先日津久井やまゆり園の事件で命を奪われた方のアルバムを見る機会がありました。どのページにもその方の楽しかった日々があふれていて、涙があふれそうになりました。
別にその方とおつきあいがあったわけではありませんが、幸せだった日々は写真を見ればすぐにわかります。その日々を
「障害者は不幸しか生まない」
等と勝手に決めつけ、この世から抹殺してしまったこと。そのことがどうしようもなく悲しかったのです。
19名もの利用者さんが殺されたわけですから、その時の悲しみは、もう表現できないくらいだったと思います。
ところが事件からちょうど1年目に津久井やまゆり園のホームページが再開され、事件に関するメッセージが載っていました。
《 昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。》
たったこれだけです。
19名もの利用者さんが殺されながら、たったこれだけです。まるで他人事です。
利用者さんへの思いなどといったものはどこにも感じられません。
あらためて思ったのは、こういう感覚で利用者さんとおつきあいしていたのではないか、ということです。
お互い人としてつきあう、という、あたり前の関係がなかったのではないか。そのことに命を奪われた方のアルバム見ながら、あらためて気がつきました。
もちろん、スタッフの中には悲しみに暮れた方もいたと思います。でも、法人として書いた文章からは、そういった利用者さんに対するあたたかな気持ちが全く感じられません。
昨年7月のNHKスペシャルで13時間も拘束された女性の話が紹介されました。そういったことが行われても、何も感じない現場だったのではないか、そんなひどいことが平気でできるのは、目の前の相手を人として見ていなかったからではないか、そんなことを思います。
それが事件の1年後に再開されたホームページのあいさつにはっきり出ています。ここにこそ事件の温床があるように思います。
昨日「津久井やまゆり園の事件を考え続ける会」の集まりがありました。「マスコミは事件の何を報道してきたのか」というのがテーマでした。三人の記者が話したのですが、容疑者と接見した印象、つまり容疑者の特異性の話ばかりでした。最後に質問の時間があったので、現場の問題に関する報道がほとんどないのだが、どうしてなのか聞きました。
答えた記者の一人が、
「津久井やまゆり園だけが、それほどひどい施設だとは思いません」
等と発言し、びっくりしました。新聞記者なのでやまゆり園のホームページもNHKスペシャルも見ていると思います。それでもこういうことを言うのかと頭がくらくらしました。
来年1月8日から裁判が始まります。多分容疑者の特異性に注目が集まると思います。そこに注目が集まれば集まるほど、やまゆり園自体の問題はかすんでしまいます。しかも
「津久井やまゆり園だけが、それほどひどい施設だと思いません」
等と思う記者が取材し、記事を書くのであれば、かすむどころか全くふれないのではないかと心配しています。
怖いのは、利用者さんを13時間も拘束しても、なんとも思わないような事件の温床がそのままになる、ということです。そのことに記者たちはどこまで気がついているのでしょう。