このところぷかぷかさん達のすばらしいアート商品が次々にできあがっています。
ぷかぷかさん達が楽しい絵を描きます。その絵をどこに、どんな風に使おうかと考えるスタッフがいます。色を塗るスタッフがいます。ぷかぷかさんも色を塗ります。ぷかぷかさんとスタッフのフラットな関係の「協働作業」の中で、こういった商品ができあがってきます。これがぷかぷかさん達と一緒に生きていくということです。そして、一緒に生きていくとこんなにステキなものができあがります。
こういう商品は、ほっこりあたたかなメッセージを社会に振りまきます。それは、私たちの心にあたたかなものをプレゼントしてくれます。そうやってみんなを幸せな気持ちにさせます。
その幸せな気持ちの中で、あらためて気がついたことがあります。「障害者は不幸しか生まない」という相模原障害者殺傷事件の犯人の言葉です。
「障害者は不幸しか生まない」? ぷかぷかさん達が生み出すものを見て、そんなふうに思う人はいません。
この言葉はですから、決して普遍的なものではなく、犯人がいた職場が、障がいのある人たちと、そういう関係をつくっていたに過ぎません。「障害者は不幸しか生まない」と思うような関係です。
犯人がいた職場は障がいのある人たちの「支援」の現場です。「支援」という、一見いいことをやっていそうな現場で、どうしてそのような貧しいとしかいいようのない関係が生まれてくるのか。
「支援」という上から目線の関係は1+1=1の関係だと思います。相手を見下している限り、相手との関係から新しいものは生まれません。その関係からは、見下す側の人間の幅のものしか出てきません。だから「1+1」はどこまでも「1」のものしか生まないのです。
上に紹介したTシャツやバッグは、ぷかぷかさんとスタッフのフラットな関係を元にした協働作業が生みだしたものです。「1+1」が「2」以上の新しい価値を生み出しています。
彼らとおつきあいしながら、そこから何も生み出さないなんて、もったいないです。
何も生み出さないどころか、「障害者は不幸しか生まない」などと言い切り、相手を抹殺するところまでいってしまったのが相模原障害者殺傷事件だったと思います。
「障害者は不幸しか生まない」という言葉から、実際の事件へは大きな飛躍があります。でも少なくとも、そういう言葉、そういう言葉を生む関係がなければ、事件は起こらなかったかも知れないと思うのです。