先日の朝日の記事
知人から
記事の中の
【成果は出ている。昨年、コラボセに仕事を引き受けてもらってグループ企業が生み出せた時間は計3・6万時間。コラボセ発足1年目から2・4倍に増えた。今やグループ24社の仕事を引き受け、「おかげで売り上げが達成できた」と言われることもある。】
のところ、
「結局、生産性かよ、と思ってしまいました。」
とメールがありました。そうです、そういうことで評価されたのでは、何のために障害者を雇用したのかわからなくなります。
何のために障害者を雇用するのか、そこを考えてみたいと思います。
障害者雇用は障害者のためにあるというのが一般的なイメージですが、私はむしろ会社のためにあるように思っています。だって、彼らが会社に入れば会社は絶対に楽しくなります。心あたたまる気づきがいっぱいあります。もちろん、効率が落ちたり、指示がうまく伝わらなかったりはあります。じゃあどうすればいいのかをみんなで必死になって考えること、それが大事です。それが新しい気づきを生み、新しい価値を生みます。今までなかったことを必死になって考える、それが職場を豊かにします。
生産性が低いといわれる人たちがいることで、「生産性の論理」について深く考えることになります。生産性の論理では説明できない新しい価値に気づく機会になります。
以前「生産性のない人が社会に必要な理由」と題した日記を書きました。
生産性のない人は社会に必要なのです。生産性こそ大事と考えている会社にも。私たちが人であることを回復するために。
先ほどの引用した記事のあと、こんなことが書いてあります。
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数字以上の手応えが、一般社員たちからの反応だ。
「大変な仕事を、私たちよりもずっと丁寧にやってくれる」「毎日の元気なあいさつに心が洗われる」「働くとは、誰かに喜んでもらうこと。そんな仕事の原点を思い出させてもらった」。連携した部署から、たくさんの「気づき」の反響がある。
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数字以上の手応えこそが、新しい価値です。その気づきこそをもっともっと膨らませて欲しいと思うのです。
「毎日の元気なあいさつに心が洗われる」
私が教員をやっていた頃担任していた生徒が、卒業後就職した会社で同じような言葉をもらっていました。元気のいいあいさつをする人はぷかぷかにもいます。こういう人は職場を気持ちのいいものにします。
心が洗われるほどの元気のいいあいさつ。このあいさつが生み出す価値は、生産性の論理では計れません。そういうものを大事にすることが会社を豊かにします。
こんな人たちとはいっしょに生きていった方がトク!