久しぶりに養護学校の先生と話をする機会がありました。
ぷかぷかは社会に合わせるのではなく、そのままの彼らが一番魅力的、といっています。その流れで、学校というところは生徒を社会に会わせるためにいろいろやっているよね、といった話をしたのですが、その言葉がずいぶん響いたようでした。
どうしても「将来のためにこんな力が必要だ」と考えて指導をしてしまうようです。
会社に就職するためには、やっぱり社会に合わせるようにしないと、うまくやっていけません。だからそういう方向で指導せざるを得ないのはわかります。でもその指導が、生徒たちにとっては自分を押し殺す辛いものになっていることは想像して欲しいと思います。そしてこういうことが日常化すると、生徒たちは自分を表現することを忘れてしまいます。自分を生きることを忘れる、といってもいいでしょう。
自分を生きることを忘れる。これは大変なことです。
お客さんたちがぷかぷかに来て、ほっとする、というのは、ぷかぷかさんたちがありのままの自分を生きている姿を見て、自分自身がこのなにかと息苦しい社会の中で、自分を生きることを忘れていたことに気づくからではないでしょうか?
昨年暮れ、共進印刷の「ありがとうナイト」で、ぷかぷかさんたちによる似顔絵コーナーをやりました。似顔絵を描いてもらいながら、その場の居心地がよかった、といって下さるお客さんがいました。その方が「ぷかぷかな物語」を読んで感想を送ってくれました。
《 私はどうしてぷかぷかさんたちといる雰囲気に居心地の良さを感じるのか、分かった気がしました。それはぷかぷかさんたちが、社会(規範)に合わせることなく自分らしく振舞って(働いて)いるところに、素直に明るさや楽しい気持ちをもらっていたんだと思います。
それを『ぷかぷかな物語』を読んで気づきました。 効率性が重んじられることに息苦しさを感じる中、ぷかぷかさんのいる空間はそれを払しょくして安らぎを与えてくれる場でした。》
こんな風に気づく人を、私たちは「社会との接点」で、もっともっと作っていく必要があると思います。気の遠くなるような作業のように見えますが、少なくともぷかぷかのまわりはずいぶん変わってきました。お店も、外販も、様々なイベントも、すべて社会との接点です。そこの社会がぐんぐん変わってきています。これは大きな希望といってもいいと思います。
彼らがありのままの彼らを生きることは、そのまま、彼らのまわりの社会を救うことになると思うのです。
学校でどのようにやっていくのか、とても難しい問題ですが、ありのままの彼らの魅力をもっともっと社会に向けて発信して欲しいと思います。彼らの社会的な生きにくさに、あるいは社会そのものにどう向き合うのか、ということにつながることだと思います。