毎日新聞の上東さんとやまゆり園事件の話をしていて、
「犯人がもしぷかぷかにいたら、あんな事件は起こらなかったよね」
という話になりました。全く同感で、以前そういったことをブログにも書いています。
やまゆり園の利用者さんたちがスタッフと下の写真のような関係だったら事件は起きませんでした。
スタッフがやめる時は、抱き合って泣くぷかぷかさんもいました。
これが「いっしょに生きていく」ということです。
要するに相手と人として対等につきあっているからこそ、こういうことが日常的に起こります。支援という上から目線の関係では、こういったことは多分起こりません。
やめていくスタッフがぼそっとこんなことを言ったことがあります。
「ぷかぷかさんて障害者だったのね。ずっと忘れてたわ」
ちょっと笑ってしまいましたが、けだし名言です。
こういう言葉がぽろっと出てくるのも、人として対等につきあっているからです。だから一緒に楽しいことがたくさんできた。下の写真はみんなでケヤキの木になるワークショップ。
犯人がこんな環境にいれば、あのような事件は起こりませんでした。ふつうに考えればすぐにわかることです。にもかかわらず、やまゆり園の環境はほとんど問われないまま、犯人に死刑を宣告することで事件は終わったように受け止められています。
でも、冒頭で書いた
「犯人がぷかぷかにいたら、あんな事件は起こらなかったよね」
の問いは、この事件の本質を突いているように思うのです。支援という関係性と事件について、もっともっと検証せねばと思うのです。
毎日新聞上東さんの記事