やまゆり園事件の被告に対する死刑について書いたブログに知り合いの弁護士がコメントをくれました。
《 人を殺してはいけないと言いながら、死刑制度を認めるのは、論理矛盾です。ただ、今の刑法や世論は理屈ではなく「応報(目には目を)」という原始的な感情論に基づいています。 》
原始的な感情論を超えるにはどうしたらいいでしょう。
《 応報の反対観念が「教育」で、その前提には「性善説」があります。人を殺した人間も教育によって立ち直れると信じられるかどうかです。 》
映画『プリズンサークル』のホームページには「処罰から回復へ 今、日本の刑務所が変わろうとしているー」とあります。
やまゆり園事件の被告にこそ、こういう形で、自分が起こした罪としっかり向き合う時間が必要ではないかと思います。
『プリズンサークル』で紹介されている刑務所では
《 ここの真の新しさは受刑者同士の対話をベースに犯罪の原因を探り、更生を促す「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」というプログラムを日本で唯一導入している点にある。なぜ自分は今ここにいるのか、いかにして償うのか? 彼らが向き合うのは、犯した罪だけではない。幼い頃に経験した貧困、いじめ、虐待、差別などの記憶。痛み、悲しみ、恥辱や怒りといった感情。そして、それらを表現する言葉を獲得していく…。》
とあります。これが「処罰から回復へ」です。
極端な話ですが、被告がぷかぷかへ来て、ぷかぷかさんたちと出会うことができたら、「回復する」ということが十分あり得ると思ったりするのです。
ぷかぷかさんとの出会いの中で、「障害者はいない方がいい」のかどうか、「障害者は不幸しか生まない」のかどうか、きっちりと考えてもらうのです。
ぷかぷかさんとの出会いは人を変え、社会を変えて来ました。被告がぷかぷかさんと出会うことができたら、彼は間違いなく変わります。
こんな風に人はぷかぷかさんと出会います。
裁判での被告の言葉を聞いて、事件を起こした当初と考え方が全く変わっていない。更生の見込みが全くない。だから死刑にするしかない、と社会の多くの人は考えています。被告の考えが変わる環境にいなかったことが全く考慮されていません。
このまま彼が死刑になるなら、社会は自らの回復の機会をまた一つ失うことになります。
「人を殺した人間も教育によって立ち直れると信じられるかどうか」ということです。そこを信じられるとき、社会は前に向かうのだと思います。