大ちゃんが江原さんと一緒に日本フィルハーモニーの舞台に立ったときのことを書いたブログをfujikiさんがシェアしていて、そこに書いてあった言葉がすごくいいと思いました。
僕はぷかぷかさんにあそんでもらっているので江原さんと知り合うことが出来ました。2人が音楽するときは2人の関係自体が音楽になっちゃうかんじ。
「僕はぷかぷかさんにあそんでもらっている」といういい方がすごくいいですね。障がいのある人に対しては「何かやってあげる」とか「支援する」という上から目線の関係がほとんどで、そこには相手とのおつきあいを楽しむ、といったことが欠けています。こういった関係に対して「あそんでもらっている」という言葉で表現される関係はどこまでもフラットで、なによりもぷかぷかさんとの関係を楽しめます。
というのも、私自身「毎日ぷかぷかさんにあそんでもらっている」感じがすごくするからです。
こんな感じでセノーさんに毎日のようにあそんでもらっているのですが、すごく幸せを感じる時です。こういう至福の時があるから毎日ぷかぷかに行く、と言っていいくらいです。
セノーさんにとっては「こいつとあそんでると、ほんとおもしれーな」になるのだと思います。だからセノーさんにとっても楽しい時間です。セノーさんの顔見てください。
お互いが
「楽しいな」
って思える時間を共有できること、それがいっしょに生きることだと思います。
そんな風に考えると、いっしょに生きる、という感覚は、養護学校の教員になった頃からありました。
養護学校の教員になって最初に受け持った重度障害のサトくんには、毎日のようにあそんでもらっていました。
サトくんはおしゃべりはできません。でも、何やっても大きな口を開けて「ゲハハ、ガハハ」と豪快に笑う子どもでした。新米の私の下手くそな授業も、何をしゃべっても
「ああ、おもしれぇ、おもしれぇ、いいよいいよ、その調子、よくできました!」
とばかりに
「ゲハハ、ガハハ」
と手をたたきながら笑うのでした。
「そうか、おもしれぇか」
と、笑い声聞きながら、楽しい気分で授業ができたのでした。
サトくんにとっても、私にとっても、本当に楽しい時間でした。いっしょに生きることの楽しさを教えてくれたのは、このサトくんだったように思います。重度の障害を抱えたサトくんが、人生のとても大事なことを教えてくれたのです。
サトくんはいつも立派なうんこをしました。立派すぎて流れないこともありました。
箱根に修学旅行に行ったとき、芦ノ湖を横断する船のトイレに詰まってしまい、狭いトイレの中で悪戦苦闘しました。サトくんは、その悪戦苦闘する姿がおかしかったのか、私のそばでひたすら
「ゲハハ、ガハハ」
と笑い転げていました。汗びっしょりになりながら、こんな時はもう一緒に笑うしかありません。ようやくうんこを流した頃には船の旅は終わってしまい、せっかくの風景はほとんど見ずじまいでした。それでも、未だに覚えているくらいいい旅だったのです。
サトくんにはこんなふうにして。毎日あそんでもらいました。あそんでもらいながら、彼といる時間がなんとも言えない幸せな時間になりました。
もし私がサトくんにいろいろ「指導」していたら、彼と一緒にいても幸せなんて感じなかったと思います。もちろんサトくんも。
一緒にいて幸せを感じる関係って、人とおつきあいする上ですごく大事なことだと思います。
fujikiさんは、ぷかぷかさんといるとき、あそんでもらいながら、幸せを感じているのだと思います。