ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 障がいのある人たちと楽しいことをやって、相模原障害者殺傷事件を超える
     表現の市場のチラシの版ができ、ただ今印刷屋で印刷中です。下記サイトでチラシの表と裏を見ることができます。ダウンロードボタンを押して下さい。 pukapuka-pan.xsrv.jp   表も裏も、味のある文字はミズキさん。ねこの絵はぷかぷかさんたちの共同作品です。裏の下の絵はショーヘーさんです。全体のデザインはわんどスタッフのコンドーです。  裏の文章は高崎が書きました。去年に続き、相模原障害者殺傷事件について書いています。  相模原障害者殺傷事件を起こすような社会は、事件以降変わったのかというと、ほとんど変わっていなくて、相変わらずあちこちでグループホームの建設反対運動が起こったりしています。グループホームの建設反対運動は、障がいのある人たちを地域社会から締め出してしまう運動です。障害者はいやだ、怖い、といった思いがあります。彼らとのおつきあいがないところでの不安が、そういった反対運動の根っこになっています。  いやだなと思っている障害者を地域から追い出せばすっきりすると思っている人が多いのですが、本当にそうでしょうか。地域社会から障がいのある人たちを締めだしてしまうことは、許容する人間の幅を狭めることです。地域社会で許容する人間の幅が狭まると、結果的にはお互いが窮屈な思いをすることになります。お互いが息苦しい地域社会になっていきます。  いろんな人がいること、それが社会の豊かさです。障がいのある人たちを締め出すことは人の多様性がなくなることです。社会はどんどん痩せこけていきます。  だから障がいのある人たちを地域社会から締め出してはだめだ、というのではありません。彼らを締め出すのは、地域社会にとってソン!だと言いたいのです。社会の損失だと言いたいのです。彼らとはいっしょに生きていった方が絶対にトク!だと思っています。社会が豊かになります。  「表現の市場」は、いろんな人がいることの豊かさを舞台で表現します。障がいのある人たちがいてこそできる豊かな世界を目に見える形で表現します。  この豊かさを障がいのある人たちといっしょに作り続けること、それが相模原障害者殺傷事件を超えることだと思っています。事件を超えるというのは、誰かを排除したりしない社会を作ることです。障がいのある人もない人も、お互いが気持ちよく生きていける豊かな社会を実現することです。  障がいのある人たちとの演劇ワークショップは、すごく楽しいです。楽しいことをやりながら、相模原障害者殺傷事件を超えるなんて、なんか一石二鳥という感じがします。障がいのある人たちと楽しいことをやって、相模原障害者殺傷事件を超えるのです。  相模原障害者殺傷事件というと、なんとなく話が重くなり、みんな敬遠してしまいます。でも、事件を超えるカギは、障がいのある人たちといい関係を作ることです。彼らとおつきあいすることが楽しいと思える関係を作ることです。  障がいのある人たちと楽しいことをやるなら、誰にでもできます。彼らといっしょに楽しいパン教室やったり、いっしょに大きな絵を描いたり、ぷかぷかのお店で楽しいお話をしたり、いっしょに楽しい芝居を作ったり、そんなことの一つ一つが、相模原障害者殺傷事件を超える豊かな社会を作っていくことにつながるのです。  表現の市場は、来年1月21日(日)午後2時〜、みどりアートパークホールです。ぜひ来て下さい。  
  • 目を凝らすと 見えない柱が きっと 見えます
      12月16日(土)第5回「みんなでワークショップ」がありました。  オペラシアターこんにゃく座の「あの広場のうた」を聞いたとき、「ああ、これはぷかぷかのことだ」って思いました。ぷかぷかにはたくさんの大人、子どもが集まります。ぷかぷかさんたちといろんなことをやり、たくさんの物語を生み出しました。「あの広場のうた」そのままです。  というわけで、今回は舞台の冒頭に「あの広場のうた」をうたいます。広場に一本の柱を立てるところから広場ははじまります。   おとなもこどもも  犬も鳥たちも  虫たちも集まる   あの広場みたい    耳をすませば見えてくる  目をみはれば聞こえてくる  少しずつ 少しずつ    歌が生まれ  人は踊り出し  物語がはじまる  あの広場がここに    昔 広場に一本の柱  ここに立てよう  目には見えない柱を   エノさんがスコップで穴を掘ります。 柱を運んできます。 エノさんがロープで引っぱり、柱を立てます。  でも柱がなかなか見えなくて、何度もやり直し。目には見えない柱なので、見えなくてもいいのですが、それでも去年のデフパペットシアターひとみの『蜘蛛の糸』の舞台のように、糸が本当に見えるくらいの舞台にしたいと思うのです。見えない柱が見えるようにするにはどうしたらいいか。  イメージをつかむために、ホームセンターに行って紙の柱を買ってきました。直径20センチ、長さ2メートルです。1700円もしたので、どうしようか迷いましたが、これで大事な柱が見えるなら、と思って「えいや!」っと買いました。  本番の舞台を楽しみにしていて下さい。「歌が生まれ 人は踊り出し 物語がはじまる あの広場がここに」出現するのです。「昔 広場に一本の柱 ここに立てよう  目には見えない柱を」。目を凝らすと 見えない柱が きっと 見えます。  『注文の多い料理店』は猟に来て怪しい世界に迷い込んだ紳士と、山猫のお話です。山猫のお面で遊んでみました。 紳士たち 三つのグループに分かれ、台本を使って舞台作り  『注文の多い料理店』には扉がたくさん登場します。その扉をどう表現するか、いろいろ話し合いました。扉のいちばん一般的なものは段ボールに描いたもの。 体の前と後ろに段ボールの扉をぶら下げる「人間扉」は、なんだかおかしい動きをします。  更にアルミのパイプを利用したカチッとした扉。  『注文の多い料理店』は山猫が作った怪しい料理店です。扉にいろいろ注文を書き、いい気になって注文を解釈するバカな人間を食べてしまおうというお話。最後犬が登場して、山猫と大げんか。犬が勝つと、料理店は煙のように消えてしまいます。ならば扉も山猫が作った怪しさとおかしさを表現するために、動きがなんともおかしい「人間扉」を使うのがいいんじゃないか、ということになりました。山猫がやっている間抜けな扉、という感じです。  背景画をどうするかでも話し合いました。  大きな山が山猫に変わるイメージ  これはベニヤ板を30枚も使う巨大な背景画。製作費がバカにならないことと、作業スペースの確保がむつかしいことが問題になりました。毎年ホールを3日間貸し切りで舞台装置を作っていますが、3日間でも作りきれない恐れがあります。  結局、物語は『かしわばやしの夜』の「歌会」からはじまりますので、こんな感じにしようということになりました。高さは約3メートル。後ろに台を2段重ね、人が乗って顔を出します。「赤いしゃっぽのカンカラカンのカアン」と叫び、歌会が始まります。  この木の裏に、怪しい山猫の目が光ります。  どんな舞台になるか楽しみにしていて下さい。
  • 「トク!」という感覚もバカにはできないのです
     新しく作るぷかぷかのパンフレットに何か書けと編集長に言われ、あわてて書いたのがこれです。 ●●● ぷかぷかは「共生社会」を作っていこう、なんてことはいいません。 障がいのある人たちと「共に生きよう」といったこともいいません。 いうのは、障がいのある人たちと「一緒に生きていった方がトク!」です。 「いっしょに生きていかないとソン!」ともいいます。 「いっしょに生きていかないなんてもったいない」ともいいます。 彼らといっしょに生きると、社会が豊かになります。   ぷかぷかは障がいのある人たちを理解して下さい、とはいいません。 理解を飛び越えて、いきなり彼らのファンを作ります。 ファンを作り出すコツは、彼らのありのままを差し出すことです。 社会にあわせた彼らより、そのままの彼らの方が魅力があるのです。 彼らを社会にあわせるのではなく、社会を彼らに合わせた方が、みんながホッとでき る、ゆるやかな社会になります。 ●●●  共生社会とか、インクルーシブ社会といった言葉はどうも苦手です。共生社会は、共に生きることを強制されるような感じがあって、いやですね。インクルーシブなんて、カタカナで表記される社会は気色悪いです。みんながどこまで実感できる言葉なんでしょう。インクルージョンなんて言葉もよくききますが、日本人同士がおつきあいするのになんでカタカナなの、という感じです。  共に生きよう、なんて美しい言葉も、なんだか気恥ずかしいです。  やっぱり「いっしょに生きていった方がトク!」というのがいちばんしっくりきます。この「しっくりくる」という感覚が、大事だと思います。  福祉の関係者が「トク!」なんて言葉を使うのはおかしいんじゃないか、といった人もいましたが、「トク!」という感覚でぷかぷかをやってきて、障がいのある人たちとのトクな関係の中から1+1=2以上の新しい価値を生み出したのですから、「トク!」という感覚もバカにはできないのです。    「いっしょに生きていかないとソン!」ともいいます。人と人との関係は、ソン!とかトク!とかいったものではないのですが、それくらい泥臭い感覚で見ていった方が、長続きする気がします。「共に生きよう」なんて言葉よりもはるかにリアリティがあります。リアリティのある言葉は、腹に落ちます。  「いっしょに生きていかないなんてもったいない」もよく使います。「もったいない」という感覚で彼らとの関係を表現することが、私は好きです。彼らとおつきあいしないなんて、ほんと、もったいないです。これはもう言葉では説明できない世界です。    障がいのある人たちを理解して下さい、もいいませんね。理解したからいいおつきあいができるわけでもないし、理解よりも、まずおつきあいだと思っています。おつきあいしているうちに、なんとなく相手のこともわかってきます。  ぷかぷかは、理解を飛び越えて、いきなり彼らのファンを作ります。ですから「理解」なんて、お利口さんのすることは必要ないのです。    ファンを作り出すコツは、彼らのありのままを差し出すことです。社会にあわせないとやっていけない、といわれている彼らですが、接客マニュアルで動く彼らの姿が気色悪くて、その接客マニュアルをやめたら、言い換えれば、彼らのそのままを差し出したらファンができたのです。ファンができたのは、彼らのそのままの姿に魅力があるからだと思います。  彼らを無理矢理社会にあわせるのではなく、社会を彼らに合わせた方が、みんながホッとできる、ゆるやかな社会になります。そうやってできたのが「ぷかぷか」です。        
  • 1+1=5になる関係
    横浜市市民活動支援センターの発行する市民活動情報メディアにNPOと企業との協働についての話が載っていました。 NPOと企業との協働はシナジーを創り出すことだ。1+1を2よりも大きくする創造的な協力体制を目指す。 とありました。全くその通りだと思いました。そうでないと企業と協働する意味がありません。企業にアートを売り込む企画も、ぷかぷかさんたちのアートのチカラと企業のチカラが合わさって、1+1が2よりも大きな価値を生み出すような、そんな協働にしたいと思っています。 それは私たちと障がいのある人たちとのおつきあいについてもいえることです。ぷかぷかは彼らとフェアなおつきあい、フラットなおつきあいをしています。だから1+1が2よりも大きな価値を生み出しています。 それは彼らと一緒に創り出しているお店の空気感を見てもらえばすぐにわかります。 以前ぷかぷかさん抜きで私たちだけでお店を開けたとき、ずいぶんと間の抜けた雰囲気になり、やってきたお客さんは 「別のお店に来たみたいで、さびしい」 とおっしゃっていました。 やっぱりぷかぷかさんたちがいてこその「ぷかぷか」なのです。ぷかぷかさんたちだけではお店はできないし、私たちだけでもできません。ぷかぷかさんたちと私たちがいて、そこがフラットな関係の時、ぷかぷかのほっこりあたたかな、ホッとする雰囲気のお店ができるのです。1+1が2よりも大きな価値を生み出しています。 演劇ワークショップは、そのことがもっとはっきりわかります。芝居は私たちだけでもできるのですが、ぷかぷかさんたちが加わることで、格段におもしろくなります。1+1が5になるくらいの価値を生み出しています。 来年1月21日(日)みどりアートパークホールで開かれる表現の市場の舞台、ぜひ見てください。1+1=5になる関係が見えます。 これがもし「支援」という上から目線の関係であれば、そこから生まれるものは支援する側の幅のものしか生まれません。ですからそこは1+1は1のものしか生み出さないのです。すごくもったいない関係だと思います。
  • だって障子があるもん
     天草から送ってきたミカンの箱に「天草みかん山だより」という手書きの通信が入っていて、中にこんな話がありました。   影絵遊び  孫の子守に影絵遊びをした。電灯をつけた障子の向こうの部屋からナベやフライパンやカボチャやピーマンや、そこら辺にあるものを写して、適当にお話を作った。影は不思議だ。ものをより鮮明にし、何かを期待させ迫ってくる。孫(小5のケイタと5才のアヤナ)の二人も喜んだ。  アヤナが演じる。「タマネギの皮をむきまーす」むかれた皮がひらひらと影に舞う。電灯を消したこちら側の部屋で観客のケイタが「あっ、花びらが舞っている!」と叫ぶ。次々に舞い散る花びら。「うわぁ、ほんとだ、花びらだ!すばらしい!」と私も叫ぶ。障子の向こうでアヤナが主張する。「いいえ、花びらではありません!タマネギの皮です」と。  そして帰りにアヤナが言う。「ばあちゃんの家はいいなぁ」「えっ、どうして?」「だって障子があるもん」パパとママに影絵を見せてやりたいのに、アパートには障子がないというのだった。                                川野美和 ●●●    なんて豊かな世界なんだと、ほのぼのとあたたかな気持ちになりました。  昔子どもを連れて川野さんの家に遊びに行ったことがあって、障子のある部屋を思い出します。  川野さんとはこの「天草みかん山だより」を読んだことがきっかけでつながり、川野さんを通して障がいのある子どもも一緒に育てる横浜の「土と愛子どものいえ保育園」(川野さんはこの保育園の創設にかかわっています)とつながり、その保育園の食育の影響で子どもは25年後、淡路島で農業を始めました。 takasakiaki.hatenablog.com    川野さんから届いたミカンを使ってお惣菜ではオレンジチキン、ミカンのフルーツサラダ、ミカンゼリーを、パン屋ではミカンタルトを作る予定です。  2月には甘夏が届きます。甘夏パン、来年は作ります。楽しみにしていて下さい。  
  • お互い無理しないで自分の人生を生きること、それがいちばん
     hanaちゃんが保育園に通っていた頃のお母さんの話です。保育園時代のhanaちゃん、かわいい! ameblo.jp  障がいのある子どものそのままをなかなか受け入れられないお母さんがそこにいます。そんなお母さんだった花岡さんが、何がきっかけで今の花岡さんになったのか、すごく興味深いところですね。  たくさんのブログの中で一番印象に残っているのは、花岡さんはなんとかhanaちゃんが一人でごはんが食べられるようにとがんばっていたのですが、なかなか思うようにいきません。  で、ある日ふと、  「hanaちゃん自身は一人でごはんが食べられるようになりたいとは思ってないんじゃないか」  ということに気がつきます。  一人でごはんが食べられるようになりたいか、別にどうでもいいと思うかは、いわば生き方の選択といっていいと思います。  花岡さんは自分の一方的な思いよりも、hanaちゃんの生き方を優先したのだと思います。だから一人でごはんが食べられるように、いろいろ訓練するのはやめました。  やめることで、お互いがすごく楽になったと思います。  お互い無理しないで自分の人生を生きること、それがいちばんです。 ameblo.jp  
  • 彼らと共に過ごす時間は今や自分にとってなくてはならぬ貴重な時間
     昨年の「ラジオ深夜便」で私の話を聞いて愛知県からわざわざぷかぷかを訪ねてきた方がいました。どうして障がいのある人たちといっしょに生きていった方がいいのか、どうしてもわからなくて、そのことを確かめに来たようでした。それがきっかけで演劇ワークショップに毎月参加。最後は舞台に一緒に立ちました。その方からメールが来ました。   ●●● 私事ですが現在農業の勉強をしながら、障がいのある子供たちの放課後デイサービスの事業所でバイトしています。6才から18才までの様々な個性を持った子供達と接しながらぷかぷかで過ごした時間を思い出しつつ、充実した時間を過ごしています。   高崎さんが常々仰っている障がいのある人達といっしょに過ごした方が楽しいということを、もっと頭だけでなく身体を通して理解したい、と思ってこの仕事をすることにしました。   子供によっては自傷行為や他害行為をしてしまう子もいます。どう接したら良いか迷う事もあります。それでもやはり彼らは魅力的な存在です。常識やルールにとらわれない、剥き出しの人間としての魅力があるように思います。彼らといっしょにいることで自分自身、とてつもなく大事なことを教わっているような気がするのです。   彼らを前にする時、肩書きも建前も意味をなしません。「素」の自分自身が問われているように思うのです。彼らと共に過ごす時間は今や自分にとってなくてはならぬ貴重な時間となっています。   今更ながらそのきっかけとなったぷかぷかと出会えた事に感謝しています。 ●●●    ラジオ深夜便では「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」という話をしました。障がいのある人たちとはおつきあいしたこともなく、私のいうことがよくわからなかったそうです。どうして障がいのある人たちといっしょに生きていった方がいいのか、その理由を確かめにぷかぷかまで来た方です。それがきっかけで半年間、ぷかぷかさんと一緒にワークショップをやり、発表会の舞台にいっしょに立ちました。そして今回のメールです。ぷかぷかの種がその人の中でしっかり芽を出したようです。人はこんなふうにして変わっていくんですね。        
  • 父母が蒔いてくれていたぷかぷかの種に助けられて
     九州の片田舎の話です。    ●●● 10年ほど前、主人の実家をグループホームにしました。 福祉グループに知り合いがいて相談して話を進めました。 目の前に工場、田んぼに囲まれた場所。 築50年以上の家が三軒並んだ一番奥が実家。   グループホームへ改築の時、地域の町内会長さんやお隣さんにもご挨拶に行きました。 反対されたらどうしよう、と少なからず心配はありましたが、そうですか、とすんなり。 もちろん、まわりの人たちとの日頃のお付き合いの賜物と思います。   お隣さんは奥さんを亡くされておじいさんがひとりで住んでいます。 訪ねた折には、若い人たちが出入りして 賑やかですよ、と笑顔です。   今は障がいのある女性の方5人が暮らしておられるそうです。 毎年、町内の草刈り作業や運動会などの行事にもスタッフさんと一緒に参加されています。 私もグループホーム横の畑に行けば作業中にお茶を差し入れていただいたり、交流も。   後に、その実家の近くに放課後等デイサービスを立ち上げた時に感じたのは、今は亡き父母がしっかり地域に信頼の輪を広げてくれていたという事実です。N(父母)さんには良くしてもらったから、と。施設建設を地域の方が温かく迎え入れてくれた裏には父と母の思いがあったからなんじゃないかな、と思います。父母には難病の息子(主人の弟享年17歳)がいました。母は晩年、外に出られない子の為の居場所を作りたかったと話していました。 私達夫婦がグループホームやデイを立ち上げたのも、その母の思いを受け継いだからです。 父母の人に尽くす生き方が、地域の方々の意識を知らず知らずのうちにぷかぷかにしていたんじゃないかな〜なんて、私は思っています。父母が蒔いてくれていたぷかぷかの種に助けられて、グループホームもデイも進んでいけてると感謝しているんですよ。  ●●●    あちこちでグループホーム建設の反対運動が起こっていると聞きます。相模原障害者殺傷事件以降もちっとも変わっていない社会に、いささか落胆しながらも、友人からのメールは、この社会もまだまだ捨てたものじゃない、とあたたかな希望を持たせてくれました。    
  • 彼らといっしょに生きていった方がトク!と相手に思ってもらうには
      「障害のある人の暮らしの場づくりと反対運動について考える」と題した講演会が東京であったようです。「暮らしの場」は「グループホーム」のことです。講師は大阪市立大学の方です。  こういう集まりが開かれるのは、やはりあちこちで障害のある人のグループホーム建設に対する反対運動があるからだと思います。  相模原障害者殺傷事件を受けて、世の中、少し変わるのではないかと思っていましたが、全くの幻想でしたね。事件に象徴される、障がいのある人たちが排除される社会が、事件後もずっと続いているということです。そんな社会と私たちはどう向き合うのか、ということです。  私は養護学校の教員をやっているとき、障がいのある子ども達に出会いました。いろいろできないことがあったり、とんでもないことをやってくれたり、それはそれは大変な子ども達でしたが、それでもよおくつきあってみると、いいやつだなぁ、としみじみ思うことがたくさんあって、ずっとそばにいたいと思うようになりました。最初に受け持ったサト君の話です。    最初に受け持ったサト君は、小学部6年生。まったくおしゃべりのできないサト君は、それでもこちらのいうことや、やることは大体わかっていたのか、何やっても「ゲハハ」「ガハハ」と大笑いで反応してくれました。教員になったばかりで、下手くそな私の授業も「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げ、手をたたいて喜んでくれたのです。  トイレで大きなうんこが出たと私を大声で呼び(わーわー騒いでいるだけですが…)、サト君の代わりにレバーを押して(サト君はそういうことができませんでした)うんこを流すと、ただそれだけで「ゲハハ」「ガハハ」と豪快に笑っていました。箱根に修学旅行に行ったときは、その大きなうんこが船のトイレに詰まって水が流れなくなり、悪戦苦闘しているうちに船のクルーズは終わってしまったことがありました。でも、サト君は悪びれた様子もなく、大きなうんこと悪戦苦闘している私のそばで、ずっと「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げていました。なんとかうんこを流そうと必死になりながらも、もう一緒に笑うしかなくて、そうこうしているうちに一度も景色を見ないまま箱根の船の旅は終わったのでした。    サト君は、重度の障害児であり、何やるにしても手がかかる人でした。それでも抱きしめたいくらい魅力ある人でした。養護学校で働き始めて、最初に担任し、その魅力で私の心をいっぺんにわしづかみにした子どもだったのです。  そばにいるだけで心が安らぎ、幸せな気持ちでした。重度の障がい児と言われるサト君のそばにいて味わうこの幸福感は一体何なんだろうと思いました。  その幸福感の中で「障がいのある彼らは劣っていて、私たちは優れている」という人間を見る価値観がぐらつき始めたのです。今まで、優れているはずの健常者のそばにいて、こんな幸福感は味わったことがありませんでした。そばにいるだけで人を幸せな気持ちにさせる彼らって、本当はすごい人たちじゃないかって、思いました。    こんな出会いが養護学校ではたくさんありました。いつしかこの人たちとはいっしょに生きていかなきゃ損!と思うようになり、定年退職を機に「ぷかぷか」を立ち上げました。  日々発信している「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」のメッセージは、彼らとの素敵な出会いがあったからです。  学校と違い、ぷかぷかは日々社会と接しています。社会の中で彼らがやっていることの意味が、学校にいるときよりも鮮明に見えてきました。ぷかぷかをやっていく中で、彼らは社会を耕し、社会を豊かにしていることに気がついたのです。ぷかぷかが作りだしてきたものを見てもらえば、すぐにわかります。最近でいえば『pukapukaな時間』です。 pukapuka-pan.hatenablog.com  障がいのある人たちのグループホーム建設計画に反対運動が起こるような社会には、この『pukapukaな時間』こそ必要な気がします。  私が私らしくいられる時間、私が自由になれる時間、私が元気になれる時間、私が自由になって、ステキなあなたと出会える時間、ステキな彼らと出会える時間、私が豊かさを感じられる時間、それが『pukapukaな時間』です。    近々開かれるグループホームの説明会には、知らない人ともあっという間にいい関係を作ってしまうテラちゃんを連れて行く予定です。    彼らといっしょに生きていった方がトク!と相手に思ってもらうには、このテラちゃんの関係作りのワザこそチカラを発揮する気がしています。私がアーダコーダ話すよりもはるかにいい関係を作ります。テラちゃんは『pukapukaな時間』を作り出す名人なのです。            
  • 障がいのある人たちとおつきあいするいいきっかけになるかも
      グループホームを建てようとしたのだが、地域住民(ごく一部の方だと思いますが)の反対で、にっちもさっちもいかなくなっている、どうしたらいいか、という相談がありました。  反対の理由は犯罪、特に性犯罪が心配、地価が下がる等、よくあるパターンです。障がいのある人たちとのおつきあいがないところでの不安、勝手な思い込み、という感じがしました。ただそれに答える方も、それを覆すだけの論理が弱いのか、このままいくと負けてしまいそうな感じでした。負けることの社会的な意味の大きさを考えると、ほっとけない感じがしたので助太刀に入ることにし、いくつか提案しました。  障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい、ということを自分の言葉で語って欲しいと思ったので、ぷかぷかで何日か実習してみたら、と提案しました。ぷかぷかさんたちの魅力を体でしっかり感じとり、彼らは街にいた方がいい、と反対をいう人たちの前でしっかり語って欲しいと思います。  近々開かれる予定の住民説明会では、プロモーションビデオカナダ版の上映とぷかぷかさんとの話し合いも提案しました。  映像にはチカラがあります。映像を作ったpvプロボノのホームページにはこんなことが書いてあります。  《 1本のムービーが、世の中を大きく動かす。 1本のムービーが、悲しみを笑顔に変える。 映像にはそんなとてつもないチカラがあると信じてます。 》  そのチカラが今回はシビアな場所で本当に試されます。  グループホームの反対は「障害者はここに住むな」「障害者はここに来るな」ということです。「障害者はいない方がいい」といった相模原障害者殺傷事件の犯人と同じ発想です。  その発想に対し、《障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい》というメッセージを直接ぶつけることになります。それは自分の生き方を賭けての言わば論争であり、相模原事件を起こしてしまった社会の中で、私たちがどう生きていくのかという問題でもあります。    ただ言葉の論争に終わらせたくないので、ぷかぷかさんを何人か連れて行って、いろいろお話ししてもらい、ぷかぷかさんがどんな人か知ってもらおうと思っています。話だけでなく、本当はいっしょに何か楽しいことがやれたらいいのですが、今回は説明会だけが設定されているので、その枠の中だけでやります。  それでも反対している人たちにとってぷかぷかさんと直接話をすることは、とても大きな意味があると思っています。反対を叫んでいる人たちのことをいろいろ聞くと、やっぱり障がいのある人たちとのおつきあいがないことをすごく感じます。とにかくちょっと話をするだけでもいい、彼らとおつきあいして欲しいのです。  本当に性犯罪をするような人たちなのか、ちょっと話をするだけでも、すぐにわかります。ぷかぷかさんたちがくることで地価が下がるのかどうかも、話をした上で想像して欲しい。  こんなステキな人たちが来ると、本当に地価が下がるのかどうか、想像力を働かせて欲しいと思うのです。      彼らを社会から排除するとき、社会は誰にとっても息苦しい、窮屈なものになります。社会の許容する人間の幅が狭まるからです。彼らがいることで社会の幅が広がり、息がしやすい社会になっているのです。    グループホーム反対をいう人たちと勝った、負けたの話をするわけではありません。こんなステキな人たちとは、おつきあいしていった方がトクですよ、っていってくるだけです。多分、今までおつきあいがなかったばっかりに、不安に駆られているのだと思います。ですから今回は障がいのある人たちとおつきあいするいいきっかけになるのではないかと思います。これがきっかけで、障がいのある人たちと一緒に豊かな地域社会が実現できたら、これほど素晴らしいことはないと思っています。    
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