なにかにつけ「共生社会」という言葉が出てきますが、その具体的な中身になるとさっぱり見えません。それを口にすれば、何かいいことやってるイメージというか、ただ言葉をもてあそんでいるだけ。相模原市がオリンピック聖火をやまゆり園事件の現場で採取するなどといったとんでもない企画を出してきたのも、多分そのあたり。
今朝の神奈川新聞成田さんのFB
【やまゆり園事件と五輪聖火52】共生とは、啓発するものでも願うものでもない。共生の方に向かってなされる日々の実践の中から立ち現れるものだと思う。打ち上げ花火のような一過性のパフォーマンスからは共生は生まれない。絶えることのない実践の中からしか生まれない。
「共生」とは、言うものではなく、やるもの。ぷかぷかがやっているのは、まさにそれ。私が昔やっていた「あそぼう会」は30年も前にその実践をやっていました。
『とがった心が丸くなる』にはその実践記録である元気物語が満載。
今ぷかぷかでやっている演劇ワークショップは、この本を書いた1985年に始めました。あれができないこれができない、とマイナス評価ばかりの養護学校の生徒たちでしたが、彼らと一緒にやれば、なんかとんでもなくおもしろいものが生まれるのではないか、という予感があったのです。
予感は見事に当たりました。芝居を作る手がかりとして大きなぬいぐるみを模造紙と新聞紙で作ったことがあります。その時養護学校の生徒の一人が
「俺、海のぬいぐるみ、作るから」
といいました。
え? 海のぬいぐるみ? 海の、どこを、どう切り取って海を作るの?と思いました。
こういうとんでもないことをさらっと思いつく彼らと一緒にやるから、楽しさが10倍くらいになり、でき上がる芝居の幅がぐんと広がります。楽しさと幅の広がりは、そのまま彼らといっしょに生きる意味を語っています。
そんな中で彼らに向かって
「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」
としみじみ思うようになりました。
「共生社会を作ろう」とか言葉遊びをするのではなく、
「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」
とリアルに思える関係を30年も前に作ったのです。
下に貼り付けた当時の写真からはワークショップの場が作り出すエネルギーがビリビリ伝わって来ます。彼らと一緒に芝居を作ることで生まれた小さな「共生社会」が作り出すダイナミックなエネルギーです。
「共生社会」が何を作り出すのか、それをわかりやすく語る写真だと思います。
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