最近、共生社会ということがよく言われますが、なんとなくそういう社会を強制されている感じがして、いまいち馴染めません。昔、障害者とは共に生きねばならない、なんてこともいわれていましたが、なんかそれに重なるようなものを感じます。
障がいのある人たちと共に生きなくても、ふつうは特に困りません。だったら別に共に生きなくてもいいじゃん、となります。確かにそうです。でもね、彼らとちょっとつきあってみるとすぐわかるのですが、彼らとはおつきあいした方が楽しいし、いろんな意味でトクです。
「共生社会を作ろう」とかよりも、「おつきあいした方がトク」くらいの方が気持ちが楽で、長続きするような気がします。
映画『道草』の中で、介護する人が重度障害の人をうちに呼んで、一家で誕生日をお祝いするところがあります。子ども達も入って、とても楽しい雰囲気です。何度もその家に行ってるのか、家族に中にごく自然に入っています。そこにあるのは介護する人、される人、という関係ではなく、フラットなごくふつうの関係です。彼がいると楽しいよね、っていう関係。
リョースケさんのアパートでは一応、介護する、されるの関係ですが、たとえば、卵をもう一個入れる、入れない、の会話は、とても人間的なものを感じます。人と人とのおつきあいです。そういったおつきあいの延長上に、家での誕生会があったのだと思います。リョースケさんがいると、いつもとちょっとちがう楽しさが生まれます。この家族はリョースケさんがいることで、すごく「トク」してるなと思うのです。
福祉から始まった関係が、人と人との関係になっているところが、すごくいいなと思うのです。人と人との関係になることで、障がいのある人たちは、おつきあいする人たちの心を耕します。
津久井やまゆり園事件の被告は、障がいのある人たちを相手にしながら、心を耕されることがなかったのだと思います。多分彼がいた現場では、人と人との関係がなかったから、あのような悲惨な事件が起きてしまったのだと思います。
2年ほど前、緑区で障がいのある人たちのグループホーム建設反対運動が起こり、その説明会に出たことがあります。
「障害者は犯罪を犯す。」
「彼らがこの街に来れば、街の治安が悪くなる。」
そんな言葉をたくさん聞きました。単なる思い込みに過ぎないのですが、思い込みはでも、建設計画を潰すほどの力を持ちます。思い込みは、人の心をガチガチにします。
そんな人にこそ、この『道草』を見て欲しいと思っています。ガチガチの心が耕され、きっとやさしい気持ちで世界を見ることができるようになります。
思い込みで自分を縛るよりも、これはすごく「トク」なことだと思います。
今の社会、ガチガチな心がいっぱいです。それを考えると、『道草』に登場する障がいのある人たちは、そんな社会を、ほんの少し楽にしてくれます。だから彼らとおつきあいすると「トク」なことがいっぱいあるのです。
「ほんまかいな」と思うひとはぜひ『道草』を見てください。