《一緒に生きる日々を「いい一日だったね」っていえること》と題したブログをシェアしてくれた方のコメントがよかったので紹介します。
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津久井やまゆり園、って書くと、
他の投稿に比べてイイネがつきません。笑
堅い話はみんな読むの面倒くさいんだろうな。
どうしたら伝わるだろう、といつも考えてます。
裁判の判決のニュースだけ見てても、
視聴者は、被告人の残虐さが起こしたこと、
とか、あぁそういうもんなんだな、
ってひとごとでしか分からない。
私だって、ニュースだけ聞いてたら、
争点違うんじゃない?とは思ったけど、
大多数が思うようにどこか他人事で終わってたかもしれません。
ひどい事件、とは思っていたけど、
事件の本質が何なのか、
実は私たちがどこかで出会う
小さな差別や区別と紙一重だということを
自分の中に優生思想はないのか❓と
自問自答することを、
しなかったかもしれません。
ぷかぷかさんのブログや
「ぷかぷかな物語」↓
http://www.gendaishokan.co.jp/goo…/ISBN978-4-7684-3571-7.htm
を読んで、
実際にぷかぷかさんに出会って、
だんだんと自分の中の違和感とか
そういったものと向き合おうとするようになりました。
知らない、が起こすことがどんなに怖いことか。
知らない、を少しでも見たことある、
知ってる、好き、一緒にいたいな、
…に変えるために、
私は息子との生活や自分自身の思いを
発信しています😊🌸
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ぷかぷかと出会ったことがきっかけで、こんな風に人が変わるなんて、うれしいですね。
やまゆり園事件は、やはり「自分の問題」としてみていかないと、犠牲になった人たちに申し訳ないと思っています。どこに自分との接点があり、どうすればいいのか、を一生懸命考える。優生思想云々の大きな話ではなく、私の問題として考える。そういうことが、事件を生んだ社会を変えていくのだと思います。
それと、「共に生きる社会を作ろう」「共生社会を作ろう」といった、抽象的な言葉で話を終わらせないことが大事。どこまでも具体的に何をするのか、ということです。《一緒に生きる日々を「いい一日だったね」っていえること》と題したブログは、まさに「私たちはこういうことをやります」という具体的な提案です。
そういうことを日々積み重ねていく。あーだこーだの話はもういい。そんなことに時間を費やすなら、彼らと一緒に何か楽しいことをやった方がずっといいです。
下の写真のようなことに力を注いだ方が、ずっと意味があります。