ぷかぷか日記

虐待は、虐待をする人間をダメにします。そのことに障害者施設はどこまで気づいているのでしょう。

今朝の朝日新聞朝刊、また県立の障害者施設で虐待。

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「服薬用の水などに塩や砂糖が入れられた」「利用者の肛門にナットが入っていた」「利用者に数百回のスクワットをさせた」等々、気分が悪くなるような内容。

 こんなことは人がすることではないです。障がいのある人達を「支援」する障害者施設でどうしてこんなことが起きてしまうのか。

 

 ふつう、人とおつきあいすれば、その人のいろんなことがわかります。やまゆり園事件で重傷を負った尾野一矢さんを介護している大坪さんは、一矢さんのそばにいると気持ちがくつろぐそうです。気持ちがくつろぐような関係って、素直にいいなぁ、と思うのです。

  

 

 障害者施設では、どうしてこういうおつきあいが生まれないのでしょう。結局、「支援」という上から目線の関係が、相手とふつうにおつきあいすることを阻んでいるのではないかと思います。

  重度障がいといわれる人たちも、よぉくつきあえば、いいものをたくさん持っています。

 私自身は養護学校の教員になった時、最初に担任したのは重度障がいの子どもたちでした。彼らはしゃべれないとか着替えができないとかうんこの始末ができないとか、できないことがいっぱいありました。それでも彼らのそばにいると妙に心がくつろぐというか、あたたかい気持ちになって、なんだか惚れ込んでしまったのです。

 月並みな言葉ですが「人間ていいな」って、彼らのそばにいて素直に思えました。そういう大切なものを彼らから教わりました。人間のよさというものを重度障がいの子どもたちに教えてもらったのです。

 障害者施設は、そういったものを感じられる環境にないのだと思います。すごくもったいないというか、彼らと接する人達にとっては不幸なことです。相手と出会えないまま、ひどい虐待して平気な人間になってしまう。

 虐待は、虐待をする人間をダメにします。そのことに障害者施設はどこまで気づいているのでしょう。

 

  どうしたらいいのか。

 「支援」という関係ではないところで彼らとおつきあいする機会を作ってはどうでしょうか。ぷかぷかでは「演劇ワークショップ」や「歌のワークショップ」をやっていますが、こういうところでは「支援」などという上から目線の関係はなんの役にも立ちません。何かを「表現する」ということにおいては、彼らにはかなわないからです。「素手」で彼らと向き合うと、自分はたいしたことないんだ、ということがよくわかります。そうやって私たちは人になることができます。

「人は人を浴びて人になる」

そう思える関係を障害者施設が本気で作るかどうか、そこのところが問われていると思います。

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