やまゆり園事件の公判に関する記事
弁護士の「美帆さんは人間でなかったのか」との問いには「そういう言葉を使うのは忍びないですが人間としての生活ではないと思う」と話した。
被告にとって人間てなんなんだろう、と思いました。そういう人間のイメージがどこで作られたのか、が大きな焦点になると思います。
事件が起こった頃も、事件後も、やまゆり園では利用者さんを拘束するという虐待事件が起こっています。一昨年のNHKスペシャルでは13時間も拘束された女性の話が放送されましたが、相手を人間として見ていないからこんなひどいことが平気でできるのだと思います。そういった環境で被告は3年働いていたので、人間を見る目に何らかの影響は受けていると思います。
やまゆり園で行われていた支援の質は、事件の大きな鍵になると思います。そういったことが公判でどこまで明らかにされるのか、注目したいと思います。
いずれにしても被告が裁かれて事件はおしまい、という問題ではないだろうと思います。大事なことは私たち自身が障がいのある人たちとどのように生きるのか、彼らとどのような社会を築こうとしているのか、というところだと思います。
彼らとどのように生きるのか、どのような社会を作るのか、事件で一番問われているのはそこだと思います。そこにどこまで私たちが具体的に答えていくのか、ということです。
ぷかぷかでやっていることは、お店の運営にしても、表現の市場にしても、その問いに対する私たちのひとつの答えです。
そういうものをみんなが作り出していかないと、事件は他人事で終わってしまい、社会は何も変わりません。