虔十公園林
宮沢賢治の「虔十公園林」という童話をご存知ですか。
わたしが「虔十公園林」のことを知ったのは、今から20年程前のことです。
この3月までわたしは障がいのある方の通所施設で働いていましたが、
そこで働きはじめて間もない頃に、先輩職員がこんな童話があるよと教えてくれたのでした。
その時から、わたしはこの「虔十公園林」をずっと傍らに置くことで、この仕事を続けて
いこうとしている自分の支えとしてきました。
去年の夏前に、わたしは「虔十公園林」の主人公「虔十」への想いのようなものを、
自分なりに書いてみました。
単純な短い文にすぎないのですが、これは、長く働いてきたその施設を辞めることと
「でんぱた」のような場所をつくろうと心に決めた時に、
自然に「虔十」のことが思い浮かんできてその想いを書いたものです。
宮沢賢治の「虔十公園林」の主人公の虔十は、今で言う知的障がい者。
仲間に馬鹿にされ笑われることがあっても、真っ直ぐに暮らし生きている。
やがて、虔十は病に倒れていなくなるが、彼が植えた杉林は残る。
そして、後の人々は、虔十の人柄と働きの意味について、次のように語る。
「そこらの畑や田はずんずん潰れて家がたちました。いつかすっかり町になってしまったのです。その中に虔十の林だけはどう云ふわけかそのまゝ残って居りました。」
「その虔十といふ人は少し足りないと私らは思ってゐたのです。いつでもはあはあ笑ってゐる人でした。毎日丁度この辺に立って私らの遊ぶのを見てゐたのです。この杉もみんなその人が植ゑたのださうです。あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。」、
「そして林は虔十の居た時の通り雨が降ってはすき徹る冷たい雫をみじかい草にポタリポタリと落しお日さまが輝いては新らしい奇麗な空気をさはやかにはき出すのでした。」。
もしかしたら、わたしたちが生きているこの時代、
人の意識や社会の考えは、
虔十の生きていた時代と大して変わらないのかもしれない。
「笑われたり」、「馬鹿にされたり」、「黙って撲りつけられたり」。
だからこそ、
「たれがかしこくたれが賢くないかはわからない」ということを、
何らかのやり方で、
しめしあらわしていくことが必要と考える。
わたしたちは、
そのしめし方あらわし方を、
虔十のやり方にならっていきたいと思う。
2020年5/1。わたしたちぷかぷかの新しい生活介護事業所「でんぱた」がスタートします。
5名のメンバーさんがそこで新たな毎日をスタートします。
「でんぱた」は、晴耕雨読。
晴れたら野良しごと。
雨が降ったらのんびり過ごしたり手仕事やアート。
「でんぱた」では田んぼや畑しごと、室内での手仕事やアートを
メンバーさんと一緒にやっていきます。
新しい事業所です。皆で力を合わせて0から創っていきます。
ちょうど、虔十と虔十の兄が杉の苗木を1本1本植えていったように。
わたしたちも虔十兄弟にならっていきたいと思っています。
そして後々、虔十の杉林は子共たちの集まる美しい公園林となったように...
「あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。」
皆さま。大切な何かをみつけに「でんぱた」に是非いらしてください。
みんなが集まる虔十公園林のように。