やまゆり園事件で犠牲になった人たちは、
「どうして私は殺されなければいけないの?」
と思いながら、やりきれない思いで死んでいったのではないかと思います。事件を生んだ社会、つまりは私たち一人一人に向けられた問いです。
やまゆり園事件を「私の問題」として考える、と題したブログに、事件を話題にすることはもういいんじゃないか、という書き込みがありました。でも私は、殺された人たちの思いが頭に浮かび、これから先もずっとこの問いと向き合い続けようと思っています。この問いを「私の問題」として考える続ける中で、人生をが少しずつ豊かになっていく気がするのです。それは社会が豊かになることです。
出生前診断の問題があります。出生前診断で陽性が出ると、90%を超える人が生まない選択をします。殺される胎児は、相模原障害者殺傷事件で犠牲になった人たちと同じように
「どうして私は殺されなければいけないの?」
と思いながら死んでいってるのではないかと思います。
親にしてみれば、障害のある子どもとの人生に幸福なイメージが持てないのだと思います。「障害者は不幸しか生まない」はやまゆり園事件の犯人だけの思いではなく、社会全般の思いなのだと思います。
でも「それはちがう」というメッセージを私たちは出さなければいけないと思います。障害のある子どもとの人生も、すごくいいよっていうメッセージです。ハッピーだよっていうメッセージ。
知り合いの方が妊娠し、医者から障害児の可能性がありますが、どうしますか?と問われたそうです。迷いなく生む方を選択したそうですが、その理由の一つにぷかぷかさんとの出会いがあったといいます。ぷかぷかさんたちの豊かな暮らしを知っていた、というのが生む選択を後押ししてくれた、というのです。
「小さな命を守る決心を応援してくれた気がします。」
とメールにありました。
なんともうれしいメッセージです。
一緒に生きる日々をみんなで「いい一日だったね」っていえる関係が、豊かな暮らしを作り出し、それが小さな命を救うチカラになったんですね。本当にうれしいです。