支援の現場の人間がどうしてあのような悲惨極まる事件を起こしたのか、結局わからないままやまゆり園事件の裁判は終わってしまいそうです。このままでは事件の温床は、何も問われないまま残ることになります。
せめて我々で支援の現場にとって、社会にとってあの事件は何だったのか、この先どうすればいいのかを考えたいと思うのです。
★コロナウィルスの問題で9月5日(土)に変更されました。
この集まりの中心になっている方は昨年10月に県に対してやまゆり園事件のことで質問状を出したとき、
「高崎さんの問いは、根源的で、共同会に留まらず、今の入所はもちろんボクたち通所の施設にとっても、答えに窮するものだと思います でも、そこから逃げていては、改善はないので、この問いは重要ですし、これは全ての事業所に向けられたものだと思います」
という感想が来ました。それに対し、
「神奈川県への質問を、多くの福祉事業所でも、自分の問題として考えてほしいと思っています。どこが重要なのか、どこがすべての事業所に向けられたものなのか、簡単で結構ですので書いてください。そういうものがあれば、より多くの事業所で「問い」を共有できると思います。」
と書き送りました。それに対し
「現在の障害者施設は、基本できない人たちの面倒をみるところだと考えられていると思います 。共に生きる、共に支えあう人たちとは考えられていないのだと思います 。そして、以前高崎さんが書かれていたように、今の障害者施設では、仕事として障害のある人たちと出会っているけれど、人としては出会っていないのではないかと思います。 そして、それはやまゆり園に限らず、障害者施設全般に言えることではないかと思います。 もちろん、仕事として向き合うことが悪いわけではありません 問題はその仕事の中身です。 障害のある人たちをどう認識し、どういう施設やどういう社会を目指すか、その具体化として日々障害のある人たちとどう向き合っていくのかということが重要であり、そういう意味で、高崎さんの問いは、すべての障害者施設にとって、根本的な問いだと思います。」
というやりとりがあって、じゃあ、こういったことをテーマに集まりをやろうということで今回の企画が決まりました。
支援の現場にとって、社会にとってあの事件は何だったのかを考えたいと思うのです。ただ考えるだけでなく、具体的に何をすればいいのか、といったところまで話し込めれば、と思っています。
★コロナウィルスの関係で、延期になる可能性もありますが、その時はまたお知らせします。