おもしろい本見つけました。『こんな夜更けにバナナかよ』の著者渡辺一史さんの本です。障がいのある人とのおつきあいから、「なぜ人と人は支え合うのか」という今の社会にあって、とても大事なテーマを丁寧に掘り下げて考えています。
本の中に紹介されている海老原宏美さんの言葉がいいです。
《人は「誰かの(何かの)役に立つ」ということを通して自分の存在価値を見いだす生き物なんじゃないか、という気がします。でも、役に立てる対象(困っている人)がいなければ、「誰かの役に立つ」ということ自体ができないので、困っている人の存在というのも、社会には欠かせません。となると、「困ってるよ」ということ自体が、「誰かの役に立っている」ということになりますね。つまり、世の中には「困っている対象者」と「手を貸してあげられる人」の両方が必要なんです。》
なるほど、と思いました。いろんな事ができなくて困っている人の存在が、マイナスの存在ではなく、誰かの役に立っている。目から鱗でしたね。
障がいのある人をそんな風に見ていくと、彼らは社会に欠かせない存在になります。いろんな事ができなくても、もっと堂々と胸を張って生きていっていい。海老原さんは、そう言っている気がします。
海老原さんは24時間介護を受けながら自立生活している重度障がいの人です。いつも誰かの助けを借りながら、そこで負い目を感じるのではなく、助けを借りる存在が社会には必要なんじゃないか、と指摘します。人と人との関係の本質を突いています。人と人が関わる、というのはそういうことじゃないか、と。
そこから社会を見ていくと、何かができるできないで人を評価する社会は、人の大事な役割を見落とすことになることがよくわかります。新しい価値(困っている人の存在の価値)を見いだせないまま、社会はますます閉塞状況になります。逆に、困っている人の存在の価値=意味が見えてくると、この閉塞状況を突破する道が見えてきます。誰もが生きることが楽になります。
海老原さんが街の中で自立生活を始めたり、「自立生活センター東大和」を立ち上げたりすることで、東大和市の福祉の世界だけでなく、経済活動そのものが活性化したといいます。困っている人の存在が、こんなにも社会を動かしている。障がいのある人たちの作り出す新しい可能性を見た気がしました。
海老原宏美さんの言葉をもう一つ
《 すごい綺麗な富士山が見えた時、「ああ、なんか今日はいいことがありそうだ、ラッキー!」とか思う。でも、あれも、ただ地面が盛り上がっているだけ。まぁ、うまい具合に盛り上がってものだとは思いますが、そこに価値を見いだして、感動して利しているのは人間の側なんですよ。
だとしたら、目の前に存在している障がいのある人間に対して、意思疎通ができないからといって、何の価値も見いだせないっておかしくないですか?
それは、障害者に「価値があるか・ないか」ということではなく。「価値がない」と思う人の方に「価値を見いだす能力がない」だけじゃないかって私は思うんです。》
やまゆり園事件の植松死刑囚は、不幸にもそういった価値が見いだせなかったのだろうと思います。それは彼だけの問題ではなく、彼が働いていたやまゆり園の障がいのある人たちへの向き合い方の問題が大きく影響していると思います。いつも書くことですが、「支援」という上から目線は相手の存在の価値を見いだす目を曇らせてしまう気がします。
本の最後の方にいい言葉がありました。
「人間ていいものだな」
そんな風に思わせてくれた筋ジストロフィーの鹿野さんとの出会いが、『こんな夜更けにバナナかよ』の本と映画を生み出し、著者渡辺さんのその後の人生の大きな転機をもたらしたといいます。
私も養護学校教員になって最初に受け持った重度障がいの子どもたちとの嵐のような日々の中で、それでも心あたたまるひとときがあって
「人間ていいものだな」
としみじみ思い、彼らのことが好きになってしまいました。それが今のぷかぷかにつながっています。
ぷかぷかさんと出会い、ぷかぷかのファンになったたくさんの人たちも、みんなどこかで
「人間ていいものだな」
って気がついたのだと思います。海老原さんの言う、おつきあいの中で相手の存在の価値を見つけたということです。その気づきが新しい関係を生み、新しい物語を生み出しています。
本の題名「なぜ人と人は支え合うのか」。それは支え合う関係の中で「人間ていいものだな」って、お互いが感じあえるからだと思います。