「重度障害者」というと、知らない人にとっては、何もできない人たちで、その生活もすごく大変だろう、と思ってしまいます。
でも、そこにはあたたかな人の暮らしがあります。
ブログに
《 初公判前に、犠牲になった娘の実名を公表した遺族の手記を読むと、障害のある子を家族が支えてきたというのは、ただの一面でしかなく、その子の存在によって家族の人生が支えられてもいたのだと改めて思う。人間の価値を、何か単純な指標で輪切りにすることはナンセンスなのだ。》
と、ありますが、ほんとうにその通りだと思います。重度障害者だから何もできない、ではなく、家族の人たちも、まわりの人たちも、その人に支えられています。
何よりも、その人のいるまわりがあたたかい。上記のブログもなんともあたたかい家庭が見えてきます。もちろんいろいろ大変なことはあります。それでも尚、そういったことを超えるあたたかさがあります。
映画『道草』を見て感じるのは、この「あたたかさ」です。重度障害者といわれる人たちが作り出すなんともいえない「あたたかさ」がこの映画にはあります。この「あたたかさ」こそが、彼らが社会に必要な理由だと思います。
黙々と自分たちの生き方を貫き、それを受け入れる人たちがいます。そこにはホッとするような「あたたかさ」が生まれます。息苦しさが増すばかりの社会にあって、ここには希望を感じるのです。
「重度障害者ですが、なにか?」
それを背中に貼り付け、彼らと一緒に黙々と歩いて行こう。パンツの絆でつながる父と子のように。
これが私の生き方。なんて書くとかっこいいですが、何のことはない、こっちの方が「トク!」って思うだけ。昔、殴られても蹴られてもしのちゃんが大好きだったように。しのちゃんは強度行動障害でしたね。「でも、それが何か?」って感じ。好きなものは好きなんだから。「だって、しょうがないじゃない」
2月22日(土)午後1時から青葉公会堂で『道草』上映します。
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道草ホームページ