先日のぷかぷか日記で
障がいのある人に向かって
「あなたにいてほしい」「あなたが必要」
と、素直に思える関係がぷかぷかにはあります。
と書きました。これはぷかぷかさんたちと私たちの関係から出てきた言葉です。この言葉は、相手とどういう関係を作っているかがストレートに見えます。
相模原障害者殺傷事件の犯人は
「障害者はいない方がいい」
といいました。これも相手との関係を語る言葉だと思います。つまり、やまゆり園を利用していた障がいのある人たちと犯人との関係から出てきた言葉だろうと。
もし犯人が、ぷかぷかのように「あなたにいてほしい」「あなたが必要」と思える関係を相手と築いていたら、事件は起こらなかったはずです。
ぷかぷかでは、下の写真のようなことをいっしょに楽しめる関係があります。犯人がこんな関係を利用者さんと作っていれば、事件は起こらなかったのではないか、と思うのです。
このことは何を意味するのでしょう。
事件に関する報道では、犯人の特異性がいつも強調されます。犯人がやまゆり園で障がいのある人たちとどのような関係であったのか、の検証は全く出てきません。
神奈川県の事件検証委員会の報告書には、その点に一切ふれていません。どこまでも防犯上の問題としてかたづけています。
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/853791.pdf#search=%27神奈川県相模原障害者殺傷事件検証委員会%27
事件直後閉鎖されたやまゆり園のホームページは事件から1年後に再開されたのですが、事件について書かれていたのは、まるで他人事のように書かれたわずか2行の言葉です。
《 昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。 》
犯人は事件の半年前までやまゆり園で働いていました。雇用していた人間が引き起こした事件です。雇用していた立場からの責任ある言葉があってしかるべきです。社会に大変な衝撃を与えた事件です。わずか2行の、他人事のような言葉ですましていいはずはありません。
やまゆり園はかながわ共同会という社会福祉法人が運営しています。社会福祉法人にはぷかぷかのようなNPO法人に比べると、はるかに大きな社会的責任があるはずです。
事件についてきちんと語る、という社会的責任です。
どうしてあのような事件がやまゆり園で起こったのか、どうして元従業員があのような事件を起こしたのか、犯人は利用者さんたちとどういう関係を築いていたのか、をきちんと語る、という社会的責任がやまゆり園、かながわ共同会にはあります。
どうしてその責任を果たさないのでしょう。
本来なら社会福祉法人かながわ共同会を監督する立場にある神奈川県が指導を入れるべきところです。指導を入れていないから、たった2行ですましているのだと思います。
かながわ共同会は、神奈川県の職員の天下り先として有名です。それを理由に神奈川県が指導を入れないのだとしたら、とても恥ずかしい話です。
自分たちにとって不都合な事実を隠しているのではないか、そんな気がします。
犯人は施設に勤めたときは非常に腰の低い人間だったといいます。
障害者問題総合誌『そよ風のように街に出よう』91号「明日に向かって語れ」という対談で編集委員の牧野さんはそのことをこんなふうに語っていました。
「…ボクも植松くんに精神障害っていうレッテルを貼って解決する問題ではないと思っています。ではどうして彼のような人間が生まれたのか。植松くんは施設に勤めている時は非常に腰が低いというか「これから勉強します」っていう、仕事に対して前向きな、いい青年らしい発言をしているわけですよね(正式採用後、「津久井やまゆり園」家族会の機関誌「希望」に記載された彼の挨拶文)。そういう青年が3年間施設にいて、最後の数ヶ月でああいう精神状況に変貌したと思いますけれども、どうしてこういうふうになっちゃうのかなと、そこをボクは一番考えたいなと思ってます。」
ここの指摘はとても大事です。
そしてやまゆり園の雰囲気を語るこんな話もあります。
「前の家族会の会長もいってましたけど(就労支援施設「シャロームの家」主催の集会(2017年2月27日)での尾野剛志さんの講演)、日頃ごろごろ寝転んでテレビばっかり見てたり、そんな職員が目立ってた。そこに突然彼が行ったらびっくりして飛び上がるって…」
NHKクローズアップ現代で植松被告のNHKあての手紙が取り上げられたことがあります。「障害者は不幸しか生まない、という考え方に確信を持ったのはやまゆり園で勤務した3年間だった」と書いていたそうです。そのことについて、事件から1年目のやまゆり園事件追悼集会で会った家族会の方に聞いたことがあります。
「彼は最初はそれなりの思いを持ってやまゆり園にきたのだと思います。でも、現場がひどすぎた。だからそんなふうに思ってしまったんだと思いますよ」
とおっしゃってました。それくらい現場が荒廃していた、と。前の家族会の会長と同じことを言っています。
現場の荒廃については昨年7月のNHKスペシャルでも語られていました。 12時間も拘束された女性の話がありましたが、本当に驚きました。この異常な事態を誰もおかしいといわなかったやまゆり園の雰囲気こそ異常です。この荒廃ぶりと事件との関連はどうなのか。取材を拒否されたのか、ここの突っ込みがなかったのはとても残念でした。
昨年7月におこなわれた2回目のやまゆり園事件追悼式のあいさつにおいても、元従業員が起こした事件としてのお詫びの言葉はひとこともありません(ホームページのお知らせのタグをクリックすると出てきます)。びっくりしたのは犠牲になった人たちのことを「仏様のような皆様方」と表現している部分です。
先ほども紹介したNHKスペシャルでは女性が12時間も拘束されていた事実を報道していました。利用者さんに対するやまゆり園の姿勢がよく見えたのですが、そういったことを考えると、「仏様のような皆様方」といった言葉にはやまゆり園の欺瞞性が吹き出している感じがして、私は吐き気がしました。
私が家族であったなら、もう怒り怒り狂ってしまうようなあいさつです。どうして家族会の方は抗議しないのでしょう。
NHKが事件直後からこつこつ取材を重ねて作っているサイトがあります。犠牲になった人たちのエピソードも少しずつ膨らんできているので、地道な取材が続いているのだと思います。本来ならやまゆり園がやるべきことです。やまゆり園がやればエピソードがもっと充実したものができるはずです。どうしてそういったことをやらないのでしょう。結局のところ、なくなった方たちへ「思い」がないのではないか、と思ってしまいます。
10年後、20年後に、この事件はどのように語られるのか。歴史に耐えうる検証をしなければならないと思います。
事件はなぜ起こったのか、それをあらゆる角度から検証するのです。
本来はやまゆり園がやるべきことです。でも、事件をわずか2行で語るような法人にはとても期待できません。
でも、誰かがそこのところをやっていかないと、19人のいのちは浮かばれないと思います。