今朝アップされたIshizukaさんのブログにおもしろいことが書いてあったので紹介します。
テラちゃんと友達になって、いろんなメッセージが送られてきます。
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メッセージには、てらちゃんの過ごした日常の色々なことが綴られている。
油揚げを薄切りしたこと、レタスを洗って蒸し鶏と一緒に盛り付けたこと、お皿を並べたこと、ホットほうじ茶を飲んだこと、ご飯を決まった分量測ったこと、サラダの仕込みをしたこと、お団子やラーメン、そのほか色々な美味しいものを食べたこと、そんな小さな出来事がたくさんの絵文字と共に綴られ、そして最後に必ずこの言葉が書いてある。
昨日、今日どこに行きましたか?
自分でも思いもよらないことに、私はこの言葉を見て凍り付いてしまった。
彼女が日常のどんなささいなことでもキラキラした風景として綴ることができるのに比べて、私は書くべきことを何も持っていなかったからだ。
私、今日のお昼ご飯美味しいなぁと思って食べたっけ?
誰かと笑顔で話したっけ?
考えれば考えるほど自分の毎日がつまらないものに思えて、実は1週間くらい返事が書けなかった。
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笑ってしまいました。
「彼女が日常のどんなささいなことでもキラキラした風景として綴ることができるのに比べて、私は書くべきことを何も持っていなかったからだ。」
という気づきはとても大事なものだと思います。
近くの女子大でぷかぷかさんといっしょにワークショップやったときも、学生さんが同じようなことに気づいていました。
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「日常生活を送っていると、あまり生き生きしている人を私は見ません。みんな、あれは嫌だ、これは嫌だ、面倒くさい、つまらない、だとかマイナスのことが多いと感じます。私もそういった面があります。
しかし、ぷかぷかのみなさんは、仕事が楽しい、好きな趣味がある、大好きな人がいる、得意なことがある、自分らしく、恥ずかしがらずに自由に生きているのだと思いました。私も自分らしく、一つ一つのことを楽しんで生活したいと思いました。」
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という気づきです。
今朝アップしたブログに、健常者の価値観は50年前と変わっていないんじゃないか、といったことを書きました。
ここを変えるのは、多分障がいのある人たちとのこういったおつきあいの中での気づきなんじゃないかと思いました。
あーだこーだの小むつかしい議論ではなく、
「考えれば考えるほど自分の毎日がつまらないものに思えて」
という気づきであったり、
「みんな、あれは嫌だ、これは嫌だ、面倒くさい、つまらない、だとかマイナスのことが多いと感じます。」
といった気づきが、「障がいのある人たちへの上から目線」や「彼らよりも自分たちが優れている、という思い上がり」を、少しずつ変えていくのだと思います。
以前アート屋わんどのワークショップに参加した人が
「自由な線を描きましょう」
で始まったワークショップで、ぷかぷかさんも地域の子どもたちもどんどん自由に線を描いていく中で、自分一人
「自由に線を描く」
というたったそれだけのことができないことに気がつきました、それに比べてぷかぷかさんや子どもたちの自由さに驚きました、といっていた人がいました。
こういう小さな気づきが人を変え、社会全体の障がいのある人への価値観を変えていくのだと思います。