ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • ぷかぷかさんと「哲学対話」
     立教大学教授の河野哲也さんが学生さんと一緒にぷかぷかさんと「哲学対話」をしに来ます。「哲学対話」といってもむつかしい話をするわけでもなく、対話を通して真理を探っていく方法です。  文学部教育学科で特別支援教育に関心のある学生さんを連れてくるようです。立教大学の教育学科はなかなかおもしろいことをやっていて、ちょっとのぞいてみたいくらいです。 www.rikkyo.ac.jp  河野さんは『こども哲学で対話力と思考力を育てる』などの本を書かれています。NHKの「こどものための哲学」の番組にもかかわっています。 www.nhk.or.jp  河野さんとは去年、立教大学であった「哲学プラクティス」の集まりでお会いしました。 pukapuka-pan.hatenablog.com  河野さんにとって、ぷかぷかは以前から気になっていたようで、いつか見学に行きます、という話を伺っていました。それが5月21日(月)、ようやく実現します。  ぷかぷかさんと「哲学対話」をしたい、という発想がおもしろいと思います。漠然とおつきあいしたい、というのではなく「哲学対話」をすることで、障がいのある人たちことをより深く知りたいということです。そういうアプローチは今まで聞いたことがないので、きっととんでもなく面白いものが出てくるのではないかと今からわくわくしています。  ぷかぷかさんと「哲学対話」をするというのは、どこまでもフェアな関係での対話です。この姿勢がいいなと思います。相手が障がいのある人だと、対話も上から目線のものになりがちですが、「哲学対話」には相手に対する敬意が感じられます。相手ときちんと対話しよう、対話を通して一緒に真理を探っていこう、という姿勢です。  特別支援教育は、障がいのある人たちは「あれができないこれができない」「こういう問題を抱えている」、だからこういう教育が必要、といった発想ですが、「哲学対話」は全く違う発想でぷかぷかさんに迫ります。一人の人間として相手と向き合う姿勢がなければ「哲学対話」は成り立ちません。  中身を掘り下げていく対話には、ただ漠然と対話するのではなく、それなりのテクニックというのか、対話が深まっていくような言葉が必要です。適当に話をしていたのでは、対話はいつまでたっても深まっていきません。どういう言葉を投げかければ対話が深まっていくのか、そのあたりのことをいつも考えながら対話をすすめていく必要があります。  そういう意味で「哲学対話」の専門家である河野さんや、その門下生によるぷかぷかさんとの「哲学対話」には、ものすごく期待するものがあります。うまくすれば今までにない新しい「障害者観」が出てくるかも知れません。彼らと一緒に生きていくことの新しい価値みたいなものも見つかるかも知れません。  「哲学対話」の相手をするぷかぷかさんは、アマノさん、ショーへーさん、ナカタクさん、セノーさんを一応考えています。みなさんなんともおもしろい話ができる方たちなので、深い哲学対話ができるのではないかと期待しています。  ★とても貴重な機会なので映像の記録を撮りたいと思っています。どなたか手をあげていただけるとうれしいです。
  • 子どもの将来を自分で作り出す
     ケヤキの木を相手にワークショップをやったとき、目の見えない子どもが参加しました。    目が見えなくても、みんなと同じように大きなケヤキの木にさわり、耳をあて、こうやって木の中を流れる水を描きました。  この子どもの通っている盲学校の保護者がぷかぷかに見学に来ます。目の見えない人たちにとってぷかぷかに参考になることがあるのかどうか私はよくわからなかったのですが、問い合わせてきたお母さんはぷかぷかの大ファンのようで、お店に来るだけでなく、上の写真のようにワークショップに参加したりしています。とにかくぷかぷかのこの雰囲気を盲学校のお母さんたちに伝えたい、とおっしゃってました。  子ども達の将来のことをみんな心配していて、いろんなところを見学しているようでした。いろいろ見学しても、子どもにぴったり合ったところなんてないし、だったら子どもと二人で働けるような仕事を自分で作りだした方がいいですよ、という話をしました。  子どもの将来はどこかにあずけるものと考えていて、自分で作り出す、なんてことは全く考えもしなかったので、なんだか背中を押された気がしました、とすごく元気な声が帰ってきました。    先日利用者さんの首に「私はうそつき」などと描いた札をぶら下げたひどい施設の話を書きましたが pukapuka-pan.hatenablog.com    選ぶ施設によって本人の人生が全くちがうものになってしまうという理不尽な現実があります。障がいのある子ども達は自分で人生を選ぶことがとてもむつかしいと思います。だったら親御さんが子どもと一緒にどういう人生を生きたいのかを考え、自分で一緒に働く場所を作ることはひとつの選択肢としてあってもいいような気がします。
  • 彼らの前でどういう立ち方をするか、そのことが一番の問題なんだと思います。
     上から目線の関係が、どういうことを招くかよくわかる記事です。 mainichi.jp  ひどいというか、恥ずかしいというか、よくこんなことをするな、ともうあきれてしまいます。上から目線の関係は、結局のところこんなふうに、もう相手に何やってもいいような錯覚に陥ってしまうのではないかと思います。  相手に何やってもいいという錯覚は、相手を人として見られなくします。相手を人としてみられなくなるとき、自分もまた人でなくなります。つまり、相手に何やってもいいという感覚は、自分の中から人間を奪ってしまうのです。  まっとうな人間であれば、人の首に「私はうそつき」などと書いたカードをぶら下げたりはしません。そのまっとうな人間がどうしてこの施設にはいなかったのか。それはこの施設だけの問題なのかどうか。そこを考えることこそ大事な気がします。    ぷかぷかは障がいのある人たちとどこまでもフラットな関係を作っています。フラットな関係を築くことで、私たち自身が彼らの前に人として立つことができると考えています。  ぷかぷかを立ち上げる前、横浜市空き店舗活性化事業に応募し、書類審査が通ったあと最後のプレゼンテーションでこの「彼らのおかげで私たちは人として立つことができる」と語っています。 pukapuka-pan.hatenablog.com    彼らの前でどういう立ち方をするか、そのことが一番の問題なんだと思います。               
  • セノーさんのおかげで、いい人生。
    先日セノーさんのお父さんの誕生日に朝一番 「誕生日おめでとうございます。ケンスケくんのおかげでいい人生、生きていますね。」 ってメッセージ送ったら、 「ありがとうございます。今、ケンスケが幸せなのは高崎さんのおかげです。」 と返ってきたので 「いやいや、私も彼のおかげでいい人生送らせていただいています。」 と返しました。  これは正直な私の気持ちです。人の心をこんなにも癒やしてくれる人は、そうそういません。  心を癒やされているのは私だけではありません。たくさんの人が癒やされているから、あんなにもFacebookに記事が上がるのだと思います。  そのFacebookを見て、先日はわざわざセノーさんに会いに来た方がいました。そのことをFacebookにアップしたら、仙台の方が 「私も会いに行きたい」 と書き込みをしていました。セノーさんて、日本中の人の心を癒やしてるんだと思いました。    セノーさんとの出会いはもう10年ほど前。彼が養護学校高等部2年生で私が担任をやったときです。当時毎日のようにマックに行き、ぶくぶくに太っていました。なんとかやせて欲しいと思い、思い立ったのがこれ。  ある日一緒に給食食べながら 「あれっ!セノーさん、目がすごく赤いよ、これはまずいよ、糖尿病だよ」 「糖尿病って?」 「糖尿病はマックのハンバーガーのような脂っこいものを食べる人がかかる病気ですよ。」 「ふ〜ん、それで」 「糖尿病になると、体のあちこちが腐って、ボロッと落ちます。」 「ボロッと落ちる?」 「そう、たとえば朝おしっこするときに、大事なところが腐ってボロッと落ちるのです」 「そうすると女の子になってスカートはいてくるの?」 「!」 この辺のセンスが昔からすばらしい。 「こんなに赤いのは、もう末期的症状だよ」 「マッキドナルドですか」 「!」 頭の回転とセンスのよさ。 今もやっている目のチェックは、ですからもう10年以上やっているのです。うれしかったのは、卒業後しばらくほかの作業所に行ってて、何年ぶりかに会ったとき、真っ先にやったのはこの目の検査と落ちなかった検査。ちゃんと憶えててくれたんですね。タカサキといえば目の検査、というふうに。 「ちょっと目見せて、あっ!赤いよ、これまずいよ」と「今朝はおしっこしたときボロッと落ちなかった?」はセノーさんと私の合い言葉です。  結局目の検査は糖尿病対策にはなんの役にも立たなかったのですが、セノーさんとの関係はすごくいいものになった気がします。 彼のおかげで本当にいい人生生きています。毎日のように下の写真のようなことやってます。いい人生というのは、こういうことを言うのだと思います。           
  • ぷかぷかさんとおつきあいすることは、人間であることを取り戻すこと
     今朝の朝日新聞天声人語。  スターバックスで飲み物を買わずに居続けた黒人二人が逮捕されるという信じがたい事件が起こりました。「私たち白人が同じことをしても、こういうことがおきないのはなぜか」との投稿がSNSにあり、抗議が広がりました。それに対してスターバックスは謝罪し、5月29日午後、全米8000を超す店舗を一斉に閉じ、差別を防ぐための研修を従業員にするといいます。 digital.asahi.com  差別に対してSNSで抗議が広がり、それに対するお店の対応。すごい国だなとあらためて思いました。    障がいのある人たちのグループホーム建設に対する反対運動のことをまた書きます。  反対運動は「障害者はここに住むな」ということです。ならば「私たち健常者が同じこと、つまり、ここに住みたい、といっても、こういうことがおきないのはなぜか」といった抗議が出ても良かったのですが、そういった声は残念ながら一切ありませんでした。私も含め、こちら側の情けないほどの力不足です。  「障害者はここに住むな」と言って当然、という雰囲気が現場にはありました。どうして相手が障害者なら、そんなことが許されるのか。もし自分が「ここに住みたい」と言って、そんなふうに言われたらどんな気持ちになるか、といった想像力が、ここには一切ありません。  想像力の欠如は人の心を貧しくします。  「人の痛みが想像できる」ということが人であることのすばらしさだと思います。  ぷかぷかさんとおつきあいがあれば、「障害者はここに住むな」といった言葉は絶対に出てきません。彼らとおつきあいすることで、私たちは人間であることを取り戻し、心が豊かになっているのだと思います。        少し前、こんな記事がFacebookに上がっていました。   *「フリーダム・ライダーズ – 人種隔離バスへの抵抗」 … 1960年代の黒人公民権運動に参加した女子大生たち。 アメリカの南部地域では、20世紀の中頃になっても、人種隔離法によって、学校もレストランもトイレや乗合バスの座席も、はては救急車までもが白人用と非白人用に分けられていた。 これに抗議するボイコットや座り込みが広がり、連邦最高裁判所は1960年末に、南部の人種隔離法は憲法違反であるとする判決を出した。 しかし南部の人々の多くは、これに従わず、連邦政府も強制措置はとらず、差別の実態はなにも変わらなかった。 その半年後、10人あまりの黒人と白人のグループが南部行きの長距離バスに一緒に乗り込み、人種による座席の区別を公然と破り、彼らは自分たちを「フリーダム・ライダーズ」と呼び、身の危険を賭して連邦政府の姿勢を批判した。 ◆ 迫害を恐れぬ勇気ある女子大生たち その中心になったのは、驚くべきことに、ナッシュヴィルの若い女子大生たちだった。 幼い頃から近所に住みいっしょに遊んでいた子供たちが、学齢になるにつれて差別され、まともな職業にもつけず、社会の除け者にされるのを見た彼女たちは、その悲惨な差別に憤り、公然と黒人が乗るバスに乗って隣に座って、黒人公民権運動を鼓舞した。 彼女たちは、白人至上主義者たちに襲撃され、殴られ、つばを吐きかけられ、警察に逮捕されたが、警察署でも公然と胸を張り、実名を名乗り、釈放されると、「黒人を差別するのは間違っている。彼らもまた、私たちと同じ人間だ」と声を挙げ、ついに多くのクラスメートたちの共感を得ていった。            
  • これからどんな風に物語が広がっていくのか、すごく楽しみ
     淡路島で自然農法をやっているビオアグリの代表柏木さんが来ました。ぷかぷかとコラボをするためにぷかぷかを見たいということと、20日に東京の目黒にアンテナショップをオープンするので、その打ち合わせできました。    お店にはビオアグリメンバーの似顔絵も飾ろうと思っています。段ボールの素朴な額に入れる予定です。    アンテナショップではビオアグリの商品と並んで、ぷかぷかのパン、焼き菓子なども販売します。ビオアグリの豆を3種類練り込んだぷかぷかのパンのほか、ハード系のパン、焼き菓子などです。焼き菓子はいずれビオアグリで育てているハーブを入れたものを作りたいと考えています。まさしくコラボ商品です。  ビオアグリの商品に使うラベルはぷかぷかが作りました。    自然食品を扱うお店は多いので、よほど特色ある商品でないと売れない。そういう意味でぷかぷかとコラボした商品には、ここにしかない物語があって、絶対に売れます、と柏木さん。なかなかの戦略家です。  この味のある手書きのラベルを見れば、絶対に買いたくなりますよ、とおっしゃってました。どこかホッとするようなこの雰囲気こそ、ここにしかないオリジナルなもの。このホッとする雰囲気の中で、おいしくて健康的なビオアグリの商品が街の中に出ていきます。  これがビオアグリとぷかぷかがコラボすることで生まれる新しい価値です。ビオアグリの人たちの思いと、ぷかぷかさん達の思いがコラボしたのです。  こんなすてきなラベルは誰が作ったの?という話が多分出ると思うので、時々ぷかぷかさんに店頭に立ってもらおうかと考えています。福祉事業所のお店ではなく、ふつうのお店の店頭にぷかぷかさんが立つことの意味はものすごく大きいと思います。「ぷかぷかしんぶん」も置いてもらい、新しい情報発信基地になります。   車で40分ちょっとなので、週に一回くらいはお惣菜も運んで販売する方向で検討することになりました。  今日の「ぷかぷかさんのお昼ごはん」にはビオアグリの青大豆がでました。     ビオアグリで作ったハーブを入れた焼き菓子、フォカッチャ、ビオアグリの野菜を使ったピクルスなど、コラボ商品がどんどんできあがってきます。  淡路島では近々カフェを開くそうなので、そこで使うコーヒーカップ、お皿なども作ろうかと思っています。    二人の画伯が柏木さんの似顔絵を描きました。    これからどんな風に物語が広がっていくのか、すごく楽しみです。   pukapuka-pan.hatenablog.com bioagri.jp bioagri.jp
  • 排除される側は、どこまでもやさしい
     Facebookに載ったセノーさんの寝顔を見てファンになり、訪ねてきた方がいました。  www.youtube.com        うれしいですね、こんなふうに訪ねてきてくれるなんて。  セノーさんは寝ながらファンを増やし、社会を変えているのだと思います。  私たちがいくら声高に「共生社会を目指そう」とか「共に生きる社会を作ろう」と叫んでも、そういう社会はなかなか実現しません。いろんな活動をしても、思うように前に進みません。  セノーさんはそんな言葉はひとことも言いません。でもこうやって、みんなが気持ちよくいっしょに生きる社会に向けて確実に一歩を踏み出しているのです。  しかも、寝ながら、です。ここがセノーさんのえらいところです。そうやって社会を動かすチカラを持っているのだと思います。そこに私たちが気づくかどうかだと思います。  8年前、広場に一本の柱を立てたのは私ですが、その広場を育てたのはセノーさんをはじめとするぷかぷかさん達だったとあらためて思うのです。ぷかぷかさん達のそのままの魅力が広場を育てたのです。    相模原障害者殺傷事件以降、障がいのある人たちを排除する社会が変わったかといえば、ほとんど変わっていません。障がいのある人たちのグループホームを建てようとすれば、相変わらず反対を声高に叫ぶ人が現れます。そして残念なことに、そういう人たちに届く言葉を私たちは持ち合わせていません。  差別の問題は、言葉で乗り越えていくのはむつかしい、とグループホ−ムの説明会に参加した時、つくづく思いました。ぷかぷかの映像ですら、「こんないいところばかり撮った映像なんか見たくない」などといわれたのですから。  そんな中でセノーさんの寝顔を見てファンになりました、という人が現れたことは、大きな希望を見た気がしました。こうやって社会が変えられる、こうやって相模原障害者殺傷事件を超える社会を作っていける、という希望です。喧々がくがくの議論ではなく、彼らのありのままの姿を差し出すことで、社会が少しずつ変わっていくということです。  これは決して社会から排除される側からの反撃ではありません。反撃は新たな対立を生むだけです。問題解決に向けて、そうではない提案をぷかぷかさん達はしているのだと思います。  排除される側は、どこまでもやさしいのです。そのやさしさに気づいた人たちがファンになるのかも知れません。      
  • 一本の柱を立てたところから始まったぷかぷかが…
     ぷかぷか8周年のイベントがありました。 ツジさんの歌、ゆずの『栄光の架け橋』から始まりました。途中、「ぷかぷか8周年、おめでとう、ワオ!」って叫んでいました。うれしいですね、ツジさんにそんなふうに言われて。ツジさんは創設当初からのメンバーです。ですから、それなりの思いがあったんだと思います。「おめでとう、ワオ!」って。 高鳥さんのギターで『あの広場の歌』。高鳥さん、ワークショップでこの歌を歌ってすごく気に入って、今回のために練習してきたそうです。 ちょっと調子っぱずれのところもありますが、それでもこの雰囲気、すごくいいです。 www.youtube.com ♪ 昔 広場に 一本の柱    ここに立てよう 目には見えない柱を  昔 広場に 一本の柱    そこで始まったぷかぷか 今、ここで  ♪ なんかね、みんなで歌を歌っている間、歌っていることが実感できるような時間でした。  8年前、「障がいのある人たちといっしょに生きていこう」って一本の柱を立てたところから始まったぷかぷかが、今、ここにあります。歌いながらちょっとうるっときました。  ここにこうやってみんなが集まる広場ができたのです。みんなが元気になり、物語が生まれる広場です。   広場の中心にはぷかぷかさんたちがいます。ぷかぷかさんたちがいるから、みんながホッとできるような雰囲気になりました。みんなが笑顔になり、元気になる広場。たくさんの物語もここから生まれました。  ぷかぷかさんたちがいなければ、ただのパン屋であり、ただのお惣菜屋でした。こんなにおもしろい広場はできなかったのです。そのことの意味をきちんと考えていきたいと思うのです。  栃木からいろいろ米とライ麦の上野さんがやってきました。 今日は上野さんに送っていただいた栃木のイチゴとぽんせんも販売しました。 はっぱでバッタ作りを教えてくれました。 上野さんのうどんで作った天ぷらうどんは大好評でした。  今年のぷかぷか一泊旅行はまた上野さんの畑を目指していく予定です。パン屋で好評のライ麦パン、いろいろ米パンの物語が更にふくらみます。コミュニティ食堂「ぷかぷかさんのお昼ごはん」で提供している主食の「いろいろ米」が更においしく感じられます。 わんどのワークショップには子ども達がいっぱい 似顔絵コーナー 淡路島ビオアグリのコーナー 近々ビオアグリの代表がぷかぷかにやってきます。コラボの内容が更に充実します。 天草の川野さんのミカンコーナー 5月の末、スタッフの魚住、石神が天草に行きます。みかん山を見て、川野さんの話をいろいろ聞いてくる予定です。川野さんは40年ほど前、おそらく日本で初めて障がいのある子ども達も一緒に保育する保育園を横浜市旭区に立ち上げました。日本全国から建設資金が寄せられたといいます。ミカンへの思いだけでなく、障がいのある子どもも一緒に保育する保育園を立ち上げた熱い思いなども聞いてくる予定です。 ぷかぷかめがね美人 ぷかぷかには美人が多い、という噂の震源地 お客さんの感想 今日のマルシェ、お天気に恵まれて本当によかったです。 うどんに、シリアルバー、セノーさんの好きなベシャメルなんとかパン、カレーパン、植木に、ポテト&唐揚げ、おいなりさん、メンチカツ、肉だんごのポテト衣、あれこれ。まんまとぷかぷかの作戦に引っかかってしまい、散財してしまいましたよ! でも、楽しかったなぁ。折田さんに小さい誕生日のプレゼント渡せたし、コウキくんのお姉さんとも話せたし、上野さんの奥さんとカメの話もできたし、夏の旅行も、プレミアム会員になって、なんとか潜り込めそうだし… とにかくお疲れさまでした。 みなさま 本当にありがとうございました。 
  • 4万円からはじまった物語
      区役所の区政推進課の職員Kさんが、異動になりますと挨拶に来ました。Kさんは採用1年目でぷかぷかを相手に仕事をやったので、ま、いろいろ大変だったようです。  区政推進課とのおつきあいは、地場の野菜を使う地産地消を通した関係でした。Kさんが来たときも秋の区民まつりでぷかぷかのおからを出す費用の打ち合わせでした。おからの費用が6万円で、区役所が用意している予算が10万円でした。差し引き4万円が残ります。それはもったいないと、その4万円で地産地消ブースのデザインをやらせてくれませんか、とその場の思いつきで提案しました。この時の思いつきが、アートを通したおつきあいの始まりでした。  突然の提案でKさんも係長も即答はできず、区役所に帰ってから課長と相談したようで、2日ほどたってOKの返事。ぷかぷかが日々やっていることをみての判断だったと思います。多分おもしろいものを作ってくれるんじゃないか、と。下の写真のような。  さてどういうデザインにしようかと考えながらぶらぶら歩いているときに、ヨッシーの描いた歯医者に行って虫歯だらけの口をガバッと開けている絵を見つけました。あっ、これをブースの入り口にしたら絶対おもしろい、と思いました。で、その絵をアート屋わんどの職員コンドーに見せ、段ボールで入り口をデザインしてもらいました。  ブースの入り口の装飾だけでなく、テントの屋根に段ボールで作った直径1メートルくらいのカボチャ(地産地消のシンボル)をのせたいと言い出したので、Kさんは 「え〜〜!」 とびっくり。心配になって総務課に相談したら、 「そんなあぶないことはいかん!」 といわれたそうで、すぐ私に「だめみたいです」と電話がありました。 「絶対に落っこちないようにするから」 と、絵を描いて説得しました。  実際屋根にのせてからは落ちなかったのですが、のせる途中で落っこちてきてちょっと大変でした。下の写真の直後、真っ逆さまになって落っこちたのです。  区民まつりで配るチラシもデザインすることになり、地産地消をやっているお店の情報を入れてくれるように頼まれました。Kさんから送られてきたお店のデータはお店の名前、営業時間、電話番号などのテキストデータで、新人のKさんとしては一生懸命作ったデータでした。それを 「あの〜、こんなの見ても、誰もお店に行こうって思わないんじゃないですか。」 って、私が正直に言ったので、えらくめげたみたいでした。 「テキストじゃなくて、楽しい絵地図で行きましょう。ぷかぷかさんが描くと、絶対楽しい絵地図になります。お店のシェフの似顔絵も入れると、あっ、こんな人がつくるんだ、ってわくわくしてお客さんはいっぱい来ますよ」 と丁寧に説明し、Kさんは納得したようでした。  ここから絵地図の物語がはじまります。  似顔絵も入れるとなると、チラシには入りきらないので、もっと大きなスペースが欲しいと言い、KさんはA1サイズの大きなパネルを用意してくれたのですが、似顔絵は原寸大で入れたい、とまたわがままを言い、結局テントの横の壁いっぱいに貼り出すことにしました。   シェフの似顔絵を描きに行きました。 そうやってできあがった絵地図がこれ  予想をはるかに超えた楽しい絵地図ができあがりました。  区民まつりの朝、通りかかった区政推進課の課長に 「これ、一日で捨てちゃうの、もったいないですよ。一週間くらい区役所のロビーに貼り出しませんか?」 という提案をしました。  しばらくして課長から連絡があり、絵がヨレヨレになっているので、きれいにパネル張りにして展示したい、見積もりを取って欲しい、ということでした。  知り合いの額縁屋さんに連絡。見積もりを取ったところ10万円。そんなお金出してくれるのかなぁ、と思いながら課長に電話。これがあっさりOK.  ヨレヨレになった絵地図をパネル張りにしました。  できあがったパネルを区役所に持って行ったら、Kさんと係長は「ひゃ〜すごい!」とびっくり。せっかくなのでロビーに飾る前に除幕式をやりましょう、ということになりました。  区長が出席しての除幕式でしたが、途中でぷかぷかさんが踊り出し、はずみでパネルにかぶせてあった白い幕が落っこちてしまうというハプニングがありましたが、ま、ぷかぷからしくていい、とみんな大笑い。  この一連の仕事でできた信頼関係の中で、区役所で行われる人権研修会の講師を依頼されました。私一人で行ってもなんかつまらない感じがしたので、人権問題の当事者であるぷかぷかさんを三人ほど連れて行って講師をやってもらいました。ぷかぷかさんが行けば、今までにないおもしろい人権研修会になるという確信がありました。まとまった話はむつかしいので、いろいろ質問してもらいました。「給料は何に使いますか?」「仕事で何が一番楽しいですか?」「休みの日は何をしていますか?」といった質問に答えました。それでもみんな新鮮な印象を持ったようで、たくさんの人がアンケートを書きました。人権研修会はいつも硬い話でアンケートはほとんど書かないそうです。こんなにたくさんアンケートが集まったのは初めてです、と担当の方はびっくりしていました。  これが4万円からはじまった物語です。そもそも地産地消の打ち合わせに私は出たことがなかったのですが、たまたまあの日時間が空いていて、打ち合わせにでて、思いつきで4万円でブースのデザインやらせてくれませんか、と提案したのです。そこからこんなにもいろいろな物語がはじまったのです。  これがきっかけで区役所とのおつきあいの幅がグンと広がりました。区民まつりの地産地消ブースのデザインは毎年のように依頼されます。  新人のKさんにとっては本当に大変な1年だったと思います。でも大変だったからこそ、人生の幅がグンと広がったのではないでしょうか。その広がりを新しい職場でも生かしてもらえたら、と思っています。本当にお疲れさまでした!
  • 「決して忘れない」という言葉はどこへ行ってしまったんだろう
     神奈川新聞「時代の正体」に、相模原障害者殺傷事件の犯人に面会に行った話が載っていました。 www.kanaloco.jp  《 事件からまもなく2年。社会は変わったか。そんな問いは無意味の思えるほど風化が進み、事件直後にあちこちで耳にした「決して忘れない」という言葉がむなしく感じられる。 》と、記事にありました。そういえばあれだけみんな口にしていた「決して忘れない」という言葉はどこへ行ってしまったんだろうと思います。  「決して忘れない」をいうだけでは、差別や偏見を許容する社会は、何も変わりません。  障がいのある人たちのグループホーム反対を叫ぶ人たちがいます。「障がい者はこの地域に来るな」「ここに住むな」といってるのです。「障がい者はいない方がいい」といった犯人と全く同じ発想です。障がいのある人たちを社会から排除する、という動きは、こんなふうにあちこちにあって、あれだけの事件がありながら、社会は何も変わっていないことになります。  事件を忘れない、というところにとどまるのではなく、日々の暮らしの中で立ち現れる差別や偏見とどう向き合うのか、それに対して何をするのか、ということこそ大事な気がします。    こんな関係を作り続けること、これこそがぷかぷかが日々やっていることです。        
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