半月ほど前、暴れる重度障害の子どもの首を絞めてしまった年老いた父親の話が新聞に載っていました。
なんともやりきれない事件でした。記事では
《障害者の扶養を家族に担わせる風潮が強く、行政支援は足りない「構造的問題」を指摘。「家族に過度な責任を負わせない方向に、障害者政策を転換する必要がある」と警鐘を鳴らした。》
とありました。まちがってはいないとは思いますが、私たちひとりひとりにとって、この事件はなんだったのか、どうすればよかったのか、を考え続ける必要があると思います。
息子に手をかけたお父さん、地域に何でも話のできる人はいなかったのでしょうか?行政の窓口とかではなく、隣近所の関係の中で悩みを聞いてくれるような人です。そういう人が一人でもいれば、もう少し状況が変わったのではないかと思います。
医療にかかっていたのかどうかわかりませんが、精神を病んだ私の娘は、いい病院のいい先生に出会うことができ、救われました。医療も結局は人との出会いだと、5箇所くらい病院を巡った感想です。
家で大暴れしていた息子さんも、やっぱり満たされない何かがあったのではないかと思います。うちの娘も大暴れし、収拾がつかなくなって、警察に2度ほど来てもらったことがあります。夜中の3時頃、パトカーで警察に連れて行かれ、女性の警察官が娘の手を握りながら1時間も話をしてくれ、ようやく落ち着いたこともありました。
娘がいちばん変わったのはダイエットのつもりで出かけたボクシングジムとの出会いでした。サンドバッグを思いっきり叩いたり、コーチとの他愛ない話で、ストレスが発散できたのか、娘はぐんぐん変わりました。
大暴れする息子さんも、どこかでたまったエネルギーを発散する場があったり、息子さんとちゃんと向き合ってくれる人がいれば(地域や医療)、もう少し違った結果になったのではないかと思います。障害者政策を転換しても、こういう事例は解決できない気がします。