ぷかぷか日記

この街に住むあなたと私、という関係で〔養護学校キンコンカンー③)

 養護学校の教員をやっていた頃の話です。

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 養護学校に通うキィちゃんが近所の小さな子どもの首を絞めてしまうという事件があり(本当に首を絞めたのか、かわいいと思って抱きしめようとしたのかはっきりしないのですが、結果として、こういう子どもを一人で外に出すな、という雰囲気になりました)、お母さんはえらく落ち込んでしまいました。たまたま実習に来ていた学生さんは大学院で特別支援教育を勉強していたので、こういう場合はどうしたらいいか、聞いてみました。

 ところがこういった問題については勉強したことがないというのです。教授も学生もそういった問題(自分自身のありようも問われるような社会性を帯びた問題)については考えたこともないと。子どもたちの「障害」についてはよく勉強するし、とても研究熱心。でも、それはあくまで「障害」を軽くし、「発達」を促すという方向。子どもはだから「研究」もしくは「指導」の対象であって、この時代をいっしょに生きていく相手ではありません。

 今回のキィちゃんのような事件の場合、キィちゃんが情緒不安定にならないためにはどうしたらいいか、といったことは考えるかも知れないけれど、今一番苦しい思いをしているお母さんをどうやって支えればいいか、あるいは社会の何が問題なのか、どうすればいいのか、といったことは考えない。そんなことは自分たちに関係ないとみんな思っている……と、そんな話でした。ま、正直な方でした。

 養護学校の教員とおんなじだと思いました。そういったところを卒業した人が多いので、同じような感じではあるのですが、学校の現場ではキィちゃんのような事件はいっぱいあって、だから子どもの「発達」を促していればいい、というわけにはいきません。苦しい思いをしているお母さんがいれば、やっぱり知らんぷりはできないし、いろいろ話をしていると、自分とは関係ないとは言い切れない問題がいっぱい出てきます。

 じゃあどうするのか、ということです。「子どもの親と担任」といった関係ではなく、この街に住むあなたと私、という関係で考えていかないと、辛い思いをしているお母さんを支えきれないように思いました。

 社会の問題がむき出しになるような現場で、自分はどのように立つのか。「先生」という肩書きの影に隠れるのではなく、この社会を形作っている「あなた」はどうなんですか?という問いにまっすぐに向き合う。そこからしかこの問題は解決しないように思うのです。

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  社会的な問題と自分とのつながりが見いだせない人が多いのは、昔も今も変わりません。福祉のネットワークサイトにやまゆり園事件に関するブログを投稿していたら、二つのサイトから排除されました。社会の問題を自分事としてきちんと受け止めようとしない。だからそういうことを口うるさく言う人間は目障りなんだと思います。

 

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