「第3回ともに生きる社会を考える神奈川集会2018」に参加した小林律子さんのFacebookにすばらしい報告が載っていました。その中のやまゆり園の入所者の生活についての話
シンポジウムの最後の方で、フロアからやまゆり園の元入所者で、地域のGHに移った息子さんをもつお父さんが発言された。
「やまゆり園の事件でいろいろ報道され、語られ、論じられているけれど、あの事件で殺された人たちがやまゆり園の中でどういう生活をしていたのか、まったく報じられていない」と。
7/21のNHKスペシャルで、端なくも、やまゆり園の支援の質と移転した先のてらん広場の支援の質の違いがくっきり出ていたけれど、やまゆり園では1日2時間の活動しかなく、土日はなにもない。一日ボーと過ごすだけ。そんな生活を「亡くなった利用者さんたちはみな、園で穏やかに暮らしていた」と法人側はいうけれど、こんな生活を50年も続けていたら、誰だって生きる目的、意欲を失い、自分の意思や願いを表出することを諦めてしまう、と。
利用者さんだけでなく、スタッフもそういう環境の中でものを考えなくなります。
その人たちを「コミュニケーションがとれない」「生きていても仕方がない」人と植松容疑者は線引きして殺したわけだけれど、そこで自分たちの支援のあり方を顧みたり、望んで施設で暮らしているわけではない、家族や社会の都合でそうせざるを得ないというそれぞれの人が背負う背景、事情に一片の理解を寄せることもなく援助の仕事をしていた自分を顧みることはない。それを利用者家族から、あるいは職員間で問われることも、閉ざされた施設の中ではなかったのだろう。
そして津久井やまゆり園を運営する社会福祉法人かながわ共同会のホームページでは事件に関する検証が全くありません。
事件から1年目に再開したホームページ
あれだけの事件があり、元ここの職員が起こした事件にもかかわらず、この無責任さにはあきれました。
この法人は神奈川県の職員の天下り先として有名なところだそうです。だから県の検証委員会は施設に不都合なことは書かなかった、いや、「書かせなかった」のかも知れません。そして不都合な部分は法人としても検証しない。
福祉が、こういうところで腐っていきます。
福祉を腐らせないために、私たちはどうしたらいいのか。
それは何度も書いているように、
「障がいのある人たちと一緒にいい一日を作り続ける」
こと、その中から、
「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」と思える確かな「文化」を創り出すこと、
そして「それに共感する人を増やすこと」
だと思います。
障がいのある人たちを排除する「文化」に対して、彼らを排除しない「文化」を彼らと一緒に創り出すのです。その文化は、息苦しい思いをしている私たちをも救います。ぷかぷかに来るとホッとする、というお客さんが多いのは、そのことを語っています。
その「文化」がどういうものか、8月4日(土)みどりアートパークで行われるぷかぷか上映会に来ていただければわかります。
特に10時から上映される第一期演劇ワークショップの記録映画は、彼らとクリエイティブな関係で創り上げるワークショップの空間がいかに豊かな世界か、ということがストレートに伝わってきます。
徐々に見えてきたやまゆり園の世界とは正反対の世界です。
そういったものを私たちがどこまで創り上げることができるか、ということが、今、問われているのだと思います。やまゆり園のあり方を批判するだけでは前に進まないのです。
相模原障害者殺傷事件を超える社会を作る、というのは、やまゆり園の世界とは正反対の世界を私たちが作り出せるかどうか、ということだと思います。アーダコーダの議論も大切ですが、それよりも大切なのは、正反対の世界を実際に作ることだと思います。
午後に上映する「第四期演劇ワークショップの記録」「プロモーションビデオカナダ版Secret of PukaPuka」「ぷかぷかさんがいる町」はいずれも、その正反対の世界が実際にできている記録映像です。午前の映画とあわせて見ていただけると、ぷかぷかが創り出してきた世界の全貌が見えます。
チケットをぷかぷかの「アート屋わんど」に申し込んでいただくとオリジナルクリアーファイルがもらえます。045−923−0282。絶対トク!ですよ。