第6回表現の市場で『どんぐりと山猫ーぷかぷか版』の発表をしました。
10年前、
「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」「その方がトク!」
と、一本の柱を立てました。その柱に共感する人が少しずつ、少しずつ増えてきました。
いっしょに生きてると、ほっこりあたたかな、楽しい物語がたくさん生まれました。
いっしょに生きてると、ゆるい、ホッとできる空気感が生まれました。
いっしょに生きてると、ぷかぷかさんが好き!というファンがたくさんできました。
いっしょに生きてると、障がいのある人たちは社会を耕し、豊かにする、ということが見えてきました。
舞台の最後、思いを込めて「あの広場のうた」をうたいました。
♪ ……
歌が生まれ 人は踊り出し
物語がはじまる あの広場がここに
昔 広場に一本の柱
ここに立てよう 目には見えない柱を
昔 広場に一本の柱
ここではじまったぷかぷか いまここで ♪
舞台の真ん中には、目には見えない柱が立っていたのです。
障がいのある人たちと一緒に生きていくことで、あんなにも素晴らしい舞台ができたのです。いっしょに生きていくと何が生まれるか、がよく見えたと思います。ここで生みだしたものは新しい「価値」といっていいと思います。この「価値」は社会を豊かにします。
同じようの障がいのある人たちにかかわりながら、津久井やまゆり園ではあの悲惨な事件が起きました。
何がちがうのか。
あまりの落差にめまいがしそうですが、ここをしっかり見つめていくことが、今、すごく大事な気がします。犯人の特異性のせいにしてしまうと、大事なものを見逃してしまいます。
あの事件と、下の写真の文字が作り出す世界とのちがいはどこにあるのか、ということです。
●見に来た人たちの感想
・とてつもなく大きなエネルギーを感じました。元気をたくさんいただきました。
・たくさんの人の力が、とてもほっこりあたたかくしてくれました。もっとたくさんの人に見て欲しいです。
・とてもレベルが高く、びっくりしました。
・とても自由で、楽しい時間でした。
・不思議な気持ちです。なんだか楽しかったです。
・時間があっという間に過ぎてしまいました。
・心があたたかくなる舞台でした。
・お客さんが非常に多く、素晴らしかったです。
・続けていくって大変ですよね。有料にしてもよいのかな、と思います。
・「表現の市場」いつまでも継続して欲しいと思います。
・何かをやってみようという気持ちになりました。
・舞台に立つ人たちは、とても輝いていて、素晴らしかった。一生懸命なみなさんに感動し、勇気づけられた。
・こうでなかったらいけないというのがなく、素晴らしかった。
・このようなすてきなメッセージをこれからも発信してください。
・アラジンの太鼓では感動して、涙が出ました。
・和太鼓、すごい迫力。ポップ、太鼓を交えたミュージカルっぽくて面白かったです。
・和太鼓といえば筋肉ムキムキの男の人が力強くたたいているというイメージだったのが覆されました。
・観客との一体感が素晴らしい。
・見事です。自分の子どもにも教えて欲しい。
・「ほうきぼし」だいちゃんがかすんでしまうほど、粒違いの演奏ぶり。
・シーホースの「みどりがめ」のお話は、人間の本質を突くようなセリフで、ドキッとしました。飼われていたときは餌の心配はなかったけれど、楽しくもない。川の生活は本当のいる場所ではない…って、なんか今の自分の心境にも近くて。
・紙芝居の内容が深い。音と光の演出が新しく、面白かった。
・メッセージが込められている素晴らしい活動。
・ラポエアガールのナルコビックは楽しく体を動かし、全身を使えてとてもよいと思いました。
・とってもよかったよ。
・千本桜がよかった。
・みなせたのみなさんのファンキースタイルでの「あるある」最高でした。
・体を張ったメッセージに感服
・みなせたの方の「あるある」を聞いて、私も歩けるうちは駅で階段を使おうと思いました。
・私も子ども二人と電車、バスを利用する際の「あるある」で、わかります。車イスのあんなデザインのものがあるなんて知りませんでした。
・車イスの大変さをwest side storyに載せて楽しく伝えてくださり、ありがたかった。
・世間をやわらかく風刺するという芸能の原点を考えさせられて、非常によかった。
・小学校で車イス体験授業がありますが、乗ったり押したりの体験をするより、みなせたさんのミュージカルを見る方が、よほど学びになると思いました。車イスに乗って街へ出てみると、世間の無関心や冷たさがわかるともいわれてますが、当事者の目線で授業をして欲しいです。
・チェロと太鼓の間に「チケット レコード」というつぶやきが入り、自閉の方のつぶやきが楽器のように聞こえてよかったです。
・素晴らしいコラボ。いつも息がぴったりで、回を重ねるごとに深まっている様子が、すてきだなと思っています。
・演奏中は表情の硬いだいちゃんが、演奏が終わった瞬間にニコッとなるのがよかった。
・ダイちゃんの太鼓が力強くてとてもカッコイイ!
・モンゴルを思い出させてくれて感謝します。
・相鉄ーJR開通の新線をすぐに組み込んでいるのが、さすが!と思いました。
・はっぱの最後の歌には涙が出てきた。
・はっぱオールスターズ、最高に楽しくて感動しました。
・いかりや直樹さんのおしゃべりよかったです。
・『どんぐりと山猫』音楽、舞台美術が素晴らしかったです。
・すべて手作りで、驚いた。
・『どんぐりと山猫』みんないっしょに何かするのっていいなと思いました。
・ぷかぷかさんだけでなく、地域の子どもやおじさん、おばさんもいっしょに楽しそうなのがよかったです。
・『どんぐりと山猫』のセリフ、「認め合う」一人ひとりにその言葉があると、生きやすい世の中になると思いました。
・暖かいステージ、ジンときました。
・ぷかぷかの舞台の最後の歌「あの広場のうた」は、いつも感動します。
・ななちゃん、かわいかった。
●「表現の市場」の夜、舞台の感想をすぐにブログにアップした方がいました。
●新聞記者の方は
劇が終わったときに、もう少し見ていたい!えーもう終わってしまうの!と
いう気持ちがわき上がってきました。
ハイライトのどんぐりの「優しさと寛容が~」というセリフが、大きな声ではなかったのが心に残りました。大事なことって意外とこんな感じなんだろうなと思わせる素敵なシーンでした。
そして、最後の歌になぜかじんわりきてしまいました。
いわゆる健常者といわれる人たちが集まってやっても、うまい下手がどうだとか、メッセージ性がどうだとか、考えてしまって、こんなに素直ににこにこしながら劇をみるなんてことないのではないかと思います。
10何人もの記者が難しい顔をして横浜地裁に缶詰になっても何も生み出さない
という現状が本当に情けなくなりますが、どうにか、一緒に生きる社会を少しでも
伝えられる原稿にできればと思います。
●ワークショップに参加した人はFacebookにこんな感想書き込んでいました。
「(ぷかぷかさんは)自由だねえ」
もともと私ひとりで参加する予定だった ぷかぷかの演劇ワークショップに三女を連れて行ったのは、何度目かのワークショップのあった土曜日にたまたま夫が休日出勤になったせいだ。
3人姉妹の中でも一番人見知りで一番内弁慶の彼女は、最初の日は部屋の外で漫画を読んでいるわ、練習室の中では壁に貼りついて”ひとりで遠巻きに眺める”わ、誰かに声をかけられると背中の毛を逆立てるように睨むという、まるで人に懐かない野良猫のようだった。ま、予想はしていたけど(^^;)
それが、1月の練習日に衣装の試着があって、すごくファンタスティックな、つまり、ぷかぷかチックな「どんぐりの帽子」が出てきたら突然スイッチが入ったのだ。その後は、私よりも早くセリフを覚え、ぷかぷかのテーマソングを歌い、コンちゃんと笛を吹き、時々行方不明になるセノーさんを探すという200%コミッターに変貌した。
本番前日、当日となると、やっぱり緊張感がただようし、ワサワサしてるし、舞台上は照明で汗をかくほど暑いし、たぶんそんな空気感が苦手なセノーさんは本番当日のリハーサルに姿を見せなかった。セノーさんと一緒の私たちのチームはセノーさん(熊役)不在の時のセリフ回しも用意した。そして昼やすみ。お弁当を食べた後のみんなが思い思いにゴロゴロする練習室で、伴奏者が席を外したピアノから、ポロロンと流れ始めた「さそり座の女」。
セノーさんだよ!
三女の目が輝いた。誰に聴かせるでもなく、セノーさんが弾いていた。その次の瞬間、三女が言ったのが冒頭の
「自由だねえ…」。
そう、そうそうそうそう!この感じ。
「台本は、変えられる」のだ。
言いたくないセリフは直前でも変えちゃうとか、舞台に出たくない時は出なくていいとか、だけど、大丈夫って声を掛けたら次のシーンでは出られるとか、ぷかぷかの歌が始まったら客席から乱入する青年が出てくるとか、次々に出てくる「予定外」「予想外」をみんなが「おお!」「それもいいね~」って受けとめる感じがあれば、ちゃんと”仲間”でいられるんだということ、助け合えるんだということ、一緒なら恐れることは何もないんだということ。それを、受容とか、共生とか、そんな手あかのついた言葉を1万個並べるより、すとんと理解させてくれる、やっぱり、ぷかぷかさんってすげえなって思うし、一緒にいさせてくれて、ありがとう♡
●記録映画のための音を録音しに来ていた人は
表現の市場楽しかった!なぜどこが楽しいのか考えてみると、彼彼女たちは心が広く他人に立ち入りすぎず自分らしさを持っているからかもしれなくて、妬んだり画策したりせず本当に興味のあることだけにめちゃこだわり集中し誰にも似ていないし似ようともしないなんて、みんなそうありたいと思ってるんじゃないかな。
10年後か20年後かにはこのひとたちががっつりみんなと混ざってたら未来面白いだろうと思う。いまの障害者という呼び名は、社会で暮らすため混ざるため生きるために乗り越えなくてはならない障害がある「被障害者」という意味だとするとこの障害は社会ががんばれば無くすことができて、そうしたら障害者はいなくなっちゃうよね、あらら!なーんておもいます。