昨日の朝日新聞「私の視点」はすばらしい意見でした。
「回りに迷惑をかけない」という道徳規範が、自分を、社会を萎縮させているのではないか、といいます。お互い「迷惑をかけない」なんてことはあり得ないので、だったらその「迷惑」をお互い分かち合うのがいいのではないか、という提案です。「迷惑」を分かち合うことでお互い働きやすくなり、職場が豊かになる、と。
これを書いた方は50歳を過ぎてから、躁鬱病になったそうです。頻繁に遅刻したり、休んだり、怒りっぽくなったりで回りに迷惑をかけながらも、
〈それでも私は、「迷惑をかけてすみません」とは言わないようにしている。代わりに、負担をかけている方々に「ありがとう」と述べ、本当に感謝をしている。〉
〈職場で「すみません」と謝っていると、なにか社会が、より小さく、縮んでいくようにも感じる。むしろ、「ありがとう」と言って感謝の気持ちを広げていくほうが、よりよい社会になるに違いない。〉
と書いています。
障がいのある人たちは、社会に迷惑をかけないように、と日々大変な努力をしています。でも、息子さんがぷかぷかで働くようになって、それが「見当違いの努力」であることがわかった、とツジさんのお母さんは言いました。
ぷかぷかは、ぷかぷかさん達を無理矢理社会に合わせるのではなく、「そのままのあなたがステキだよ」って働いてもらっています。ツジさんはパン屋のレジのそばでずっとおしゃべりしています。彼のおしゃべりは止まりません。初めてお店に来た人は、たいていびっくりします。でも、何度かお店に足を運んでいるうちに、ツジさんのおしゃべりはぷかぷからしい雰囲気を作り出していることに気がつきます。ぷかぷからしい雰囲気、というのは、どこかホッとするような雰囲気です。ツジさんが自由におしゃべりできる雰囲気は、人に自由であることの心地よさを思い出させてくれるのです。ですから、ふだんの暮らしに息苦しさを感じている人は、ぷかぷかに来てホッとするのです。
ぷかぷかがやってきたことは、今まで「迷惑」と思われていたことを、無意識のうちに社会と分かち合う試みだったのかも、と新聞を読みながら思いました。迷惑をかけるかも知れない、というリスクを社会と分かち合おうとしたのです。社会と分かち合う、というところが、ぷかぷかの豊かさを生んだのだと思います。