今朝の天声人語に美帆ちゃんのことが載っていました。
「甲でも乙でもなく美帆」
きっぱりとした、なんて力強い言葉なんだろうと思いました。
名前は、その人の人生そのものです。「美帆」という名前を聞くことで、私たちは美帆ちゃんの人生を思い浮かべることができます。甲や乙では美帆ちゃんの人生を思い浮かべることはできません。
美帆ちゃんの人生を思い浮かべることなく裁判をすすめることはおかしい、とギリギリのところで出た、必死の異議申し立てだったと思います。それは裁判だけでなく、事件後、犠牲になった人たちを匿名に追い込んだ私たちの社会にも向けられたものだったと思います。
匿名では犠牲になった人たちの人生を思い浮かべられません。こんなことはおかしいと声を大にして叫ぶことを私たちはしませんでした。
結局は私たち自身重度障害の人たちとおつきあいの経験がないが故に、彼らの人生を想像できませんでした。だから匿名になっても、そのことがおかしいと感じられなかったのだと思います。
そういう人たちとのふだんのおつきあいがないこと。それがいちばんの問題だと思います。
2月22日(土)の午後、青葉公会堂で「道草」を上映します。地域で自立生活をしている重度障害の人たちの生活が淡々と描かれています。それぞれの人生が、ほんの少しですが見えます。
晩ご飯の時、卵をもう一個入れる入れないでもめたり、散歩中「たぁーって大声出さないでよ。まわりの人がびっくりするから」「うん、わかった、約束する」と言ったすぐ後で,また「たぁーっ」と大声を出す青年と介護者とのやりとり。見ているだけで心があたたかくなります。
やまゆり園で犠牲になった人たちも、きっとこんなふうに道草を食いながら誰かと歩いたあたたかで楽しい人生があったのだろうと思います。それを想像しよう。
「美帆ちゃんのこと、忘れないよ」 これを言い続けたいと思うのです。