2年ほど前、福岡で小さな講演会をやった時、特別支援学校で教員をやっている方が
「あの空気感に少しでも近づけるといいな、と特別支援学校にてますます思うこの頃です」
とブログに書いていました。
「あの空気感」というのはぷかぷかさんたちが生み出す、ほっこりあたたかな空気感です。
特別支援学校にはすてきなぷかぷかさんたちがいっぱいいるのに、あの空気感が生まれないのは、なんかすごくもったいない気がします。
学校というところは生徒たちを「指導」します。「指導」という関係しか頭に思い浮かばない、といった方がいいかもしれません。そういう上から目線の関係ではなく、そこから自由になって、フラットにつきあえば、もっといろんなおもしろいことができるのに、と思うのです。
教員になって最初に受け持ったのは重度障がいの子どもたちでした。毎日がすごい大変でしたが、大変な中にあっても、彼らのそばにいるとふっと心和む時があって、いつしか彼らのそばにずっといたいなと思うようになりました。
人間にとって大切なものは何か、ということを重度障がいの彼らに教わった気がしました。そんなことに気づいて以来、自分の方がえらいとは思えなくなったのです。だから彼らを「指導」するなんて、そんなえらそうなことはできなくなったのです。
もちろんいろいろ教えることはありました。着替えの仕方を教えたり、うんこの拭き方を教えたり…。でもそれは目の前にいる人が知らないから、あるいはできないから教えてるだけで、これは人として当たり前のことです。街で困っている人に会った時、ちょっとお手伝いするのと同じです。こんなことは「指導」とはいいません。
自分の方がえらいと思わなければ、相手との関係はフラットなものになり、お互い居心地がよくなります。周りの子どもたちとふつうにつきあう。ただそれだけです。「あの空気感」は、この居心地の良さから生まれます。何よりもそこから楽しいことがたくさん生まれます。
たとえばこんなこともできちゃうのです。
昔私が教員をやっていた頃の「芝居小屋」です。サングラスかけた怪しい男が私です。この雰囲気は「指導」という関係からは絶対に生まれません。
こんな自由な雰囲気から生まれた元気物語を集めたのが『とがった心が丸くなる』です。次回はその「芝居小屋」の話を書きます。