養護学校の教員になって3年目頃(今から40年ほど前です)、「電車の中で障がいのある生徒が赤ちゃんの髪の毛を引っ張り、とても怖い思いをした」という投書が新聞に載り、それを巡っていろんな話をしました。
「静かにするのよ、と毎日いって通学するより仕方がないのです」
「私一人で買い物に行ったとき、友裕君は?って聞いてくれる関係に」
「どうして電車の中でみんな黙っているんだい?」
「だめよ、そんなことしたら、赤ちゃんいたいでしょ」
「教師たちの反応はさっぱり」
「お母さんたちの話を聞いて、心が耕されるみたいだった」
昔書いた『街角のパフォーマンス』という本にそのときの記録を書いていますので(下の方にコピーを貼り付けました)、興味をある方はぜひ読んでみて下さい。ここに出てくる「遊ぼう会」の仲間が、生活クラブのお店の駐車場で開かれていた「青空市」に養護学校の生徒たちと手打ちうどんのお店を出したり、そのつながりで演劇ワークショップを始めたりしました。『街角のパフォーマンス』は絶版になっていますが、内容的には今の社会に十分通用する話、というか、未だにあそこに書いたことを社会は超えていないんじゃないかと思います。ですので、少部数プリントオンデマンドを注文してみようかと思っています。
40年前の話なのに、その40年で社会はよくなったのか、というと、あの頃よりも社会はもっとばらばらになっているように思います。
福祉の制度は充実してきたと思いますが、福祉事業所の職員が「障害者はいない方がいい」などといって19名もの重度障害のある人たちを殺す、という信じがたい事件が起き、それを様々な形で支える社会があります。
NHK「19のいのち」のサイトにあった、犠牲になった方のお母さんが寄せた手記に
《 事件後、長年つきあいがあり兄のことも知っている近所の人に「事件があったことは悲しいけど、でもよかったんじゃない?」と言われたことが悔しくて…》
というのがありましたが、このなかにある
「でもよかったんじゃない?」
の言葉、いった本人は悪気はなかったと思うのですが、いわれた側はひどく傷つき、自覚のないまま、事件を支える側、障がいのある人たちを社会から排除する側に立ってしまっているのです。
それを間違っている、と言葉で指摘しても、多分なかなか伝わりません。やはりどこかで障がいのある人たちといい出会いをすることだろうと思います。
ぷかぷかは、まさにそういう場として始まり、たくさんの出会いを作ってきました。新聞に投書が載った頃を思えば、はるかに確かな形でまわりが変わりつつあります。
ぷかぷかで働く障がいのある人たちが好き!というファンがたくさんできたり、自分の地域にもぷかぷかみたいな場所を作りたいという人が何人も現れたり、これは相模原障害者殺傷事件がおきるような社会にあって、大きな希望だろうと思います。
コピーした文字が小さくて読みにくいのですが…