「共生社会」を目指そう、と最近よく言われるのですが、そこでの障がいのある人たちとの関係はどうなんだろう、という議論はあまり聞かれません。なんとなく障がいのある人たちと「共に生きる」というところで、なんとなくみんな賛同している感じですが、そこでもまだ障がいのある人たちに「何かやってあげる」ような関係があるとしたら、今の社会と「共生社会」はどう違うんだ、ということになります。
どうも聞こえのいい言葉だけが先行し、その中身の吟味が十分になされていない気がします。
「ともに生きる社会かながわ憲章」のサイトにもあまり掘り下げた議論が見当たりません。相模原障害者殺傷事件を受けて、あわてて作ったという感じです。「共生社会」ってどんな社会なのか、もっともっと議論が必要な気がします。
演劇ワークショップや表現の市場では、あまり意識はしていませんが、あえて言うならその「共生社会」がすでに実現しているかも知れません。第二期演劇ワークショップに参加した方が、ぷかぷかさん達と一緒にワークショップをやる中で、彼らとの関係について、彼らの表現についてすばらしいことを書いています。「共生社会」を言うなら、こういう関係で生きる社会のことだと思います。
発表会、とても楽しく感動的な時間でした。
なんだかまだ頭がぼぉー・・・としています。
最初の辻さんの「ギンギラギンにさりげなく」で、いきなりやられました。
出番が多いので、さすがの辻さんもちょっと緊張してるかな?
なんて、始まる前は思ってたのですが、全くの杞憂でした・・・。
舞台の中央で、しょっぱなからあのテンションでのパフォーマンス!
度胆を抜かれました。
一瞬にして、会場がひとつになりましたね。
そして、ギンギラギンの威力は次の団体、そして次にもどんどん広がって
「表現の市場」の核になっていたように思います。
思い返してみると、ワークショップの回を重ねるごとに
いろいろなことをこころとからだで学んできました。
班に分かれてそれぞれの「生きる」の詩を作ったとき、
その時は気づいていなかったけれど、出てきた詩に
意味づけをして、もっともらしくまとめたい、と思っている自分がいました。
ついでに告白しちゃうと、発表するんだし、
他の班も当然そんな感じだよね?くらいに思っていました。
なので、「電車にのりたい~!」とか「野球がしたい~!」とか
純粋な気持ちをそのまま発表している人たちを見て
内心「これでいいの?!」って思っていました。
そして、そう思いながら、高崎さんの方を見たら、ものすごーく楽しそうに
笑っておられて、「あれれ?これでいいんだー」と
複雑な心境になった回もありました。
「これをやりたい!」って思うと同時に
「でもそれって求められていること?」とか
「他の人が見たらどう思うかな・・・!?」とか
瞬間的に考えちゃってる自分に気づかされました。
花岡さんのセリフにもありましたが
「わたしってどれだけ自分で自分をしばりつけていたんだろう・・・」
ってワークショップ中に何度も思いました。
そして、そんな自分に対面しないといけないから
ワークショップは楽しいけど、苦痛な時もありました。
だけど、今日ぷかぷかさんと発表会の舞台に立って
確信することができました。
誰に遠慮することなく
「大好きなことを思いっきり表現する」
このことが、どんなに素敵なことで
周りの人を、そして世の中を元気に幸せに
するんだってことを!
横山さんたちとやった野球、楽しかったなぁ~。
天ぷらそばもおいしかったなぁ~。
そして今日も布団で寝られるって最高に幸せだ~~。
ぷかぷかのみんな、ありがとう。
そしてこうした機会をつくって下さった高崎さんやせつさん
お世話になった皆さま、本当にありがとうございました。
いい夢が見られそうです。
明日県の共生推進課の方がぷかぷかに見学に来ます。推進している「共生社会」に対して、どんなイメージを持っているのか聞いてみたいと思っています。
共生推進課といえども、多分障がいのある人たちとそれほどおつきあいしているとは思えないので、人権研修会の提案をしてみようと思います。ぷかぷかさん達が講師で行きます。セノーさんは多分
「あ〜〜〜」
とか言いながら固まってしまいます。その固まったセノーさんと共生社会を生きるとはどういうことなのかを考えて欲しいと思います。聞こえのいい言葉ではなく、本音の言葉で話して欲しいと思います。
そうだ、ワークショップに誘ってみよう!と、突然今思いつきました。ぷかぷかさん達の中でもまれ、たじろぎ、思うように言葉や表現が出てこない不自由な自分に気づく中で、「共生社会」ってなんだ、って考えて欲しいと思うのです。
演劇ワークショップは、どこかでいつも必死になるところがあります。適当にやり過ごしているのでは、前に進めないことがたくさんあります。彼らの前に真剣になって立つ。必死になって立つ。そのことを共生社会推進課の人にぜひ経験して欲しいと思うのです。
そうそう、忘れなければ、川崎市で普通学級で学びたいという障がいのある子どもの思いを邪魔した教育委員会のことも聞いてみようと思います。