パラリンピックの選手が
「私は自分を障害者と思っていない」
と言っていたそうですね。ま、どう思うかは人それぞれで、こちらがとやかく言う話ではないのですが、共生社会とか多様性を掲げるパラリンピックで、障害者を否定するような言葉が出てくるのは、なんとも残念です。
これは選手の感覚と言うよりは、障害者をマイナスとしか見ない社会の反映なのだと思います。「あれができない、これができない、社会の重荷」といった感じのマイナスのイメージ。
「そういう障害者と自分は違う」
と、そんなことを言いたかったのだろうと思います。パラリンピックに出るくらいの、ずば抜けた身体能力のある人にとってみれば、全くその通りだと思います。
それでも尚、この言葉には違和感があるのです。
「私は自分を障害者と思っていない」
なら、健常者なのかと言えば、やっぱり目が不自由であったり、足が不自由であれば、やはり日常的には色々大変なところはあると思います。ならば素直に
「競技の時はともかく、ふだんは障害者だよ」
っていえばいいのに、そう思っていない、と言い張る。まさに「言い張ってる」感じがするのです。どこまでも障害者を否定してしまう。
もし障害者という言葉がマイナスではなく、プラスのイメージを持っていたらどうでしょう。
ぷかぷかは障害のある人たちに惚れ込んで始めた事業所なので、マイナスどころか、プラスもプラス、いっしょに生きていかなきゃソン!だと思っています。障害を克服しよう、なんて全く考えてなくて、そのままのあなたが一番魅力的、と言い続けています。
そんな彼らといっしょにぷかぷかを作ってきました。ぷかぷかの魅力は彼らの魅力です。障害のあるぷかぷかさんたちのおかげで、こんな素敵な場所ができたのです。ぷかぷかにとって、彼らは
「なくてはならない存在」
なのです。
毎月、パン屋の大きな窓に、こんな素敵な絵を描いてくれます。
お弁当を彼らの絵で包むと、お弁当の価値がグ〜ンと上がります。
彼らがいてこその素晴らしい舞台。
ぷかぷかさんたちは知的障害ですが、身体障害の人たちも、彼らがいることで社会が豊かになっています。歩くことが不自由な方がいるから、ほとんどの駅にエレベーターができたり、いろんなところで段差がなくなったりして、みんなが暮らしやすくなりました。目の不自由な方のために駅のプラットホームに柵ができ、誰にとっても安全なプラットホームになりました。障害のある人たちの暮らしやすい街は、誰にとっても暮らしやすい街です。ですから社会にそういう人たちがいることで、社会全体が豊かになります。
社会全体が障害のある人たちのことを、こんな風にプラスのイメージ、「なくてはならない存在」と考えていれば
「私は自分を障害者と思っていない」
などという言葉は、多分出てこなかったのではないかと思うのです。
あなたはどう思いますか?