少し前ですが、「ハートネットTV」で「次郎という仕事」を見て、その中で「なんかもったいないんだけど、次郎を街の人に貸してあげるよ、ぐらいな感じですかね」というお母さんのいい方がすごく印象に残りました。次郎との生活は幸せいっぱい、「その幸せを街の人にもわけてあげようと思って…」というお母さんの発想が素晴らしいと思いました。
そんなお母さんが次郎さんのことをnoteで語っています。
お姉さん、お兄さんとの関係がいいですね。お姉さん、お兄さん、お母さん、三人とも、次郎さんがいることで幸せな人生を送っていることがすごく伝わってきます。
お兄さんの「次郎は神様にもらったんでしょ」という言葉はズンときました。障害者は社会に迷惑をかけているとか、社会の重荷、と多くの人たちが思っているこの社会の中で、お兄さんのこの言葉は、大きな希望を感じる言葉でした。こんな言葉をぽろっと口にするお兄さんこそが、お互いもっと気持ちよく生きられる社会に変えていくのだと思います。
障がいのある人がいることで、一緒に暮らしている人たちが幸せになる。あんまり幸せだから、街の人たちにもわけてあげようかな、って思ったお母さんの気持ちが見えた気がしました。
「ボクには、大きな仕事があるらしい。それは、ボクがボクらしく生きていること!」
次郎さんらしいやり方で街で買い物をして、街の人たちは戸惑いながらも、次郎さんとのやりとりを楽しみにしているようです。お母さんにわけてもらったつかの間の幸せです。次郎さんはそうやって毎日街を耕しています。それが「次郎という仕事」。次郎さんにしかできない仕事。そこに次郎さんが社会にいる理由、社会にとって次郎さんが必要な理由があります。
昨日たまたまテレビで「イントレランスの時代」というドキュメンタリーを見ました。相模原殺傷事件をはじめ、不寛容な時代を象徴するものを取り上げ、ああ、今、大変な時代に生きているんだ、とちょっと気が滅入ってしまいました。
ヘイトスピーチを繰り返すデモのそばで、カウンターの人たちが叫びます。カウンターの人たちの姿にはほっとするものを感じましたが、カウンターを出すだけでは不寛容な時代はなかなか変わりません。どうしたらこの不寛容な時代は変わるのか、私たち一人一人が本気になって考えないと、社会の不寛容さは増すばかりです。
そんな時代だからこそ、「次郎の仕事」が街の中で光ります。ぷかぷかさんたちの仕事も街の中で光っています。障害者は社会に迷惑をかけている、社会の重荷、と考えている人たちが、街の中で彼らに出会えば、自分の思い違いに気がつきます。不寛容な心を、少し柔らかくします。ほっこりあたたかいもので満たしてくれます。笑顔にしてくれます。
「イントレランスの時代」の中で、番組を作った神戸金史さんの息子さんカネヤンが、作業所の仕事の工賃をコツコツ貯めてiPhoneを買いに行く場面がありました。1円単位で計算したお金を持っていき、テーブルの上に1万円札、1000円札、500円玉、100円玉、5円玉、1円玉を並べます。なぜかこの場面で涙がこぼれてしまいました。真面目に働いて、真面目にお金を貯め、ほしくてたまらなかったiPhoneを手に入れます。机の上に並べられたお金はカネヤンの努力そのものでした。
こんな風に現金をきちんとそろえてお店に来る人は、そんなにいないと思います。ショップの店員さんはちょっとびっくりしたのではないかと思います。障がいのある人がこんなふうに真面目に働いて、欲しかったiPhoneを買いに来る。働くことの原点がここにあります。こういう人の存在こそが、不寛容な時代の人の心をやわらかく耕していくのだと思いました。店員さんの笑顔が素敵です。
みんながカネヤンみたいに目標に向かってコツコツ働いて、自分の人生が満たされていれば、誰かを排除するなんてことはしないのだと思います。カネヤンの生きる姿勢に、つい涙がこぼれてしまったのです。
不寛容な時代にあって、彼らの仕事はひとつの希望だと思います。彼らこそが、この不寛容な時代を救ってくれるような気がしています。
彼らが社会の中で彼ららしく生きること、それがこの不寛容な時代を少しずつ変えていく、とても大事な、そして大きな仕事になっていると思います。