自閉でこだわりの強い方は時々いますが、見ていると、こだわっているものからむしろ自分自身がなかなか自由になれない苦しさもあるようです。こだわりにとりつかれているというか…
昔養護学校で働いていた頃、ケイちゃんというとてもこだわりの強い方がいました。ちょうど宿泊学習でよそへ泊まることになったのですが、どうもそのことに納得できなかったのか、夜のレクリエーションが終わって部屋へ帰る途中から異様に興奮し始め、わめきながら飛び跳ねていました。私のそばへ駆け寄ってきては「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と繰り返していました。天王町サティはケイちゃんのお気に入りのスーパー。部屋に入ってからも布団に上をあっちに行ったりこっちに行ったりしながら「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と汗だくになって繰り返していました。
「ケイちゃん、天王町サティに行くのは日曜日。今日はここで寝ます。ケイちゃん、わかりましたか」「今日はここで寝るの」「そう、わかってるじゃん。さ、寝よう!」「天王町サティいくの」「だからサティは日曜日!」「サティは日曜日」「その通り、わかってたらもう静かに寝てよ」「天王町サティいくの」「ケイちゃん!」ともう泣きたくなる。
ここから更に1時間近く「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と繰り返していましたが、最後の方は涙を浮かべながら繰り返していました。ケイちゃん自身、もう天王町サティなんか行く気はほとんどないのに、「天王町サティいくの」の言葉だけが、自分の意思と関係なく口から飛び出して、それがやめられない苦しさが涙を浮かべるほどになっているようでした。ちょっともうかわいそうなくらい。それでもさすがに疲れたのか、10時を過ぎところ、電気を消して暗くするとすっと寝入ってくれました。
翌朝、6時きっかりに目を覚ましたケイちゃん、いきなり「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と大声で叫び、「うう、頼むからもうちょっと寝かせてよ」とお願いするも、もっとそばへ寄ってきて、耳元で「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」の大声。朝からどっと疲れました。
そんなケイちゃんでしたが、嵐が通り過ぎるとやっぱり愛おしくて愛おしくて、彼らといっしょに生きる「ぷかぷか」を立ち上げてしまったのでした。あの嵐のような「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」のおかげかも、と思ったり。
「そうだそうだ」とこの猿がいってるような気がして…