NHKが相模原障害者殺傷事件に関連して「内なる差別」を乗り越えようとしている人たちを取り上げていました。
親であっても、子どもの障がいを受け入れられない人はいっぱいいます。親であるだけに、それはとても辛いことだと思います。障がいが重いと余計にそれはあります。子どもとうまく出会えない辛さです。
相模原障害者殺傷事件の犯人のことばに自分の中にあった差別に気がつき、その「内なる差別」を超えようと模索している人たちの話です。
模索しながらも、「内なる差別」は簡単に超えられるものではありません。でも、そこでの葛藤こそが、人間を豊かにするのではないかと思います。
葛藤しながらも、相手とふっと出会う瞬間があります。その出会いが「内なる差別」を超えさせてくれます。
NHKバリバラで町で暮らす重度障害の人たちを取り上げていました。
かつてはしょっちゅう介護者にかみついていたというさえ子さんが登場します。介護する方はいくらがんばってもさえ子さんの気持ちが見えなくて、悲しくなって涙を流したこともあるそうです。そんなとき、それを見ていたさえ子さんが
「どうしたの? 大丈夫?」
と優しい声をかけてくれたそうです。そういうの、あるよな、って思いました。
そしてその一言に救われた、といいます。
昔養護学校の教員をやっている頃、毎日のようになぐり、けり、かみつくしのちゃんという生徒がいました。鼻の骨や肋骨にひびが入り、病院に何度も行きました。肋骨にひびが入ったときは、痛くて痛くて夜眠れない日が続きました。それでも私はしのちゃんが好きでした。しのちゃんは「どうしたの?大丈夫?」とはいいませんでしたが、時折優しい顔で遠くを眺めるのです。その横顔を見ると、殴られ、蹴られ、かみつかれの日々も、なぜかみんな許してしまいました。何で許したか、って、それはことばでは説明できません。それが人と人との出会いです。もう抱きしめたいくらい、しのちゃんの横顔はすてきだったのです。
人との出会い方はそれぞれです。
バリバラに出た介護の方は、介護の夜が終わって帰りがけ、
「さえ子さんてどんな方ですか?」
と聞かれ、ちょっと考えてから
「とっても魅力ある方です」
と笑顔で答えたのがとても印象的でした。そんな風に語れるほどのいい出会いがさえ子さんの介護の日々の中であるのだろうと思います。
そのインタビューを聞きつけて、台所の小窓から顔をのぞかせるさえ子さんがすてきでした。
重度障害のある方とのおつきあいはいろいろ大変です。でもその大変さの中にこそ、社会を救う豊かなものがあるような気がするのです。