先日「わんど」でやった「分身くんを作ろう」のワークショップ、NHKのディレクターがFacebookの記事
を見てこんな感想を送ってくれました。
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「分身くんを作ろう」のワークショップ、やはりとてつもなく力がある企画ですね。 分身と一緒の写真をみるだけで、日々の生活で忘れてしまう温もりを感じます。
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先日《「文化」とは「共に創り出すもの」》と題した日記を書きましたが
今回の「分身君を作ろう」のワークショップは、まさにそれでした。
日記にも書いてありますが、ぷかぷかさんの一人フタミンがある日、大きな紙の上に寝っ転がり、スタッフに自分の体をなぞるように言って自分の分身くんを描いたのがそもそもの始まりです。
それを見て、「あ、おもしろいおもしろい、今度はみんなでやろう」となるのがぷかぷか。ここから《共に創る文化》が生まれます。その文化は
「分身と一緒の写真をみるだけで、日々の生活で忘れてしまう温もりを感じます。」
と、見る人を癒やします。
彼らといっしょに生きていくと、こういうものが日々の暮らしの中で生まれてくるのです。彼らといっしょに生きていくと、社会が豊かになる、というのはこういうことです。だから、彼らとは、いっしょに生きていった方がトク!なのです。
「支援」という上から目線の関係では、こういうものは生まれてきません。「町の宝」のような人たちがすぐそばにいるのに、もったいない話です。
《ともに生きる社会》《共生社会》を推し進める人たちも、その社会が何を生み出すか、といったことを明確に語り切れていない気がします。それは多分「支援」という関係を捨てきれない人たちが《ともに生きる社会》だの《共生社会》だのと言ってるからだと思います。上から目線のまま、《ともに生きる》関係なんてあり得ないじゃないですか。上から目線で見られる側から考えると、そのおかしさがすぐにわかります。
《文化》とは《共に創り出すもの》、それは《いっしょに生きる関係》が生み出すものです。