今月末でやめていくスタッフがぼそっと言った。
「ぷかぷかさんて障害者だったのね。ずっと忘れてたわ」
この感覚がすごくいい。いっしょに生きていく、というのはまさにこの感覚だと思う。障がいのある人との対等な関係。あれができないこれができないと、障がいのある人たちを見下したりしない。
相手と人としてつきあっているから、そこに「障害者」という言葉はもう必要ない。障害があるとかないとか関係なく、彼らとはおつきあいすればすごくおもしろい。
つきあうとおもしろいからつきあう。おつきあいの原点とも言えるのだが、ぷかぷかさんとのおつきあいはそのことにつきる。だからおもしろいものが次々に生まれる。
おもしろいだけではない、彼らの作り出すものは私たちの心を癒やしてくれる。だから私たちにとってとても大切な人たち。すぐ上の絵は、ぷかぷかさんの描いたスタッフの似顔絵だが、スタッフは宝物のように大事に大事にしている。スタッフと利用者さんという関係を遙かに超えた豊かな関係。お互いが幸せを感じる関係がここにはある。
「わらび餅」も文字も、お客さんの心をわしづかみにする。この文字は社会をゆるっとさせる。こんな文字を書く人は社会の宝だと思う。
太陽住建さんがニューヨークで開かれたSDGsの世界大会のレポートの表紙にぷかぷかさんの絵を使ってくれたのも、持続可能な社会を作っていく上で彼らとの関係が大事だ、という思いがあったからだと思う。「先見の明」といっていい。
太陽住建さんは太陽光発電を使って持続可能な社会を作ろうとしている。その工事現場に何度かぷかぷかさんがお手伝いに行き、おつきあいがはじまった。そういう関係の中で、持続可能な社会を作っていく上で、ぷかぷかさんたちの存在はとても大事だと思ってくれている。そんな思いがレポートの表紙の絵には込められている。
何かと窮屈で、息苦しい社会。持続可能な社会にするためには、この問題の解決が必要。ぷかぷかがぷかぷかさんと一緒にほっと一息つけるような空間を作り出していることは、その解決策の一つを示している。持続可能な社会を作っていく上で、彼らとのおつきあいはとても大事だとあらためて思う。
彼らのことを障害者としか見られない社会は、持続可能な社会を作っていくこういう新しい動きから、どんどん取り残されていく気がする。彼らとのつきあい方一つで、みんなが豊かになれる社会が実現するのに、もったいないことだと思う。
ぼそっと語ったに過ぎないのだが
「ぷかぷかさんて障害者だったのね。ずっと忘れてたわ」
の言葉は、なんかすごく大事なことを語っている気がする。