ハナちゃんが久しぶりにご飯を食べに来ました。今、中1だそうで、背丈はお母さんとほぼ同じ。これでは抱っこもできないなと思っていたら、目の前で甘えてお母さんのひざの上に。お母さんも大変です。
背中におんぶして演劇ワークショップの舞台に立ったのは何年前だっけ、と思って調べてみたら2019年の宮澤賢治作『ほらクマ学校を卒業した三人(ぷかぷか版)』をやった時でした。写真左端です。
中1になった今、お母さんからスマホを取り上げて、ササッと操作して楽しんでいました。私はあんな風にササッと操作できないので、ただただすごいな、すごいなと思いながら見ていました。
重度障害のハナちゃんが、自分よりもはるかに手早く操作してスマホを楽しんでいるという現実は、彼らよりも自分たちの方ができる、と思い込んでいる社会を、ガサッと揺り動かすのかも、と思ったり。
「ハナちゃん、すごいじゃん!」
という気づきは、自分の中の人間の幅を広げてくれます。その広がりこそが、事件を超える社会を作っていくように思うのです。
先日桜美林大学のオンライン授業に重度障害の尾野一矢さんが参加しましたが、学生さんの感想にこんなのがありました。
「zoomの画面を俯瞰してみると、なんだかかずやさんが一番人間らしいな、と思ってしまったのです。私たちは本当に社会に縛られまくっていて、喜怒哀楽を公で表現できず、感情を押し殺している時もあります。その一方、自分を自由に表現している一矢さんを見て、これが本当の人間の姿だなぁ…この姿がいいな、と思いました」
「かずやさんが一番人間らしいな」という気づき。「重度障害者は何もできない人」ではなく、「一番人間らしい」。なんて素晴らしい気づきなんだろうと思います。
こういう気づきにふれると、「障害者はいないほうがいい」「障害者は不幸しか生まない」等の言葉を口にした犯人は、日々重度障害の人たちとどんなおつきあいをしてたんだろうと思ってしまいます。