ぷかぷかさん達や″障がい″について 子どもたちはどんな風にアーダコーダ哲学するのでしょうか?
《「あーだこーだの子ども哲学」で「ぷかぷか」を語ると… 》というブログに対し、こんな感想が寄せられました。 ●●● 今日のぷかぷか日記、「アーダコーダの子ども哲学」で「ぷかぷか」を語ると… とてもタイムリーにこころに届きました。 「なんで?」「どうして?」 目の前にひろがるすべてを哲学することで新しく生まれるものがある。 というか、隠されていた世界が顔をみせるのではないか? そんな確信めいた予感があるのです。 すべての現象は意図することから始まっている。 凝り固まって縺れた現象をじっと見つめていくと解き方がわかってくるのでは? 深く深く見つめたことをお互いに語り合う場があればいいと思っていました。 ブックマーク登録している「教養と看護」というブログで以前に、 子ども哲学おとな哲学 アーダコーダが紹介されていたんです。 哲学する場がどんどんひらかれてゆく様がとても嬉しかったんです。 高崎さんのブログでそのことを思い出したり、たまたま目にとまった言葉が いまの自分のこころとシンクロしていて、 「それで正解だよ」と太鼓判を押されたようで嬉しくなってしまいました! ぷかぷかさん達や″障がい″について 子どもたちはどんな風にアーダコーダ哲学するのでしょうか? とっても楽しみですね。 小さな哲学者たちのことをぜひブログにのせて欲しいです。 すごくどうでもいいことかもですが… シネマカフェの予告編動画で、「お金は要る?」の問いに「いらな〜い」が いっぱいでなんだかやけに嬉しかったです。わたしもそう思うので。 ●●● あちこちでぷかぷかの話をする機会が多いのですが、みんな共感しながらも、本当に自分のものになっているかどうかはよくわかりません。 12月2日(土)に予定している北九州の集まりでは、私の一方的な話で終わるのではなく、ぷかぷかが創り出してきたものを北九州でも実践するためにはどうしたらいいのか、といったところに焦点を当てたトークセッションをやろう、ということになっています。たとえば街を耕す、といったことを映像の中で語っているのですが、それを北九州でやるのはどうしたらいいのか、といったことを地元の人たちと一緒に話をしようと思っています。そういうことがあって、具体的な一歩が踏み出せるのだともいます。ただ話を聞いて、いい話だった、で終わっていたのでは、こういう具体的な一歩は出てきません。具体的な一歩をふみだして、ようやくぷかぷかの話が生きるのだと思います。 トークセッションはアーダコーダの対話の一つだと思います。とにかく黙って聞くだけでなく、対話をすることで、自分の思考を磨き、前へ進む何かを見つけることができればすばらしいと思います。 子ども達が日々の暮らしの中で、あるいはイベントで受け取っている「ぷかぷか」をアーダコーダの対話の中で取り上げたら、どんな風に語られるんだろう、と思います。 一人ひとりの子どもの中に、なんとなくあった《ぷかぷか》が、人との対話の中で取り上げられると、イメージがくっきりするというか、《ぷかぷかって何?》というところがだんだんはっきりしてくるように思います。「なんとなくあったもの」が言葉にすることではっきりしたものになります。子どもが自分で考え、自分の中で深めていきます。 私から《ぷかぷか》の説明を聞くのとは、子どもの中で起こることが全くちがいます。だからこそ「あーだこーだの子ども哲学」から見えてくる《ぷかぷか》がすごく楽しみなのです。子ども達の中で《ぷかぷか》がどんな風に生きているのかが見えてきます。