ぷかぷか日記

「隣に住むおばあさんにも届く言葉」を探す

 神奈川新聞の「時代の正体」に津久井やまゆり園事件を書き続けてきた成田洋樹記者の講演を聴きに行きました。

www.kanaloco.jp

 津久井やまゆり園事件から見える「時代の正体」は多岐にわたる問題が山積みです。「不寛容な時代」「分断社会」などに象徴される「世相」の問題、「個人の権利が保障され、多様性が認められる場になっているか」が問われる「教育」の問題、「当事者主体の支援」「地域と多様性」といったことが問われている「福祉」の問題、「障がい者差別と民主主義の問題」等々、津久井やまゆり園事件を掘り下げていくと、この社会が抱える様々な問題が見えてきます。この社会は一体どうなっていくのだろうと、頭がくらくらしました。

 

「変わった考えの人が起こした事件として人ごととしてとらえる社会、教育や福祉の現場。根底には障害、能力、学力などで人を分ける社会、教育、福祉がある。障がい者差別の芽はこれまでも今も、私たちの暮らす社会にある。」と成田さんは指摘します。

 今回の講演会は定員60人が満席でしたが、集まったのは事件に関心のある人たちばかり。成田さんの指摘を一番受け止めて欲しい人の所へはメッセージが届いていない気がしました。事件を人ごとのように受け止めている人たちに届く言葉を私たちはもっともっと真剣に探す必要があると思いました。

 私が学生の頃、朝日新聞の論壇時評を担当していた哲学者の鶴見俊輔さんは「隣に住んでいるおばあさんにも届く言葉で書かなければ意味がない」と論壇時評に書かれていました。当時学生運動の中で難しい硬い言葉に慣れきった私にとって、もうぶん殴られたというか、ほんとうに目が覚めた気がしました。今もその言葉を大事にしています。経験的には、誰にもわかるやさしい言葉で書くことで、私自身にも問題がはっきり見えてくる、ということがありました。やさしい言葉で書くのは、難しい言葉で書くよりも大変です。でもその大変さの中にこそ、見えてくるものがあるのです。

 ぷかぷかの近くにある創英大学の学生さんとぷかぷかさん達の素敵な出会いの物語を学生さん達と一緒に絵本にしようと思っています。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 子ども達にどうしてぷかぷかさんとの出会いの物語を届けるのか、という問いの中で、今の社会の中での障がいのある人たちに対する差別の問題を一緒に考えていくつもりです。その中で当然津久井やまゆり園事件も考えます。どんな言葉で語れば学生さん達と事件を共有できるのか、をさぐっていきたいと思っています。

 こんなふうに、昨日の参加者達が、それぞれの現場で「隣に住むおばあさんにも届く言葉」を探す作業が必要なんだろうと思います。今まで何の関心も持たなかった人たちと事件を共有できる言葉です。

 

 「犯人がもしコンビニで働いていたら、犯行に及んでいただろうか」というある施設長の言葉の紹介は、事件の本質を物語っているように思いました。「植松被告は入所施設で働いていたからこそ、極端な考え方をエスカレートさせたのではないか」と。

 にもかかわらず事件の半年後に横浜市で開かれた施設職員研修の全国大会で他県の職員は「あのような人物を採用したことが間違い」「不審者に備えて、身体を拘束するさすまたの研修を行った」と、どこか人ごとのような響きだったと「時代の正体」にはありました。

 私は津久井やまゆり園事件に関するブログを90本あまり書いていますが、そのために二つの福祉ネットワークから排除されました。私は成田さんとは違う視点で福祉の現場における「支援」という関係性を問題にしていたのですが、現場にいる人にとってはふれて欲しくないことだったのではないかと思います。

 でも福祉の現場の問題こそ、現場の人間が考えていかないと、問題は解決しません。結局犠牲になるのは当事者の人たちです。重度障害の人たちは声を上げることがとても困難です。現場の人間が問題に気づき、「これはおかしい」と声を上げていくしかないのだと思います。

 7月21日に放送されたNHKスペシャルでは津久井やまゆり園で12時間も拘束された女性の話が紹介されていました。「これはおかしい」と誰も声を上げなかった福祉の現場の異常さ。そこをどうすれば変えられるのか,ということです。

 そしてこういった問題は津久井やまゆり園だけではない、という成田さんの問題指摘に福祉の現場はどう答えていくのか。気が遠くなるほどに根が深い気がします。

 そんな中で、明日もぷかぷかさん達はいつものように社会を耕します。ここにこそ新しい未来があるように思います。

 

 

 

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