ぷかぷか日記

「人の心」を取り戻す

 2年ほど前、朝日新聞の言論空間『論座』に投稿した記事です。大事な話なので、多少手を加えて再掲します。

 

 つい先日神奈川県立の福祉施設での虐待事件が報道されました。

・服薬用に水などに塩や砂糖が入れられた。
・利用者の肛門にナットが入っていた。
・利用者に数百回のスクワットをさせた。
・職員の粗暴行為で利用者が頭を打ち失神した。
・利用者の食事に多量のシロップをかけて食べさせた。

 いずれも気分が悪くなるような事案です。ふつう、人間はこんなことはしません。介護の現場にいるのは人間のはずですが、虐待の実態を見る限り、そこにはもう人間を感じることができません。

 厚生労働省が「障害者福祉施設等における障害者虐待の防止と対応の手引き(施設・事業所従事者向けマニュアル)」というのを出しています。人間が人間でなくなっている現場で、こんな教科書のようなマニュアルがどれだけ役に立つのだろうかと思います。現場の荒廃のレベルの認識が甘いのではないかと思います。虐待の現場になっている神奈川県でさえ、このマニュアルを県のホームページに揚げています。こんなことやって虐待がなくなると本気で思っているのでしょうか?

 重度障がいの人たちを相手にする現場がどうしてこんなにもすさんでしまったのか。そのことにきちんと向き合っていかない限り、虐待はいつまでたってもなくなりません。向き合ってないからこそ、あのやまゆり園事件以降も、一向に虐待がなくならないのだろうと思います。

 

相手を見下すところから出発している「支援」の問題性

 やまゆり園事件の直後から「支援」という上から目線こそが事件を引き起こしたのではないかと私は言い続けています。虐待の事件を受けて、あらためて、相手を見下すところから出発している「支援」という関係性の問題を思います。

 相手を見下すことは、見下す側の人間の荒廃を産みます。こいつらには何やっても許される…みたいな、そんな人間の心の荒廃。

 「利用者の肛門(こうもん)にナットが入っていた」などという事例は、その際たるものです。人間のすることではありません。これはもう「虐待」といったレベルではなく「犯罪」です。どうして「犯罪」として追求しないのでしょうか?ここにも社会の大きな問題があるように思います。

 福祉の現場で「人間を回復する」「人の心を取り戻す」、その当たり前のことをするためにはどうすればいいのか。

 いつも書いていることですが、障がいのある人達と「フラットにつきあう」「ふつうにつきあう」ことです。そうして相手と支援者としてではなく、ひとりの人としてつきあう、出会うことです。ここがむつかしいようですね。

 私が養護学校に勤めていた頃、障がいのある子どもたちに出会えたのは、教員という意識があまりなかったせいだと思います。「指導する」という、なんだかえらそうな言葉が、どうもしっくりきませんでした。いっしょにおもしろいこと、楽しいことをやると、その中で子どもたちは自然にいろんなことを学んでいきます。私も色々学ばせていただきました。いちばんの収穫は「なんて素敵な子どもたちなんだ」という気づきです。

 いっしょにいるとあたたかい気持ちになって、ずっとそばにいたいな、と思いました。教員になる前はふつうのサラリーマンをやっていたので、人の中にあってもそんな気持ちを忘れていました。障がいのある子どもたちは、あたたかな人の気持ちを思い出させてくれたのです。これが彼らとの出会いです。指導しなきゃ、という教員としての意識がほとんどなかったおかげです。

 指導とか、支援という関係をやめるとき、ようやく相手と人として出会えるのだと思います。

 

私には絶対にできない、彼らにしかできない笑顔

この写真は花巻に住んでいる青年達です。先日お母さんのFacebookにアップされていました。見ただけでキュンと幸せな気持ちになります。

     

      Facebookで公開されていた岩手・花巻に住む青年たちの写真(許可を得て転載)

 二人ともアンジェルマン症候群といって、重度障がいの青年達です。重度障がいなので、何もできないのかというと、そんなことはなくて、こんな素敵な顔をして、まわりの人たちを幸せな気持ちにさせてくれます。私たちには絶対にできないことです。彼らにしかできないことなのです。そのことを謙虚に認めるところから、彼らとの新しい関係が生まれます。

 こんな笑顔をする人は街の宝だと思います。社会の中で一番大切にしたい人たちです。

 施設にはこんな笑顔をする人はたくさんいるはずです。そんな笑顔を見つけた時、

 「あ、今日もいい笑顔だね。」

 って笑顔で言える関係を作ること。それが虐待をなくす、一番大事なことだと思います。そして楽しいことがあった時は、一緒にこんな笑顔になる。楽しいことを彼らと共有するのです。

 彼らと一緒に本心で笑えるようになった時、失った「人の心」が戻ってきます。重度障がいの人たちが、失った「人の心」を取り戻してくれるのです。

 「人の心」を失っているのは施設だけではありません。虐待、いじめは社会全体を覆っています。その社会を救うのはやっぱり障がいのある人達ではないかと思うのです。彼らのそばに謙虚に立つこと。そうすることで、私たちは「人の心」を取り戻すことができるのではないか。そんな風に思うのです。

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