そこで遊んでいた子どもたちに、障がいのある子どもたちの説明とか、こんな風につきあって下さいとか、こんな配慮をお願いします、といったことは一切いいませんでした。連れて行った重度障がいの子どもの一人が野球をやっていた子どもたちの中にふらふらと入っていきました。どうなったと思いますか?ちょっと想像して下さい。
①大混乱になった。
②けんかになった
いずれも×です。ではどうなったか。6年生のみさえの報告を見て下さい。
私たちが野球をしていると、気がついたときにいたというか、あとから考えても、いつ来たのかわかんないけど、けんいち君が入っていて、バットを持ってかまえているので、お兄さんのあきら君や大久保君にゆっくり軽い球を投げてもらい、いっしょに野球をやることにしたんです。
けんいち君は、最初のうちは球が来ると、じーっと球を見て、打たなかったんです。球の行く方をじっと見ていて、キャッチャーが球をとってからバットを振るのです。
でもだんだんタイミングが合うようになり、ピッチャーゴロや、しまいにはホームランまで打つのでびっくりしちゃった。
それから、打ってもホームから動かないで、バットをもったまま、まだ打とうとかまえている。走らないの。
お兄さんのあきら君や大久保君や私たちで手を引いていっしょに一塁に走っても、三塁に行ってしまったりして、なかなか一塁に行かないんだもん。どうも一塁には行きたくないらしいんです。
でも、誰かと何回もいっしょに走るうちに、一塁まではなんとか行くようにはなったんだけど、それ以上は2,3塁打を打っても、一塁から先は走らないで、ホームに帰ってしまって、バットをかまえるのです。
「かして」っていってバットを返してもらおうとしたけど、返してくれないの。誰かがとろうとしてもかしてくれないんです。でも、どういうわけか不思議なことに、私が「かして」というと、かしてくれるのでうれしかったです。
だから、けんいち君が打ったら、バット持って行っちゃうから、私がけんいち君を追いかけていって、バットをかしてもらい、みんなに渡して順番に打ちました。終わったらまたけんいち君という風に繰り返しました。
けんいち君はすごく楽しそうに見えたよ。最初はうれしいのか楽しいのかわからない顔だったけど、ホームランを打ち始めてから、いつもニコニコしていた。
一緒に野球をしたのは7人。敵、味方なし、チームなしの変な野球。アウトなし、打てるまでバット振れる。ほんとうはね、けんいち君が入るまでスコアつけていたんだけど、けんいち君が入ってからは三振なし、敵味方なし、チームなしになったの。一年生のちびっ子たちには都合がよかったみたい。負けてたからね。
泥臭い小さな「ともに生きる社会」がここにあります。
今、あちこちで「ともに生きる社会」だの「共生社会」だのと言われていますが、一向にその具体的なものが見えません。30年前に子どもたちがいとも簡単に作ってしまった小さな「ともに生きる社会」が、どうして今ないんだろうと思います。
この話は『街角のパフォーマンス』にありますので興味のある方はぜひ読んでみて下さい。
障がいのある人たちは社会にあわせることを求められます。そうしないと社会の中で生きていけない、みたいなこと言われて…。
ぷかぷかはお店を始めるにあたって接客の講習会をやった時、接客マニュアルに合わせるぷかぷかさんの姿が気色悪かったので、マニュアルに合わせる、言い換えれば社会にあわせることをやめました。そうすると「ぷかぷかさんが好き!」というファンができました。彼らのこと「理解」したわけではありません。「理解する」ことと「ファンになる」ことは全く別です。彼らのことを「理解」しても。「ともに生きる社会」ができるわけではありません。でも「ファンになる」と、そこには「ともに生きる社会」が自然にできてきます。どうしてだと思いますか?
ここにぷかぷかのヒミツがあります。そのヒミツを知りたい方はぜひぷかぷかにいらして下さい。遠くの方は『ぷかぷかな物語』を読んでみて下さい。映画『Secret of Pukapuka』の上映会を開いてもらってもいいですね。映画を見ると、心ぷかぷかになってぷかぷかのヒミツがわかります。
大事なことは彼らを「理解」するのではなく、人として「出会う」ことです。彼らと「出会う」機会、場所を作ること。それが大事だと思います。