の文章をPDFで添付します。記載の削除と訂正を求めるために、添付の「抗議および要請文」を兵庫県や子ども病院宛てに提出する予定です。10月末をめどに賛同団体・個人を募っております。よろしくお願いいたします。団体あるいは個人で、添付の「抗議及び要請文」に賛同して下さるようでしたら、下記連絡先までご連絡ください。なお、『記念誌』の全体は、以下で見ることができます。http://www.hyogo-kodomo-hosp.com/overview/magazine/pdf/kinenshi.pdf====================「わたしたちの内なる優生思想を考える会」連絡先:〒557-0041 大阪市西成区岸里3丁目7-1-904古井方TEL:06-6652-6398E-Mail:fwka2024@nifty.com==================== 2017年10月31日   「不幸な子どもの生まれない運動」への称賛を公言してはばからない兵庫県立こども病院と、それを容認する兵庫県に抗議し、記載の削除・訂正を求めます。   兵庫県立こども病院院長 中尾秀人殿 兵庫県立こども病院名誉院長 小川恭一殿 『兵庫県立こども病院移転記念誌』編集委員会各位殿 兵庫県知事 井戸敏三殿   「わたしたちの内なる優生思想を考える会」 連絡先:〒557-0041 大阪市西成区岸里3丁目7-1-904古井方 TEL:06-6652-6398 E-Mail:fwka2024@nifty.com   〈賛同団体・個人 2017.10.24現在〉 脳性まひ者の生活と健康を考える会、グループ生殖医療と差別、 日本脳性マヒ者協会(全国青い芝の会、兵庫青い芝の会、広島青い芝の会) 障害者の生活保障を求め行動する会、新空港反対東灘区住民の会 古井正代、斉藤日出治、古井透、後藤由美子、利光惠子、古賀稔章、南守      この度、兵庫県立こども病院が、ポートアイランドへの移転を機に出版した『兵庫県立こども病院移転記念誌』(2016年3月発行)の中で、兵庫県が過去に実施した「不幸な子どもの生まれない運動」を「本邦では初めてのユニークな県民運動」と称賛し、開院に際して「このこども病院は、未来を築いていく子供達への贈り物として建設したもので、不幸な子供の生まれない県民運動の一翼を担うもの」であり「兵庫県の大きな誇り」と金井知事(当時)が語ったことを無批判に取り上げている(小川恭一名誉院長による「兵庫県立こども病院誕生当時のこと」『記念誌』p.17)ことを知り、驚くとともに強い怒りを禁じ得ません。当時、「不幸な子どもの生まれない運動」に対して、「青い芝の会」はじめ障害者運動から強い批判が投げかけられ、「運動」自体を見直さざるを得なかった歴史的経緯を一切忘れてしまわれたのでしょうか?    思い返せば、兵庫県衛生部が中心になって「不幸な子どもの生まれない運動」をスタートさせたのは1966年のことです。1970年には「不幸な子どもの生まれない対策室」(以下、「対策室」)を設置し、障害児は「不幸な状態を背負った児」(兵庫県『不幸な子どもの生まれない施策―5か年のあゆみ』より)であるとして、その「出生予防」のために様々な施策が実施されました。1967年からは、優生保護法12条による精神障害者や知的障害者への強制不妊手術の費用を県で負担して普及をはかりました。1972年には、「先天性異常児出産防止事業」として、胎児の障害チェックのための羊水検査を県費で実施することを決めました。「対策室」設置とほぼ同時期に開院した「兵庫県立こども病院」は、院内に「不幸な子どもの生まれないための指導教室」を開設し、前述の羊水検査を実際に行うなど、まさに、「不幸な子どもの生まれない運動」の中枢を担ったのです。  これに対して、「青い芝の会」の障害者達は激しい抗議行動を展開しました。そして、(1)「不幸な子どもの生まれない運動」は、障害者の生を胎児の段階から不幸であると決めつけたものであり、今、生きている障害者達をも「あってはならない存在」とみなすものである、(2)「障害者がかわいそう、気の毒」「五体満足で生まれてほしい」などといった考えは健常者の発想であり、障害者差別の具体的な表れである、(3)行政による羊水チェックの推進は、障害者の生存権を否定するものであると主張して、「対策室」廃止、羊水チェックの中止、障害者差別に充ちた県行政の姿勢を改めるよう求めたのです。この反対運動によって、1974年4月に「対策室」は廃止され、「不幸な子どもの生まれない運動」も「良い子を産み健やかに育てる運動」に名称変更しました。県費による羊水検査も、同年10月に中止されました。  以上のような歴史的事実を隠蔽したばかりか、『記念誌』の記述を見る限り、「不幸な子どもの生まれない運動」が著しい障害者差別であったとの反省もなされていないと感じざるを得ません。    私たち障害者は、1974年に障害者を不幸と決めつけたことに対して抗議をしましたが、40年近くたった今も、どんな人も生きていけるような社会に変わっていないということがはっきりしています。それは、いまだに障害者の収容施設があり、インクルーシブ教育でなく支援学校があるなど、障害者を地域から隔離するシステムがしっかりとあるということです。 例えば、日本では、今も車いすでは生活できないようなスタイルの建物があふれています。米国等では、アパートを建てる時は、戸数の何割かは車いす用の部屋を作らなければなりません。アトランタでは家を建てる時は、玄関は段差なし、幅は車いすが楽に通れる82cm以上、1階のバスルームは車いすの入れるスペースを確保、この3つの条件を満たしていなかったら建築許可が出ません。この法律は2007年の段階で、世界中で58の国や自治体で施行させています。アトランタでは既存の家でも、希望すれば改修工事に補助金が出るそうです。ところが、日本ではユニバーサルデザインどころかバリアフリーさえ浸透していないために、阪神淡路大震災の時に家が壊れて新しく建て替えた人たちが、前と同じようなバリアだらけの家を建てたものの、その後に脳梗塞になられた方が、せっかく建てた自宅に戻れず、ケアマンションや施設に入らざるをえない現実をたくさん見てきました。未だに「施設」が増えるのは、一生暮らし続けられる安全な建物を「特別視」して(そのほうが儲かることもあり)、一般に普及させようとしないからです。 身体の機能や見た目で「不幸な人」と決めつけ仲間はずれにするのではなく、その人がそのままで生きていく方向を示唆できるような施策を作り、みんなが一生安心して住み続けられるような地域社会を構築しなければならないのではないでしょうか。   私たち障害者は、生まれた時から不幸だと決めつけられることも多々あります。でも、人はだれでも皆、年をとれば障害者になるのではないでしょうか。老いるということは、機能の低下や認知症の症状が表れたりして、今、「あってはならない」と思われているそのものになっていきます。「あってはならない」と思うその価値観は、自分に戻ってくると思います。私たちが、今、しなければならないのは、「障害」や病気のある人々を切り捨てるのではなくて、どんな人でも一緒に生きていける価値観を共有し、具体的な仕組みを一刻も早く構築することではないでしょうか。それなのに、兵庫県の「不幸な子どもの生まれない対策室」は、40年たっても、ひとりひとりの心の中に立派に存在しています。それが「年をとりたくない」「あんな姿になるぐらいなら死にたい」という、人生の最期に情けない気持ちを作ることになると考えます。   この『記念誌』の中では、「不幸な子どもの生まれない運動」を「ユニーク」と表現していますが、「ユニーク」では終わらない問題です。今からでも、私たち障害者が抗議したことを、しっかりと心に刻みつけ、歴史は歴史としてきちんと残していただきたいと思います。「従軍慰安婦はいなかった」「戦争での虐殺もなかった」「福島の原発事故の放射能被害はない」など、都合の悪いことはなかったことにする傾向がありますが、反省しないままでは、次の時代は、又、間違いを起こすのではないでしょうか。歴史の中に、本当のことを取り入れて、これから未来の子ども達に、間違いは間違いとして認め、謝るべきことは謝るということを見せなければならないと思います。 そのうえ、福島の原発事故では、いまだに放射能は漏れていて、健康被害もこれからますますでてくることでしょう。それを母体血検査(母体血胎児染色体検査)のような出生前検査で、生まれる前から選別し、世に出さないようにする価値観がここに至っても表れるのではないかと危惧されます。現在、インターネット上では、「低価格で簡単に受けられる」といった母体血検査の売り込みも、既に始まっています。時代が変わっても、兵庫県が先頭をきって「不幸な子どもの生まれない対策室」を作った発想と何ら変わっていません。 人を選別することは差別をつくることです。私たちの時代には、差別をなくさなければなりません。この「不幸な子どもの生まれない運動」を「ユニークな県民運動」と表現することこそが、反省もなく、未来もないことにつながります。 2012年には「障害者虐待防止法」が施行され、2014年には「障害者権利条約」を批准、2016年には「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(いわゆる「障害者差別解消法」)が施行されました。「障害者差別解消法」では、障害を理由に差別的な取り扱いをすることを禁止し、障害に対する合理的配慮の提供を求めています。障害者差別解消に向けて先頭に立って施策を進めるべき公的機関において、今回の記述にみられるように、差別を助長させることなどあってはならないはずです。 以下の項目について、12月末日までに、文書にて回答くださいますようお願いします。   (1)兵庫県が過去に行った「不幸な子どもの生まれない運動」について、現在、どのように考えておられますか? (2)「不幸な子どもの生まれない運動」を「ユニークな県民運動」と表現した意図は何ですか?上述の抗議文の中でのべたような「不幸な子どもの生まれない運動」への批判やそれをめぐる経緯を知らなかったのですか。あるいは、知っていたのに無視したのですか? (3)『記念誌』の中の、「不幸な子どもの生まれない運動」を称賛する記述を削除し、訂正して下さい。    
  • みんなと同じように同じ教室で同じ授業を受けます。
     バンクーバーにいながら大阪弁でまくし立てるサカベンさんに、カナダにおける障がいのある人たちの置かれている状況について聞きました。      状況という意味ではカナダの方がずっと日本よりいいと思いますよ。もっとオープンで受け入れられています。 インクルーシブという言葉があって、みんなと同じように同じ教室で同じ授業を受けます。 そして制度や補助金もしっかりしています。 こちらは高校まで義務教育なので、19歳まで無料で学校に通え、教室ではエデュケーションアシスタント(以下EA)という担任とは別の先生がついて、勉強を手伝ってくれます。 どこの国も同じですが教育費が足りなくて、一人のEAが二人の障がい児を見るといった状態も稀ではありません。 学童期に入るまでは自閉症に限り月$1600の補助金が出ます。 そのお金でコンサルタントを雇って、その人にビヘイバーインターベーショニスト(以下BI)という介護療法士を教育してもらいます。 簡単に説明すると、コンサルタントが3週間毎に自閉症児に会いにきてその子に合ったプログラムを作ります。作ったプログラム通りにBIが週5日2時間ずつ療育します。内容は一人一々全く違った内容になります。 うちの場合は問題行動を治すこと、文字を読めるようにすることなどを本人に合ったスピードで進めていきます。だんだん算数ができるようになり、人を噛まなくなりと成長していくので、それに合わせてプログラムを常に変えていきます。 BIが毎回ノート1ページ分ほどの経過や出来事を書き、どれだけできたかを全て表に残し、3週間毎にミーティングを開きます。これからやらなければいけないこと、やめること、続けて様子を見るものなどを話し合います。 コンサルタントは学校、家庭との連携も手伝ってくれます。 ひじょうに簡単な説明で、ほんの一部分しか話せていませんが、ざっと家庭系はこんな感じです。  学校や卒業後はまた次回に続く。      サカベンさんとは最初の打ち合わせの際に、いろいろ話しただけで、あとはなかなか話をする時間が取れなくて、今回もメールによる質問に答えてくれたものです。  「みんなと同じように同じ教室で同じ授業を受けます。」というのも、全員がそうなのか、個別支援級や養護学校はあるのかどうかはわかりません。個別支援級や養護学校がなくて、すべてが同じ教室で同じ授業を受けているとしたら、すごいことだと思います。
  • ここに来ると、歌が生まれ、人は踊り出し、物語がはじまる、あの広場がここに
     10月21日(土)、第四期の第三回目のワークショップ。私の熱いリクエストで歌うことになった「あの広場のうた」、みんなすごくのって歌っています。原曲よりもかなりゆっくりで、音も下げ、とても歌いやすくなっています。むつかしい手拍子も、あみちゃんの手にかかると、みんなできるようになりました。シャキシャキした手拍子がみんな気に入っています。 www.youtube.com ♪ いまはいつだろう  いつもの朝   ここはどこだろう   いつも場所    いまはいつだろう  いつもの夜  ここはどこだろう  いつもの場所    でもどこかちがう  ここはどこかに似ている    おとなもこどもも  犬も鳥たちも  虫たちも集まる   あの広場みたい    耳をすませば見えてくる  目をみはれば聞こえてくる  少しずつ 少しずつ    歌が生まれ  人は踊り出し  物語がはじまる  あの広場がここに    昔 広場に一本の柱  ここに立てよう  目には見えない柱を    昔 広場に一本の柱  ここではじまったぷかぷか  いまここで ♪ 安見ちゃんが最後の「ここではじまったオペラを」のところを「ここではじまったぷかぷか」に変えてくれました。私のこの歌に込める思いをくみ取ってくれたのだと思います。  ぷかぷかは単なる福祉事業所の枠を超えて、みんなにとって、とても大切な場所になっています。ここに来ると、歌が生まれ、人は踊り出し、物語がはじまる、あの広場がここにあるのです。  さてその広場で今回もいろんな物語が生まれました。どんな物語が生まれたか、写真を見ながら想像してみて下さい。  『注文の多い料理店』は森にある大きなかしわの木からはじまります。 西洋料理店『山猫軒』にやってきた紳士のひげを作りました。 紙袋を使って動物のお面を作りました。 手につけるお面です。 紳士が西洋料理店『山猫軒』を見つけたシーンをやってみました。セノーさんがなかなかいい雰囲気を出しています。そこに立っているだけで、物語が生まれます。    ひげとお面を作るだけで、これだけの物語が生まれました。これが「ぷかぷか」です。  ここに来ると、歌が生まれ、人は踊り出し、物語がはじまる、あの広場がここにあるのです。
  • ぷかぷかさん達や″障がい″について 子どもたちはどんな風にアーダコーダ哲学するのでしょうか?
    《「あーだこーだの子ども哲学」で「ぷかぷか」を語ると… 》というブログに対し、こんな感想が寄せられました。   ●●● 今日のぷかぷか日記、「アーダコーダの子ども哲学」で「ぷかぷか」を語ると… とてもタイムリーにこころに届きました。   「なんで?」「どうして?」 目の前にひろがるすべてを哲学することで新しく生まれるものがある。 というか、隠されていた世界が顔をみせるのではないか?   そんな確信めいた予感があるのです。     すべての現象は意図することから始まっている。 凝り固まって縺れた現象をじっと見つめていくと解き方がわかってくるのでは? 深く深く見つめたことをお互いに語り合う場があればいいと思っていました。     ブックマーク登録している「教養と看護」というブログで以前に、 子ども哲学おとな哲学 アーダコーダが紹介されていたんです。 哲学する場がどんどんひらかれてゆく様がとても嬉しかったんです。     高崎さんのブログでそのことを思い出したり、たまたま目にとまった言葉が いまの自分のこころとシンクロしていて、 「それで正解だよ」と太鼓判を押されたようで嬉しくなってしまいました!       ぷかぷかさん達や″障がい″について 子どもたちはどんな風にアーダコーダ哲学するのでしょうか? とっても楽しみですね。 小さな哲学者たちのことをぜひブログにのせて欲しいです。      すごくどうでもいいことかもですが… シネマカフェの予告編動画で、「お金は要る?」の問いに「いらな〜い」が いっぱいでなんだかやけに嬉しかったです。わたしもそう思うので。 ●●●    あちこちでぷかぷかの話をする機会が多いのですが、みんな共感しながらも、本当に自分のものになっているかどうかはよくわかりません。  12月2日(土)に予定している北九州の集まりでは、私の一方的な話で終わるのではなく、ぷかぷかが創り出してきたものを北九州でも実践するためにはどうしたらいいのか、といったところに焦点を当てたトークセッションをやろう、ということになっています。たとえば街を耕す、といったことを映像の中で語っているのですが、それを北九州でやるのはどうしたらいいのか、といったことを地元の人たちと一緒に話をしようと思っています。そういうことがあって、具体的な一歩が踏み出せるのだともいます。ただ話を聞いて、いい話だった、で終わっていたのでは、こういう具体的な一歩は出てきません。具体的な一歩をふみだして、ようやくぷかぷかの話が生きるのだと思います。    トークセッションはアーダコーダの対話の一つだと思います。とにかく黙って聞くだけでなく、対話をすることで、自分の思考を磨き、前へ進む何かを見つけることができればすばらしいと思います。     子ども達が日々の暮らしの中で、あるいはイベントで受け取っている「ぷかぷか」をアーダコーダの対話の中で取り上げたら、どんな風に語られるんだろう、と思います。  一人ひとりの子どもの中に、なんとなくあった《ぷかぷか》が、人との対話の中で取り上げられると、イメージがくっきりするというか、《ぷかぷかって何?》というところがだんだんはっきりしてくるように思います。「なんとなくあったもの」が言葉にすることではっきりしたものになります。子どもが自分で考え、自分の中で深めていきます。  私から《ぷかぷか》の説明を聞くのとは、子どもの中で起こることが全くちがいます。だからこそ「あーだこーだの子ども哲学」から見えてくる《ぷかぷか》がすごく楽しみなのです。子ども達の中で《ぷかぷか》がどんな風に生きているのかが見えてきます。
  • 11月5日(日)カナダ報告会やります。
     11月5日(日)午後1時〜3時、みどりアートパークリハーサル室でカナダ報告会を行います。バンクーバーで上映したプロモーションビデオカナダ版をみんなで見たあと、カナダで見つけたことを様々な立場から報告します。  報告はぷかぷかさん、ぷかぷかさんの保護者、pvプロボノの人たち、映画監督、ぷかぷかスタッフです。  国際自閉症フェスティバルの主催者レオノーラさんがスカイプで参加するかも知れません。いろんな質問ができると思います。楽しみにしていて下さい。    たくさんの人たちとの出会いがありました。その出会いをぷかぷかの活動の中でどんな風に生かしていくのか、それがこれから問われると思います。     ぷかぷかのメッセ−ジがいっぱい詰まったプロモーションビデオは、思いのほかいい反応でした。障がいのある人たちが「街を耕している」とか、「街を豊かにしている」という発想自体が、外国にはないのか、自分の中の障がいのある人たちの概念をひっくり返した、という方もいました。アメリカの方でした。アメリカは日本よりも障がいのある人の受け止め方が進んでいるように聞いていたのですが、その感想を聞く限り、そうでもないのかな、という気がしました。やはり、何かやってあげる対象、と見ているのかも知れません。  「耕す」とか「豊かにする」という言葉の表現がすばらしいといってくれました。こういう評価はうれしいですね。日本でこそ、この言葉が広がって欲しいと思いました。障がいのある人たちは「社会を耕す人」であり、「社会を豊かにする人」という見方を日本でもっともっと広げていこうと思いました。相模原障害者殺傷事件がおきるような社会にあってはなおのこと必要な見方ではないかと思います。  上映の時、たまたまテラちゃんがそのアメリカの人の隣に座り、いつものように腕をさすっていたのですが、その方は、隣の女性が「一緒にいると社会が豊かになる」という言葉を実感させてくれました、といってました。テラちゃんのふるまいを「豊か」と表現した方に拍手!でした。    インドの方は「すごくハッピーな気持ちになれた」とおっしゃっていました。インドは福祉の面ではまだまだ遅れている感じですが、インドの人たちのワークショップをのぞいてみると、とにかく社会を改善したいという思いに溢れているようでした。でもすごくお金がかかって、お金がないと福祉が手に入らない感じがしました。  昔インドを旅した経験からは、その改善が困難を極めることが容易に想像できました。やはり富裕層にしか目が向いていないのかなと思いました。私が旅でウロウロした庶民的な街の人たちにこの改善案が届くには途方もない時間がかかる気がしました。  「ぷかぷか」はいわば庶民的な街の物語です。お金を使って作り出したものではありません。何よりも彼らが目指しているものとはかなりちがうものだったと思います。彼らは自閉症のしっかりした療育プログラムを作っているようでした。ものすごく勉強している感じでしたが、そのプログラムが「ハッピー」をもたらすかというと、そういう感じでもない気がしました。そんな彼らがぷかぷかの映像に「ハッピー」なものを感じてくれたのは、彼らにとってすごい発見だったのではないかと思います。障がいのある人たちとかかわる上で、何が大事か、という意味で…    アメリカの少年はその「ハッピー」な感じの中で涙を流したといってました。自閉症の当事者の方でした。お母さんは「Amazing!」としきりにいってました。お父さんはパントマイムをやられる方で、上映会のあと、どういうわけか私も一緒にやることになり、チョウチョを捕まえるパントマイムをやりました。こういう関係があっという間にできてしまうところがアメリカだなと思いました。パントマイムをみんなの前で即興でやったご褒美に黒いTシャツをもらっちゃいました。    イラク大使がご夫婦で見てくれました。人間が成長する場を、障がいをある人たちの専門機関ではなく、こういうふつうの営みの中で実現していることがすばらしいと奥様はおっしゃていました。奥様は医者として障がいのある人たちにかかわっておられるようでした。「ぷかぷか」の活動を見て、人間が成長する場、というふうに言われたのは初めてでした。人間にはこういう場が必要だ、ということも。それを実現したあなたの手は「神の手だ」とイラクの大使は私の手を両手で握りしめてくれました。「神の手」などという表現は日本ではなかなかないですね。ぷかぷかの映像に、よほど驚いたのだと思います。  「人間が成長する場」という視点は、初めて聞くものでした。でも、いわれてみれば、すごく大事な視点であって、それを忘れていた私たちこそ反省しなければならないと思いました。  イラクでは戦争をやっています。国が荒廃しています。それでも、本当は困っている人がいれば、みんなで助け合う国なんです、と大使は言ってました。そういう国だからこそ、荒廃の中にあって尚も福祉について何か学ぼうとフェスティバルに参加したのだと思います。そんな国の人に言われた「人間が成長する場」という言葉の重さを思いました。    私は英語が話せないので、いろんな人が話しかけてきても、突っ込んだ話ができませんでした。通訳を鋏んだ会話は、お互いの思いを通じるところまではいきません。これはとても残念なことでした。また行く機会があるかも知れないので、英語をふだんから勉強しておこうと思いました。  カナダから帰ってから外国の方が時々Facebookにアクセスしてきたりしているので、一部英文表記をしようかと考えています。    
  • デフパペットシアターひとみの舞台に一緒に立つワークショップをやります。
     デフパペットシアターひとみの『森と夜と世界の果てへの旅』の公演が11月25日(土)午後2時からみどりアートパークホールであります。それに先駆けて11月4日(土)午前10時からワークショップをやります。25日の本番舞台に一緒に立ちます。  このワークショップは「人生おもしろいことなんかないから死にたい死にたい」と毎日のように口にし、医者から「死にたい病」の病名をつけられたまーさんが長野まで出かけて参加し、デフパペの舞台に一緒に立った感動的な物語を生み出しました。 pukapuka-pan.hatenablog.com pukapuka-pan.hatenablog.com    今回も25日の本番の舞台の最後のシーンで出演します。すばらしい体験になると思います。  ワークショップの申込は直接みどりアートパークへお願いします。045−986−2441
  • 「アーダコーダの子ども哲学」で「ぷかぷか」を語ると…
      近所の小学校から毎年子ども達が「街探検」にやってきます。お店のことをいろいろ調べに来るのです。その学校の先生から、子ども達にぷかぷかの話をして欲しい、という依頼がありました。「街探検」では、パンは一日何個くらい焼くのか、何種類くらいのパンを焼くのか、といったことは調べても、どうしてぷかぷか、つまり障がいのある人たちの働く場が街の中にあるのか、といったことまでは調べません。そのあたりの話をして欲しい、ということのようでした。  大人向けに話をする機会は多いのですが、子ども向けは初めてです。どういう言葉でぷかぷかのことを語れば子ども達に届くのか、ということですが、私が一方的にぷかぷかのことを語るより、子ども達自身で街の中にあるぷかぷかのことを語ってもらった方がおもしろい気がしています。   最近注目を浴びている「アーダコーダの子ども哲学」のやり方でやると、きっと今までにない新しいものがでてくるのではないかと思うのです。私がいつも語るようなぷかぷかではない、新しい解釈のぷかぷかです。  何よりも未来は子ども達が作ります。ふだんの暮らしの中で、子ども達は「ぷかぷか」にパンを買いに来たり、ごはんを食べにきたり、お惣菜や弁当を買いに来たりしています。アートのワークショップやパン教室、演劇ワークショップ、運動会に参加した子ども達もいます。表現の市場を見に来た子ども達もいます。「ぷかぷか」をいろんな風に受け止めていると思います。そこから語る言葉には彼らが作る未来が見える気がするのです。    「子ども哲学」というのは、対話という方法で、子ども達自身がテーマを深めていく方法です。「障がい」って何?「ふつう」って何?障がいのある人たちとおつきあいすると何かいいことがあるの?「ぷかぷか」って何?といったことを子ども達自身の言葉で対話して、その意味を探っていくのです。  で、その手がかりをつかもうと、日曜日、立教大学であった「哲学プラクティス」という集まりに参加してきました。様々な形(子ども哲学、哲学カフェ、など)で哲学対話をやっている人たちが集まって、お互いの成果発表、ワークショップなどがありました。22もの講座があったのですが、「哲学ウォーク」、シネマ哲学カフェ「子ども哲 学〜アーダコーダの時間 〜」「地域で子ども哲学をしようー なんでわたしが子ども哲 学?ー」の三つに参加しました。    「哲学ウォーク」というワークショップはすごくおもしろい体験ができました。最初に哲学名言を書いた短冊を引きます。私が引いたのは 「世界の価値は、世界の外側になければならない」 という、なんとなくわかったようなわからないような哲学名言でした。ヴィトゲンシュタインという方の名言だそうです。これを頭に入れて街の中を歩きます。日曜日は雨が降っていたので、立教大学の構内を歩きました。歩いているときは終始無言です。自分の名言を表現している場所に来たと思ったら「ストップ」をかけ、全員を止めます。10人くらいいました。どうしてその場所が名言を表現しているか説明します。ほかの人はその説明に対し、哲学的な質問をします。説明した人は質問の中からひとつ選び、歩きながら答えを考えます。最初の教室に戻り、答えをみんなの前で発表します。  「世界の価値は、世界の外側になければならない」は、言葉でその意味を追求し始めると、もう言葉の迷路に入り込んでしまって、にっちもさっちもいかなくなります。  でも、その名言を表現している場所を探す、というのはどこまでも直感で探すので、なんかわくわくしながら探しました。  私は構内から出る門のところで、「ストップ」をかけました。門が世界の内側と外側を表現しているように思ったからです。大学の門の内側では、アーダこーだと真理を探究しています。でも本当は門の外側にこそ、世界の価値があるのではないかと「勝手に」思ったのです。  「勝手に」ですから、ひょっとしたら間違った解釈かも知れません。でも、そのことを問いただすわけでもなく、自分の思ったことを自由に話せる雰囲気がとてもいいと思いました。何よりも仕事や生活に追われて、ふだん考える機会のない 「世界の価値は、世界の外側になければならない」 なんていうむつかしい言葉について、楽しく考えられたことがよかったなと思います。久しぶりに頭を使ったなという気がしました。頭の、いい体操でした。    シネマ哲学カフェ「子ども哲 学〜アーダコーダの時間 〜」のワークショップは映画を見て、そこで感じたことを語り合う集まりでした。  映画は子ども達がいろんなことをテーマにあーだこーだとひたすら対話している映画でした。ただそれだけの映画なのに、妙に心が洗われるというか、見終わったあと、とてもいい気持ちになれました。子ども達の世界へのふれ方がとても新鮮で、言葉を聞いているだけで、新鮮な気持ちでもう一度世界を生き直すような、そんな楽しさがありました。こうやって子ども達はわくわくしながら世界と出会っていくのだと思いました。そのわくわく感がとてもよく伝わってくる映画でした。  www.youtube.com   「地域で子ども哲学をしようー なんでわたしが子ども哲 学?ー」は子ども哲学をやっている六つのグループの実践発表でした。女性は全員が自分の子どもから出発していました。学校に任せていたらとんでもないことになる、といった危機感は、みんなが共有できる危機感でした。  子ども哲学をやったからって、学校のどうしようもない状況が変わるわけではありません。でも、それを超える新しい世界ができあがってくる予感はありました。    「障がいのある人たちのこと」「ぷかぷかのこと」をアーダコーダの子ども哲学で語ると、どんなことが見えてくるのだろうと、とても楽しみになりました。
  • こういう人が未来を切り開いていくのだと思います。
     クラウドファンディングの記事を読んで、わざわざ神戸から来て下さった方のブログです。     高崎さんの、心にじんわりと、     また、時にはガツンと響く     言葉の選び方・考え方に     私はすっかり惚れ込んでしまい、     即、会いに行くことに決めたのでした。     思ったらすぐに動く、こういう行動力がすばらしいですね。こういう人が未来を切り開いていくのだと思います。 ameblo.jp  
  • 彼らがそばにいるおかげで、私たちは人としてそこに立つことができる
     ぷかぷかを立ち上げる前、横浜市の空き店舗活性化事業に応募しました。書類審査が通り、ヒアリングも通り、最後のプレゼンテーションをしたときの原稿を、たまたま読み返していて、「彼らのおかげで、人として立つことができる」という言葉が妙にしみました。      昔、私がまだ学生の頃、胎児性水俣病の子どもを抱きながら、『この子は宝子ばい』と言っていたお母さんがいました。でも、その『宝子』の意味がどうしてもわかりませんでした。重い障がいをもった子が、どうして『宝子』なのか、よくわからなかったのです。  でも、障がいのある子どもたちと30年付き合ってきた今、『宝子』という言葉に込めたお母さんの思いが痛いほどわかります。ぎすぎすした息苦しい今の世の中にあって、ただそこにいるだけで心安らぐような雰囲気を作ってくれる彼らの存在は、やはり『宝』といっていい存在だと思うのです。彼らがそばにいるおかげで、私たちは人としてそこに立つことができるのだと思います。  かつてあったおおらかさがなくなり、どんどん息苦しくなっていく今の社会には、そういう『宝』こそが必要なんじゃないか、私はそんな風に思います。   街の人たちに、そんな『宝』のような存在に出会ってほしい。彼らと一緒に街の中でパン屋を始める理由のいちばん根っこにはそんな思いがあります。      「彼らがそばにいるおかげで、私たちは人としてそこに立つことができる」 という言葉はぷかぷかの立ち位置を明確に示していると思いました。「支援」などという薄っぺらなものではなく、彼らのおかげで人として立つことができる、という豊かな関係性。      
  • いろんな人の、いろんな思いが塗り重なって
     ぷかぷかアートディレクター金子さんのアートワークショップがありました。今日は大きな紙に自作の筆で自由な模様を描き、そこにマーカーで色を塗り込んでいきます。いろんな人の、いろんな思いが塗り重なって、気がつくとすばらしいアートができあがっていました。   筆を作ります。   完成のイメージ   作業開始!   だんだん模様が増えます。   息を吹きかけて墨を乾かします。   ちょっと深呼吸   色を塗ります。   完成! お疲れ様でした。
  • 最近の日記
    カテゴリ
    タグ
    月別アーカイブ