先日津久井やまゆり園の事件に関して神奈川県に対し質問状を送りました。
それに対し、古くからの友人がコメントをくれました。
《 高崎さんの問いは、根源的で、共同会に留まらず、今の入所はもちろん、ボクたち通所の施設にとっても、答えに窮するものだと思います。 でも、そこから逃げていては、改善はないので、この問いは重要ですし、これは全ての事業所に向けられたものだと思います。》
どうして重要だと思いますか?どうしてすべての事業所に向けられたものだと思いますか?と聞きました。
《 現在の障害者施設は、基本できない人たちの面倒をみるところだと考えられていると思います 。共に生きる、共に支えあう人たち、とは考えられていないのだと思います 。
そして、以前高崎さんが書かれていたように、今の障害者施設では、仕事として障害のある人たちと出会っているけれど、人としては出会っていないのではないかと思います 。そして、それはやまゆり園に限らず、障害者施設全般に言えることではないかと思います 。
もちろん、仕事として向き合うことが悪いわけではありません。 問題はその仕事の中身です。 障害のある人たちをどう認識し、どういう施設や、どういう社会を目指すか、その具体化として日々障害のある人たちとどう向き合っていくのか、ということが重要であり、そういう意味で、高崎さんの問いは、すべての障害者施設にとって、根本的な問いだと思います。》
事件直後、「どうして支援施設でこんな事件が起こるんですか?」と聞いた人がいました。その時はうまく説明できませんでしたが、今は、「支援」という関係こそが大きな問題だと思っています。
障害者施設のほとんどは障害者を「支援」しています。「支援」は、相手に何かやってあげるという上から目線の関係です。相手をはじめから見下している関係です。
障がいのある人たちは、確かにできないことがたくさんあります。でも、よくつきあってみると、私たちにはない、すばらしいものをたくさん持っていることが見えてきます。私たちよりもできるものもたくさんあります。
「支援」という関係は、そういったものを見えなくします。相手に対する謙虚さがなくなるからです。
いつも見下していると、相手と人としてつきあうことができなくなります。相手を「拘束」しても、何も感じなくなります。やまゆり園の現場にはそういったものがあったのではないかと思います。
支援の現場で、どうしてあのような事件が起こったのかを調べるためには、現場の検証は絶対に必要です。障がいのある人たちと施設の職員はどういう関係にあったのか、という検証です。これは支援をしている障害者施設すべてに関わる問題だろうと思います。
「これは全ての事業所に向けられたものだと思います。」という友人の指摘の通りです。
津久井やまゆり園の事件について100本を超えるブログを書いてきました。あちこちのサイトに投稿してきたのですが、障害者を支援するサイト2カ所から排除されました。支援という関係についていろいろ書いたので、多分痛いところにちくちく刺さったのだと思います。ひとつは確か「障害者を排除しない」といった名前のついたサイトでした。もう笑っちゃいますね。
これはぷかぷかさんにしか描けない絵、私たちには描けない絵です。こういうものを掘り起こし、社会に出していくことこそ、私たちの仕事だと思います。相手を見下してしまったら、こういう絵のすばらしさは見えなくなります。