ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 第1期演劇ワークショップ記録映画のダイジェスト版
    第1期演劇ワークショップ記録映画のダイジェスト版です。 www.youtube.com    記録映画は2時間もあって長すぎるので、もう少し短くならないかと交渉し、できあがったのがこのダイジェスト版。  演劇ワークショップというものがどういうことをやり、何を作り出してきたのかが、なんとなくイメージできると思います。  こういうもののおもしろさは、映像を見るだけではなかなか伝わりきらない感じがします。やはり実際に体を動かし、障がいのある人たちといっしょにお芝居を作ってみて、初めて見えてくるものです。  いっしょに芝居作りをすることで、彼等の発想の自由さ、豊かさに気がつきます。一緒にやる、というフラットな関係こそが、新しい気づきを生みます。それが彼等との関係を豊かにし、社会を豊かにしていきます。  彼らといっしょにやっていると、いろんな戸惑いや不安も出てきます。でも、それがあるからこそ、そこから新しいものが生まれます。  このダイジェスト版を見て、 「あ、おもしろそう、私もやってみたい」 って思われたら、高崎まで連絡ください。メールは takasaki@pukapuka.or.jp どこでも出かけていきますよ。5月30日には宮崎県まで出かけていってワークショップやってきます。
  • 第1期演劇ワークショップ記録映画のダイジェスト版
    第1期演劇ワークショップ記録映画のダイジェスト版です。 www.youtube.com    記録映画は2時間もあって長すぎるので、もう少し短くならないかと交渉し、できあがったのがこのダイジェスト版。  演劇ワークショップというものがどういうことをやり、何を作り出してきたのかが、なんとなくイメージできると思います。  こういうもののおもしろさは、映像を見るだけではなかなか伝わりきらない感じがします。やはり実際に体を動かし、障がいのある人たちといっしょにお芝居を作ってみて、初めて見えてくるものです。  いっしょに芝居作りをすることで、彼等の発想の自由さ、豊かさに気がつきます。一緒にやる、というフラットな関係こそが、新しい気づきを生みます。それが彼等との関係を豊かにし、社会を豊かにしていきます。  彼らといっしょにやっていると、いろんな戸惑いや不安も出てきます。でも、それがあるからこそ、そこから新しいものが生まれます。  このダイジェスト版を見て、 「あ、おもしろそう、私もやってみたい」 って思われたら、高崎まで連絡ください。メールは takasaki@pukapuka.or.jp どこでも出かけていきますよ。5月30日には宮崎県まで出かけていってワークショップやってきます。
  • 演劇ワークショップ記録映画のダイジェスト版
    第1期演劇ワークショップ記録映画のダイジェスト版です。 www.youtube.com  記録映画は2時間もあって長すぎるので、もう少し短くならないかと交渉し、できあがったのがこのダイジェスト版。  演劇ワークショップというものがどういうことをやり、何を作り出してきたのかが、なんとなくイメージできると思います。  こういうもののおもしろさは、映像を見るだけではなかなか伝わりきらない感じがします。やはり実際に体を動かし、障がいのある人たちといっしょにお芝居を作ってみて、初めて見えてくるものです。  いっしょに芝居作りをすることで、彼等の発想の自由さ、豊かさに気がつきます。一緒にやる、というフラットな関係こそが、新しい気づきを生みます。それが彼等との関係を豊かにし、社会を豊かにしていきます。「支援」という上から目線の関係では、こういうことはできません。どこまでもフラットにおつきあいする、ということが大事です。  彼らといっしょにやっていると、いろんな戸惑いや不安も出てきます。でも、それがあるからこそ、そこから新しいものが生まれます。何事も、ドキドキしながらすすめていく方が、楽しいです。  このダイジェスト版を見て、 「あ、おもしろそう、私もやってみたい」 って思われたら、高崎まで連絡ください。メールは takasaki@pukapuka.or.jp どこでも出かけていきますよ。5月30日には宮崎県まで出かけていってワークショップやってきます。
  • なのはな村
     5月30日に宮崎県の串間でぷかぷかの映画の上映会とワークショップをやるのですが、 そのあと宮崎のレジェンドとも言われているなのはな村の藤崎さんご夫妻と対談をします。なのはな村のウェブサイトはこちら www.nanohanamura.com  1980年代だったと思いますが、宮崎で開かれた社協主催の全国ボランティア研究集会の基調講演でなのはな村の藤崎さんが「障がいのある人たちといっしょに農業をやっている」というお話をされ、すごく興味を持ち、夏休みに見学に行きました。畑と養鶏場があり、鶏たちがやたら元気でした。それ以来毎年のように子連れで遊びに行き、楽しい思い出がたくさんできました。 鶏小屋 冬休みに行くと餅つきをしました。子どもたちは大喜びでした。 朝、産みたてのたまごの卵かけご飯がとてもおいしかったです。 都城の中心街にあるお店  藤崎さんご夫妻とどんな話ができるのか、楽しみにしています。
  • 演劇ワークショップは生きる世界を楽しくしてくれる
    5月30日に宮崎県の串間でぷかぷかの映画の上映会と簡単な演劇ワークショップをします。  1時間ほどのワークショップなので、たいしたことはできないのですが、表現するなんて大の苦手なのでパスします、という人もいるそうなので、ちょっとだけ説明しておきます。  ふつう芝居と言えば、脚本家が書いた台本を見ながらその通りにやる、というイメージかと思いますが、演劇ワークショップは、その台本を自分たちでつくり、自分たちが演じます。演じる中で、ここはこうした方がおもしろいんじゃないかとか、ここはなんだかつまんないからやめよう、とかいった修正案が色々出てきます。実際に体を動かしながら台本を確かめていくと、そんな気づきがいっぱいあります。この気づきこそが芝居を自分たちで作っている、ということです。だからおもしろい!  何よりも大切なことは、ふだんの暮らしの中ではなかなか見えない、自分自身との、あるいは仲間たちとの新たな出会いがあります。こんな私がいたんだ、こんなあなたがいたんだ、という気づきは、生きる世界をグンと広げてくれ、おもしろくしてくれます。  黒テントの演出家山元清多さんは演劇ワークショップについてこんな風に書いています。 「演劇をつくることを通じて、ほかの人と話し、聞き、考え、それまで自分が気がつかなかったことを発見するためなのです。だから、全員がつくることに参加し、見ているだけという人はいません。できあがったものより、つくりあげるまでに何かを発見できたかどうかが重要。  たしかに、ぼくたちはひとりでじっと考えることも、本を読んで考えることも、先生に教えてもらったり、友だちと話したりして考えることもできます。でも、何人もでいっしょに何かをつくるなかで気づくことが、いちばん意味がある。」                       (『街角のパフォーマンス』より引用)  演劇ワークショップは、いろんな人たちといっしょに何かを作る中で気づくことがたくさんあります。そこにこそ意味がある、と山元清多さんは語っています。  そのことを自分で確かめてみませんか?
  • 人がそこにいる、ただそれだけでいい。
    先日の東京新聞に病院で心電図の異常が伝えられず、難病発覚が遅れ、重度障害の男性が死亡した件で、両親が障害があるから差別されたと病院を訴えた記事がありました。 www.tokyo-np.co.jp  記事の中で「重い障がいで働けなかった穂高さんの場合、損害賠償に算入する逸失利益が現行法上はゼロ円になる」とあって、「え?なに、これ」って思いました。  以前にも障がいのある人の逸失利益に関する話を書きました。 www.pukapuka.or.jp  結局の所、その人がそこにいること、それ自体に価値がある、ということが社会の中で共有されないまま、生産性があるかどうかで人を評価してしまうことが今も続いているということではないかと思います。それが障がいのある人たちが社会から排除されるいちばんの理由であり、私たち自身も私らしく自由に生きるということが、どこか不自由になっています。  結局は「人間の価値」というものをどう見るのか、という問題です。人間のどこに価値を見いだすのか、いやそもそも、価値を見いだす必要があるのか、と思います。  人がそこにいる、ただそれだけでいい。それ以上のことはいわなくていい。そうすればお互い生きることがもっと楽になります。楽がいちばん!
  • 2026うんぷか
    「うんぷか」がありました。ぷかぷかの運動会です。 消防署の人達の指導で消火器体験 火災の際の煙体験 帰りがけ、雨が降っていて、自転車で行っていた私はずぶ濡れ。ま、でも、こういう厳しいサイクリングも楽しいものです。 ヘルメットの中までびしょ濡れでした。
  • オロオロしたからこそ、人として出会えた。
    3月21日は「世界ダウン症の日」なんだそうで、この日を中心に、全国各地でダウン症への理解を深めるためのイベントや行事が行われるようです。 jdss.or.jp       ダウン症の子どもって大好きです。理解するとか、そんなことは必要ありません。ただそばにいるだけで心がほんわかあたたかくなり、大好きになります。    それを「ダウン症への理解を深めるためのイベント」なんていうから、「なんだかなぁ」という感じになります。人とおつきあいするのに「理解を深める」必要があるのだろうか、と思うのです。ダウン症ってどういう障害なのかよくわからないから、まずは理解を深めてから、ということなのでしょうが、そんなこといっているから彼等とのおつきあいがなかなか進まないというか、よけいに社会から排除している気がします。  相手の障害のことをよく知らなければ、どうつきあっていいかよくわからなくて、色々ギクシャクすることもあります。でも、ギクシャクすることで、相手のことが少しずつわかってきます。ギクシャクすることはだからとても大事なことなのだと思います。ギクシャクというのは、自分の感覚で相手を知ることです。頭で理解することとは意味合いが違います。  私は昔養護学校(特別支援学校)で働いたとき、いわゆる「障害児教育」というものを全く勉強していませんでした。小学校の教員になるつもりだったのでその勉強しかしていませんでした。ところが採用の面接の時、小学校と養護学校とどちらがいいか聞かれ、よくわからないので「ま、どっちでもいいです」と答えたら、すぐに養護学校の校長から電話が入り、そこで働くことになったという実にいい加減な理由で彼等の前に立つことになったのです。  障害のある子どものこと何も知らずに入ったので、すごく大変な日々がいきなり怒濤のようにやってきました。もう一日中想定外のことばかりやってくれて、「ヒャ〜、どうしよう、どうしよう」とオロオロするばかりでした。おしゃべりできないし、着替えもできない。トイレの後始末もできない子どもたちでした。おまけに外に飛び出すは、大暴れするは、ものを壊すは、うんこは投げるは、で何がどうなってしまったのか、しばらくは思考が追いつきませんでした。  それでもいっしょに過ごしていると、そうかこういうやつだったんだ、ってだんだん彼等のことがわかってきて、彼等と過ごす毎日が楽しくなりました。楽しいだけでなく、体も心もゆるっとゆるんで、心地よかったのです。「あっ、なんだ、なんだ、これは」って思いましたね。世の中には 「こんなにステキな人達がいたんだ!」 としみじみ思いました。私にとって、その後の人生を決める大きな大きな出会いでした。  知識も経験もなく、ただただ彼等の前でオロオロしたからこそ、人して出会えたのだと思います。
  • 大きな話ではなく
    昨年11月の神奈川新聞にやまゆり園事件について考える集まりの記事がありました。  《あるべき共生社会について「障害のある人が学校の同じ学級、職場、隣近所にいるのが当たり前になることが大前提。今はそのスタートラインにも立てていない」》  とあって、まぁ、その通りではあるのですが、こういう大きな話ではなく、ごく身近なところ(近所とか、職場とか)にいる障がいのある人たちとどうおつきあいしていくのか、といったことこそ大事じゃないかと思うのです。そこから社会は少しずつ変わって行くのではないでしょうか。    ぷかぷかさん達はお店でお客さん達と直接ふれあっています。多くの福祉事業所ではお客さんと利用者さんの間にスタッフが入ってトラブルが起きないようにしているようですが、私は彼等の魅力に直接ふれてほしいと思っていたし、何かトラブルがあっても、そこでお互いどうすればいいのかを考えればいいと思っていました。そういうトラブルこそが社会を豊かにすると考えるからです。  最初のトラブルは、始めて間もない頃、軽食のとれるカフェで起こりました(当初は小さなカフェをやっていました)。そこでお客さんに  「よく食べますねぇ」 といったぷかぷかさんがいて(ま、正直に言っただけなのですが)、それを不愉快に思った女性のお客さんが 「失礼じゃないか」 とクレームをつけたことです。一応丁寧に謝って事なきを得たのですが、ほんとうは 「そうよ、わたしよくたべるんよ」 くらい言ってくれれば、ぷかぷかさんといい関係になれたんじゃないかと思います。そういう返しがないまま、「不愉快に思った」ことで終わってしまったことがとても残念でした。  問題が起こったのはその時だけで、あとはぷかぷかさんと直接おつきあいすることで、なんと 「ぷかぷかさんが好き!」 というファンが現れました。これは全く想定外でした。「障害者はなんとなく嫌」とか「障害者は怖い」と思っている人の多いこの社会にあって、「ぷかぷかさん」つまりは「障がいのある人」が好き!という人が現れたことは、やっぱりすごいことじゃないかと思うのです。これこそが共生社会の一歩じゃないかと。  そういったことも、私たちがリードしたわけではなく、どこまでもぷかぷかさん達の魅力が引き起こしたことです。彼等は社会を変えるチカラを持っているのではないか。ぷかぷかさん達のチカラが社会を変えている。これって、なんかステキじゃないですか。  彼等と「支援」という関係で結ばれていれば、こんなチカラは出てきません。彼等を信用し、ま、なんとかなるだろう、といわば「野放し」にしておいたのがよかったのだと思います。そのままの彼等に直に接することができるからです。だからトラブルも含め、いろんなことが起こります。  「支援」という関係では、そういった問題はほとんど起きません。問題が起きないように「支援」という関係で、いわば彼等のまわりに「バリヤ−」を張っているように思います。だからおもしろいことは何も起こりません。せっかく魅力ある彼らがいるのにもったいないと思います。  今、ぷかぷかを支えているのは、そのぷかぷかさん達のチカラです。彼等に私たちは支えられているといっていいと思います。支援しているのではなく、支援されているのです。
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