ぷかぷか日記

勝ちに行く

 先日もお知らせしましたが、ヤマト福祉財団が小倉昌男賞を募集していたので、それを取りに行くことにしました。「勝ちに行く」のです。福祉事業所が「勝ちに行く」というのも変な話ですが、それくらいの勢いがないと、いい福祉なんかできないと思っています。「勝ちに行く」という勢い、緊張感が、素晴らしい推薦文、実績を書かせたと思っています。ぷかぷかがやっていることを、どうやったら相手に伝えることができるのか、それを考えることは事業を振り返ることでもありました。いい経験をしたと思っています。

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 保護者の方は推薦理由にこんなことを書いてくれました。

 

推薦理由

出会い

私と高崎さんとの出会いを作ってくれたのは息子です。自閉症の息子はパン屋で働きたいと希望し、たまたま養護学校の教諭をされていた高崎さんが退職金をはたいてパン屋を立ち上げる、という情報を得ました。「一緒にやりましょう」という高崎さんの熱気にあれよあれよと巻き込まれ、「ぷかぷか」で息子は働き始めることになりました。

見当違いの努力

小さい頃から私は息子を人に迷惑をかけないように育てなければいけないとばかり考えていました。息子はともかくおしゃべりが多く、これを直せないと社会で生きていけない、とまで考えるようになりました。そんな息子が自分からパン屋で働きたいと言い出したのです。自閉症の人は一般的に対人関係が苦手と言われています。しかも息子は手先があまり器用ではなく、パン作りもできるとは思えませんでした。そんな固定観念を打ち破ってくれたのが高崎さんです。何と息子をパン屋の営業部長としての役割を与えてくれたのです。直すように努力をしていたお喋りも、「別にいいですよ」と言われ、今ではそのお喋りが「売り」の一つになっています。彼のお喋りがパン屋の売り上げを牽引し、彼にはファンまでいるのです。障害者は社会に合わせていかなければならないのではなく、「そのままの彼らがいちばん魅力的」といい、その魅力を「売り」にしてぷかぷかは商売をしています。誰でも自分らしく生き生きとできる場がぷかぷか。これは、障がいのある人たちといっしょに生きていく、というフラットな関係だからできることです。もし高崎さんが「障害者を支援する」という上から目線の関係の中で活動していたなら、決してできないことです。ぷかぷかさんたち(利用者さんのことをこう呼びます)が楽しく笑顔で働くことで地域に笑顔の連鎖が生まれ、地域を元気にしているのです。

地域の人と芝居作り

活動の一環としてぷかぷかさん、スタッフ、地域の人たちを巻き込んで演劇ワークショップをやっています。舞台は演出家が作るのではなく、みんなであーだこーだ言いながら作ります。その過程でぷかぷかさんたちの発想の豊かさ、存在の豊かさが際立ち、自然に「あなたが必要」と思えてきます。障がいのある人に対してそう思えるの場は貴重です。舞台の様子は記録映画になり、全国で上映会を開いています。そのほか、地域の人が参加するパン教室、アートワークショップ、大学や区役所でのワークショップを積極的に行っています。人権研修会では当事者も加わり、人権についてリアルな気づきを生み出します。

一緒に生きていこう

高崎さんの活動は「ぷかぷかさんが好き!一緒に生きていった方がトク!」という思いが根底にあります。高崎さんの情熱、パワー、実行力を目の当たりにしてきた者として、高崎さんこそ小倉昌男賞にふさわしいと思い、推薦します。

 

 

 これにぷかぷか代表の略歴、実績を書き加えました。メールでの提出もあるので、リンクを張っておきました。

 

高崎明略歴

1949年4月30日生まれ

1973年4月〜1981年3月 民間会社勤務

1981年4月〜2010年3月 県立養護学校教員を務める。演劇ワークショップの手法を取り入れ、学校でたくさんの芝居を作った。三ツ境養護学校では全校生といっしょに1年かけて芝居を作り、文化祭で発表する授業を10年続けた。瀬谷養護学校では養護学校の生徒と地域の人たちで芝居作りを10年続けた。担当した学年では生徒たちと一緒に芝居を作り、文化祭の舞台で発表する授業を25年続けた。

2010年4月 就労支援B型事業所ぷかぷか設立〜現在に至る

 

実績 

・就労支援B型事業所ぷかぷか設立後、試行錯誤しながら、障がいのある人たちにまつわる新しい価値を生み出し、ホームページに発表し続けている。https://www.pukapuka.or.jp

・ぷかぷかは創業者の高崎が養護学校教員時代に障がいのある子どもたちに惚れ込み、彼らといっしょに生きていきたいと思って始めた。だから、ぷかぷかは障がいのある人たちと「支援」という上から目線の関係ではなく、「いっしょに生きていく」という「フラットな関係」で事業を展開している。

・そこで見えてきたものは、彼らとの関係ひとつで、彼らは「あれができないこれができない」といったマイナス価値の人たちではなく、「社会を耕し、社会を豊かにする存在」であること。

・彼らに惚れ込んで作ったお店なので、社会に合わせた彼らではなく、そのままの彼らで働いてもらっている。社会に合わせて自分を押し殺すのではなく、ありのままの自分で働く。その結果、ほっこりあたたかな、ほっと一息つける雰囲気のお店になった。ありのままの彼らにはそういった雰囲気を作るチカラがある。それが彼らの魅力。

・ありのままの彼らの魅力に気がついた人たちが「ぷかぷかさんが好き!」とファンになり、売り上げを生み出している。おしゃべりの止まらない方も、そのままで働いてもらい、そのおしゃべりの魅力に気づいた人たちがファンになり、外販の半分くらいは彼のおしゃべりが生み出している。

・ファンができたことは、障害者を排除することの多い社会にあって、ぷかぷかのまわりの社会が変わってきたことを示している。彼らとはいっしょに生きていった方がいいと思う人が増え、社会の幅が広がり、豊かになってきたと考える。まさに、社会を耕し、社会を豊かにする存在。

・そんな彼らといっしょに生きていく中で、ぷかぷかは社会を豊かにするものをたくさん創り出してきた。https://www.pukapuka.or.jp/2020/08/05/5615/

・アート商品はぷかぷかさんたちの生み出した作品とそれをどう見せるかのスタッフの演出が生み出したもの。ここにも彼らといっしょに生きる関係がある。

https://www.pukapuka.or.jp/art/

・相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者は不幸しか生まない」といったが、ぷかぷかが生み出すアート商品、お店の雰囲気は、まわりの人たちをハッピーな気持ちにさせている。事件を起こしたやまゆり園とぷかぷかでは、利用者さんとの関係が全く違うことがここからうかがえる。

・ぷかぷかさんと地域の人たちで演劇ワークショップをやっているが、そこで生まれる芝居は、いっしょに生きると何が生まれるかを具体的に示し、彼らとはいっしょに生きていった方がいい、ということが一目でわかるような作品になっている。そのワークショップの記録はこちら

https://www.pukapuka.or.jp/diary/tag/%e3%81%bf%e3%82%93%e3%81%aa%e3%81%a7%e3%83%af%e3%83%bc%e3%82%af%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%97/

 

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