14年前の「子どもとゆく」の日記にこんなこと書いていました。
《 昨年から養護学校卒業後の「個別支援計画」ができて、障がいのある人にどういう支援が必要かを書いた書類が、在学中だけでなく、卒業後もずっとついて回ることになった。
長野県の山あいでもう20年以上も障がいのある人たちと一緒に味噌を作って生活を立てている「おむすび長屋」の田中さんに電話した時、その個別支援計画が話題になり、「40,50になった人たちに支援計画なんてのはないんじゃないの」
「もちろんいろいろ問題抱えている人はいるし、40.50になってもいろいろできないことはあるよ。でも、その人なりに満足して毎日暮らしているんだから、それでいいんじゃないのかなぁ。お節介というか、相手を馬鹿にしてる感じだね。」
「ただ書類上、支援計画を出さないと行政からお金が下りてこないので、そこが辛いところだけど…」》
おむすび長屋ができてすぐの頃(もう30年以上前)、泊まりがけで遊びに行ったことがあります。コーイチローさんというすごく楽しいおっちゃんがいました。近々ボーナスが出るとかでウキウキしていました。
「ボーナスが出たら、何買うんですか?」
「スナックいって、サイダーのむんだよ、ガハハハハ」
無精ひげを生やした豪快な笑顔がステキでした。なんて幸せな人生なんだろうと思いました。ちょっとうらやましいくらいでした。こんな幸せな人生を送っているおっちゃんに、今更何を支援するんだろうと思いましたね。
田中さんが言うように、ほんとこれは、余計なお節介であり、相手を馬鹿にしています。
幸せな人生を送っているおっちゃんに、こんなふうに介入してくる福祉って、何なんだろうと思います。
コーイチローさんは何かができるようになりたいとは、多分思っていません。おむすび長屋の慎ましい暮らしに、それなりに満足して暮らしています。そんなコーイチローさんの日々こそ応援したいと思うのです。いっしょにスナック行って「かんぱ〜い!」って一緒にサイダー飲んで楽しむような応援。
そんな応援にこそ、行政はお金を出すべきです。そして福祉の現場の人には、支援という上から目線ではなく、相手とフラットな関係でそういう応援こそやって欲しいと思うのです。