シェアリーカフェでのセミナー、参加者の一人が「障がいのある人たちは、私たちの身代わりになってくれている。だから私たちは健常者でいられる」といったことをいわれ、なんかすごく違和感をおぼえました。お子さんが養護学校に通っているお父さんでしたが、息子さんが障がいを持っていることを自分で納得するためのファンタジーという感じがしました。
うちの娘はうつがひどく、大学にほとんど通えませんでした。医師に診断書をもらい、長く休学していましたが、これ以上休んでも復学は無理、と泣く泣く退学届を出しました。うつという障がいのために、わくわくするような大学生活をすべて失いました。やりたかった勉強をすべて諦めたのです。やり場のない不満が毎日のように家で爆発し、家族は本当に大変です。母親は心労のあまり鬱状態になり、一時仕事に行けなくなるほどでした。こういう状況の中に毎日身を置いていると、身代わりの話は当事者目線の抜け落ちた、自分にとって都合のいいおとぎ話でしかありません。
お父さんは多分、お子さんの障がいを、こういうおとぎ話を作ることでしか受け止められなかったのだと思います。そのままのあなたがステキだよって、なかなか受け止められなかったのだと思います。
著名なジャーナリスト神戸金史さんも著書『障がいを持つ息子よ』の中で、そのような趣旨の詩を書き、『SCRATCH 差別と平成』という相模原障害者殺傷事件をテーマにした素晴らしいドキュメンタリー作品の中でも、その詩が朗読され、すごくガッカリしたことがあります。
それともう一つ大事なこと。そうやっておとぎ話で納得してしまうと、障がいのある人たちが抱えている「社会的な生きにくさ」といった社会の問題が見えなくなります。彼らの「社会的な生きにくさ」は、社会による彼らの排除が生みだしたものです。それはそんな社会を作っている私たち自身の生き方の問題です。全国に起こっている障がいのある人たちのグループホーム建設反対運動をみれば、この問題はすぐにわかります。
ぷかぷかは法人の設立目的に「障がいのある人たちの社会的生きにくさを解消する」ということあげています。そのために街の中に彼らの働く場を作り、街の人たちに彼らに出会ってもらえるようにしました。障がいのある人たちとたくさんの人が出会い、彼らはやっぱり街にいた方がいいねって思う人が増えれば、彼らの社会的生きにくさが少しずつ解消できると考えたのです。
障がいのある人たちは、いろんなことができないとか生産の効率が落ちるとか、マイナスの評価が圧倒的に多いのですが、ぷかぷかは日々の活動の中で、彼らは「街を耕し、豊かにする存在」という今までにない新しい評価を打ち立てました。
彼らと一緒に生きることで、街が豊かになるのです。そのことをぷかぷかの事業を通して実践し、結果を広く発信してきました。これは、彼らの社会的生きにくさを解消するだけでなく、社会そのものも豊かにするのです。
彼らを排除している社会と私たちはどう向き合った来たのか。そしてどう生きてきたのか。ぷかぷかの活動を見れば、そのことがすぐにわかります。
身代わりの話に寄りかかると、社会の問題が見えなくなります。社会と向き合う、闘う、といったことがなくなります。それが障がいのある子どもにとっていいことなのかどうか。